戦場の心理 その④性暴力

 戦場では、これまで述べてきたような暴力とはまた異なる暴力――性暴力が横行しますね。

 性暴力から受ける心の傷は、身体的な傷によるものと比べてはるかに深いです。その深さはまさしく底なしでしょう。でもなぜ、加害者は被害者(女性の場合が多いが、男性の場合も当然あります)にそんなことするのでしょうね。冷静になって考えたら、ターゲットが性感染症に感染している場合もありうるじゃないですか。

 私は高校生の頃、ふと考えてしまいました。強姦や強姦によって得られる快感は、男にとって性病になる可能性、及び刑務所にぶち込まれるリスクと引きかえにしてまでやる価値のあるものなのだろうか。私が男だったら絶対にしないのに、と。

 という訳で今回は、戦場で性暴力を「犯す」側の心理について、これまで私が得た知識を簡単に述べていきたいと思います。敵に勝つ(=敵を無くす)には、敵を知らなくてはならないのです。

※以下では話を分かりやすくするため被害者=女性として述べておりますが、言うまでもなく戦場での性犯罪の被害者には男性が含まれることもあります。ボスニア紛争とかルワンダ内戦では男性も被害に遭っているそうです。


 「性的支配と歴史」によると、戦闘が激しくなる、言い換えれば身の危険が高まれば高まる程、兵士の性的欲望は高まるそうです。それはなぜかというと、性行為は手っ取り早い現実逃避手段で、なおかつ自分の存在や価値を再確認する手段だから。

 酒も現実逃避の役に立ちますが、自分の存在価値を再確認させてはくれません。そのため、家族や故郷から遠く離れた地で、死の可能性に常に晒されている兵士たちは、女性を強く求めるのだそうです。が、戦地で兵士たちが生き残れるかは彼らが敵に対してどれほど暴力的で残酷になれる――敵兵を非人間化できるかにかかっています。そうしてその「非人間化」は、戦地にいる敵国の女性にも及び、激しい暴力行為という形をとるようになるのですね。

 敵国の女性を暴力で支配するという行為は、その女性が属する集団そのものを屈服させ従属させることを確認する、強烈な行為でもあります。女である私にとっては「ふーん、そうなんだー(棒読み)」という感じなのですが、戦闘に参加している男性にとって自分たちに属する女性が敵兵に犯されるというのは、最も「屈辱的」な行為なのだそうです。女が可哀そう、とかじゃなくて「男にとって屈辱的」なのが棒読みになってしまうポイントですね。

 征服され従属させられた国や民族の男性は、精神的に男としての誇りを挫かれる。例えて言えば去勢みたいなものでしょうか。要するに、特定の集団を貶めるためにその集団に属する女性に性暴力を振るう輩が本当に踏みにじりたいのは、意識しているかしていないかに関わらず、その集団の男性の誇りなのでしょう。

 また、性的唯幻論序説という本では「男は性欲を感じたからではなく、相手を馬鹿にするためにも強姦できる」と述べられていたので、そういう心理もありますかね。この場合も、貶めたいのは対象の女性ではなく、その女性が属する集団なのでしょうが。


 上記の「屈辱」や「誇り」については「兵士とセックス 第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか?」でも論じられていました。皆さんの理解の助けになると思うので、簡単にご紹介させてください。

 皆さんご存じでしょうが、第二次世界大戦ではフランスも様々な苦難を舐めました。1940年のナチス・ドイツによる侵攻とその後の占領。そしてノルマンディー上陸作戦が始まりパリ解放に至るまでとその後、フランス人男性は男の特権をドイツ人に、そしてその次はアメリカ人に譲渡せざるを得なかった(ナポレオン法典では、フランスの家長は女子供のために市民権を行使する、とされているそうです)。そのことは、「フランス人男性」にどのような痛みを与えたのかというと――フランス人男性は、敗北の必然の結果として、自国の女性に対する性的所有権を失ったのではないか、と危惧していたそうです。この、自国の女性の所有権を喪失することへの危惧が、「性的支配と歴史」で言われている屈辱でしょう。

 

