戦場の心理 その②疲労と罪悪感

 まずは疲労が与える影響についてです。つきましては、本に倣って戦場における「長期的で深刻な疲労状態」の要因とその反応を、以下の四つに分けて述べて行きたいと思います。


1.生理的な疲労

 これまでも繰り返し述べてきましたが、戦闘のストレスに長く晒されていると人間は当然生理的に興奮し、疲弊していきます。要するに、戦争の代償 その②

https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054884911968/episodes/16816927862545823281 で述べた、失禁とか副交感神経の揺り戻しが起るのです。という訳で、詳しくは戦争の代償 その②を参照なさってくださいね。

2.睡眠不足

 睡眠不足が続くと、幻覚を見たり無気力になったりするそうですね(私は睡眠時間が足りなかったら身体が強制的に補う体質なので、睡眠不足が続いたことがないのです)。睡眠不足は前線部隊によく見られ、例えば1944年にイタリアで戦ったアメリカ兵の31%は、一晩に平均四時間未満の睡眠しか摂れなかったらしいのですが、精神的戦闘犠牲者の発生率が最も高いのはやはり前線部隊なのだそうです。

3.カロリー不足

 粗末な冷たい食事、及び疲労による食欲減退を原因とする栄養失調は、戦闘能力に極めて重大な影響を及ぼします。イギリスのある将軍曰く、士気に最も悪影響を及ぼすのは食糧不足なのだそうです。まさしく「腹が減っては戦はできぬ」ですね。

4.自然の条件

 行軍中の兵士は、ほとんどの場合自然の猛威に直に、それも絶え間なく晒されています。ただでさえ任務に必要な装備を持たされているのに、その上更に防寒具などを持てる余裕などないのですね。行軍中に兵士を蝕むのは暑さ寒さに雨風だけではありません。湿気に暗闇(と暗闇による間隔遮断)も油断なりませんし、ネズミや虱、蚊などの生物、何より病気は兵士たちの心身を追い込んでいきます。


 その上更に兵士たちは、前回述べた恐怖だけでなく、様々な感情にも苦しめられます。たとえば罪悪感とか。

 言うまでもなく戦場とは悲惨なものです。近代以降の戦争ならば、負傷した兵の呻きと、振動を伴う砲撃や爆発の音が木霊します。排泄物と血、人体が焼ける臭い、そしてもちろん腐敗臭が入り混じった異臭が漂う最中、ふと見やれば手足や内臓、頭部などのパーツが辺りに転がっている……。自分や友人がいつそのパーツの仲間入りをするのか分からないし、自分が誰かをパーツにしてしまうかもしれない。こんなところに栄誉もクソもあるかという感じですよね。誰でもこんな状況を直視したくはないでしょう。

 しかし奇妙なことに、戦闘員は上記のような状況に非戦闘員よりも影響を受ける。もっと詳しく説明すると、戦闘中の兵士は非戦闘員とは異なり、周囲の惨状に深い責任感と後ろめたさを感じるそうです。前回同じ戦場にいても戦闘員は非戦闘員(通信員に民間人、捕虜など)よりも精神を病みやすいと述べたのと同様に。兵士は敵が死ねば自分が殺したと、仲間が死ねば自分のせいだと感じてしまう上、周囲の惨状への罪悪感まで抱えてしまうようなのです。それも、場合によっては戦場から離れて何十年経っても、ずっと。若くて元気なうちは考えないようにしておけても、年を取ったらその記憶を無視できなくなった、ということがあるようで。


 もっとも、「身体はトラウマを記憶する」によると、トラウマを負った人が何かのきっかけでその原因となった過去を思い出すと、トラウマ体験が今現在起っているように、右脳が反応するそうです。けれども、左脳は上手く働かない。

 右脳は感覚やそれらが喚起する情動の記憶を保存し、左脳は自分の経験を説明したり整理したりします。通常は脳のどちらか一方が働かなくなったり、協働できなくなることはないのです。が、右脳だけが反応し左脳が上手く働かない――これは過去の再現だと自覚できない最中では、トラウマを負った人にとってフラッシュバックとは「過ぎ去った過去」ではなくて「今まさに起っている出来事」なのです。時間や距離がどれほど離れていようが関係ない。そして、いつ起き、いつ終わるか分からないから、フラッシュバックはその原因となった出来事よりも手に負えないのです。出来事そのものには必ず終わりがあるのですから。

 そういう理由で、元兵士が戦場から離れて何十年経とうが罪悪感を抱き続けるというのは、脳の機能的に当然のことかもしれませんね。若いうちは無視できていた、というのも仕事やら子育てやらやらなくてはいけないこと(=ある意味避難所)があったから、というだけでは? こういう人にいくら「それはもう終わったことだ」と理詰めで説明しても無益どころか、本人を苦しめるだけでしょう。適切なケアを受ける以外に、この罪悪感から解放される道はないのかもしれません。

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