戦場の心理 その⑤重圧

 今回は戦場での重圧に関してです。

 戦場で敵と向かい合うのは、退くも地獄、進むも地獄です。なぜなら前者の道を選ぶ、つまり敵を殺さなかったら死んだ戦友への罪悪感や、自分の務めを放棄し国に背いたという恥辱に苛まれるから。しかし意を決して敵を殺したとしても、その瞬間から死ぬまで人を殺したという罪悪感を抱え込むことになるのです。

 例えば第二次世界大戦で戦ったあるアメリカの作家は、日本兵を接近戦で殺した後、後悔と恥辱を覚え、ついでに吐いたのだとか。また敵を殺した途端に自分で自分を責め、何とも言えない不安に襲われ、犯罪者になったような気分になった、というナポレオン時代のイギリス兵の証言が残っているそうです。

 だからなのか、兵士は自分の武器にはおとなしい名称(ファットマンとか)を与え、大抵の場合敵を「殺す」のではなく、やっつけ、片付け、ばらし、始末し、粉砕し、偵察し、ぶっ飛ばした、と表現します。また敵の人間性は否定され、奇妙な、けだもののような仇名を付けられるのです。例えばジャップとか。もっとも、次回から述べる予定なのですが、条件次第では罪悪感なしに敵を殺せるのですがね。


 さて。戦闘中の人間は大抵の場合、イデオロギーや憎悪や恐怖ではなく、


・戦友への想いや指揮官への敬意

・戦友や指揮官に自分がどう思われるかという不安

・勝利に貢献したいという欲求


 という集団圧力と心理によって戦うそうです。戦闘中に兵士の間に発生する絆は夫婦のそれよりもなお強いのだとか。であるからこそ兵士は、戦友の期待に応えられなかったら。と恐怖するのですね。まして、実際に大切な仲間や部下を自分のせいで喪ったり、彼らが死んだ時に何もできなかったら、抱える苦しみは想像を絶するものでしょう。古くから自分の命令で部下を死なせる権利を持つ指揮官に贈られてきた勲章や顕彰は、彼らの精神衛生上極めて重要なものなのです。

 良い指揮官たるもの、部下を我が子のように遇さなくてはならない。しかし、戦術上その部下を、どうしても死地に送り込まざるを得ない場合もあります。そうして部下を喪った後、たとえ最善の手段を選んでいたとしても、ごく普通の精神の指揮官はもっと他の方法はなかったのかと自問自答するでしょう。勲章や顕彰は「お前は良くやった、正しいことをした」と、指揮官の決定が社会的に肯定された証でもあるのです。

 指揮官だけが参加するものではありませんが、パレードも、兵士が戦場で負った罪悪感を和らげる効果があるそうです。パレード、またパレードで木霊する一般市民からの拍手喝采は、兵士の行いは称賛に値すると認められたという、何よりの証ですから。セレモニーって一見無駄かもしれませんが、何だかんだで極めて重要なんですね。

 では、もし仮に(と、言っても実際に起ったことですが)、戦場に放り込まれ、戦友を失い、葛藤に苦しみながら敵を殺して生き抜いた兵士が復員しても、その行為を一切肯定されなかったら? どころか、お前はなんてヤツなんだと社会から拒絶され迫害されたら? その復員兵の、罪悪感に満ち満ちた心は、社会的に認められた兵士と比べて、どうなってしまうのでしょう? こういった心理も、後にまとめていく予定です。

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