 性暴力を生じうる土壌について、「兵士とセックス」では興味深い論が展開されていたので、ついでにそちらも述べておきますね。ノルマンディー上陸作戦後、フランスではアメリカ兵による公衆の面前でのフランス人女性の売春や性暴力、ついでに恋愛が多発しました。

 それはなぜかというと、まず当時のアメリカ人はフランス人は原始的でふしだらな国民だという偏見を抱いていたから。フランスという異なる言語と慣習を持つ国の民との意思疎通は容易ではなかったため、アメリカ兵はこの偏見を見直すよりもしがみ付きがちでした。

 またアメリカ軍はノルマンディー上陸作戦を、男らしい自分たちが邪悪なナチスから、自国の男に見捨てられた可哀そうなフランス女性を救う、エロティックな冒険であるかのごとく――冒険の終わりには、もちろん「ご褒美」が待っていると宣伝した、ということが関係しています。そうしてアメリカ兵は、自分たちはフランスを解放した見返りに性行為を要求できるし、そうして当然だと認識するようになったのです。この「救出劇」では、「男らしい」アメリカとは対照的にフランスは「女々しくて従属的」な国であると演出されたのですが、これは後にこの二国の関係に重要な影響を及ぼしました。


 話を戻しまして、そもそも兵士は、敵に対しては暴力的に振る舞わなければならないのに、上官に対しては絶対服従しなければならないという、相克の最中に置かれています。この矛盾は兵士の心理に強い緊張感を生み出すのですが、そうして生まれた緊張感、また軍規律からつかの間とはいえ兵士を解放してくれるのが、敵国の女性への性暴行なんですね。

 士官と兵卒の支配と服従の関係が絶対的で、また軍規が厳格であるほど――言い換えると軍で兵士が置かれている従属的立場と、敵に対する支配欲の矛盾が激烈なものになるほど、敵に対する態度は暴力的になると、本では述べられていました。そのため異常なほど厳格な階級制度を持っていた旧日本軍の兵士は、各地で強姦を頻繁に犯したのではないか、とも。

 戦時だろうと平時だろうと、性暴力の主な動機の一つには他者の征服・支配が挙げられます。ある心理学者はこれを「支配欲強姦」と呼んでいるのだとか。

 戦場の兵士たちは、たった数分先ですら自分が生きているかどうかは分からない。つまり、極めて無力な状態なのです。多くの兵は無力感を克服する、言い換えれば自分の運命を支配しているという実感を望み、攻撃的な行動に依存するようになるのだとか。すると兵士たちは、極めて短い解放感のために、自己欺瞞的な「支配欲強姦」――敵の女性を性的に征服して支配する――を繰り返すようになるそうです。


 あと、「戦場の性 独ソ戦下のドイツ兵と女性たち」によると、軍隊という男性的な組織の内部では、強姦は男らしさと男性の名誉の証明と見做されていたそうです。この傾向に同調圧力が加わると、単独では性暴力などしない兵士も、集団強姦には加わる、なんてことが起り得るのだとか。集団での犯行は個々人から責任感を消失させ、加えてそれを行うことで、しばしば部隊への忠誠心が強まったこともあったのだとか。

 最後になりましたが、戦場で行われる性暴力は強姦だけではありません。「戦場の性」によると、魅力的なユダヤ人女性を見つけたナチス兵(ナチスの信念的に、その女性と肉体関係を持つことはできない)は、その女性を半裸や全裸にしたり、その上乳房や局部を鞭などで殴る、なんてことをした者も多々いたようです。

 もちろん、強姦され、その後虐殺されたユダヤ人女性も沢山います。一方、ユダヤ人ではない女性なら肉体関係を持っても大丈夫だったので、ナチスに侵攻された土地ではユダヤ人だと偽って身を守ろうとした女性もいたそうです。また、時には男性も武器や杖で局部を触れられたり、殴られたりしたのだとか。


 上に書いたことは今回挙げた三冊の本のほんの一部なので、興味がある方はぜひ「性的支配と歴史」「兵士とセックス」「戦場の性」を読んでみてください。私は三冊連続で読んで、人間の醜さに絶望しました!

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