戦争の代償 その②自律神経系
今回は前回述べたように、戦闘中に肉体に起きうる変化について述べていきます。が、早速断っておきたいことが一つ。今回述べることは、何も戦闘に巻き込まれなくとも、戦闘よりも遙かに身近な出来事によっても生じえます。道端でマムシに出くわしたとか、交通事故に巻き込まれたとか。つまり、恐怖を覚えたらいつでも生じうるということです。だから、いつか突然の事態に巻き込まれてこれから述べるような反応を身体がしても、「当然のことなんだな~」ぐらいに受け止めてくださいね。
という訳で、まずは自律神経系について。自律神経系は血圧や呼吸数などの調整をしている神経系で、交感神経系と副交感神経系から成り立っています。ほとんどの器官は自律神経系から信号を受け取っているけれど、交感神経系と副交感神経系は一般的には対照的な働きをします。例えば心拍数においては、交感神経系は上昇させ、副交感神経系は降下させるというように。
「危機」に関する反応だけを述べるとすると、交感神経系は闘争・逃走反応に関わっていて、心身を危険に備えさせます。具体的にどういう反応が生じるのかというと交感神経系は、
・概ね蓄えられたエネルギーを消費させる。
・消化を抑制する。
・アドレナリンとノルアドレナリンの分泌を促す
・気管支、心血管を拡張させる。
・筋肉を緊張させる。
といった働きをします。つまり危機的状況においては交感神経系のほうが働いているのですね。一方副交感神経系はリラックスしている時や眠っている時に優位で、唾液の分泌や消化など、身体にエネルギーを蓄える働きに関わっています。つまり、危機的状況の間は唾液の分泌も止まるため、口がからからになるのです。皆さんも一度や二度はそんな経験ありますよね?
あと危機的状況の最中は大小失禁が起きたり、戦闘に参加した兵士は失禁しなくともストレス性の下痢(ギリシア語では「腸が水に変わる」というのだとか)をほとんど全員が起こすそうです。垂れ流しだろうがなんだろうが生きることはできますからね。
まあとにかく、そんなこんなで危機的状況から逃れられ、緊張が解けるやいなや、凄まじい反動――副交感神経系の揺り戻しが生じます。これはほっとするあまり油断してしまうということではなく、生理的な虚脱が急に生じるのです。身体が震えるとか、疲れ切って眠ってしまうとか。
もっとも、その危機的状況がすぐに終わる――例えばあなたが警察官で銃撃戦に巻き込まれたけれど、一発か二発で方が付いたという場合は、逆に眠れなくなることが十分にありえます。これは、長期間の戦闘ならば体内に放出されたアドレナリンを使いきれるけれど、戦闘がすぐ終わってしまえば体内にアドレナリンがまだ残っているためなのだそうです。
気持ちが昂り、動悸がし、じっとしていられない。こんな時はアドレナリンを使いきるため、柔軟体操をしたり長距離走をしたり、とにかく身体を動かせば眠れるようになるそうな。
他、疲れきって無関心になり、自分の殻に閉じこもりがちで無気力になるなどの反応も、副交感神経の揺り戻しでは起こります。また、交感神経が優勢の時の興奮や緊張が大きいほど反動は大きいため、副交感神経が優勢の時(=安らげるはずの時間、家族といる時)に家族と良好な関係を築けず、家庭生活が破綻する――という、なんとも悲しい事態も生じうるそうです。
戦闘を経験した直後から数日の間は兵士はよく眠れなかったり、ぼんやりして決断力が低下したり、生理的なバランスが崩れたりもするそうです。そのため、こうした状態の時に再び戦闘に巻き込まれると、適切に対処できなくなる可能性もあります。だから、危機的状況に直面した後は休養期間を与えるべきで、休養期間を挟まずに再び危機に直面すると元々のストレスに更にストレスが積み重なり、心に深手を負いやすくなります。
ついでに、睡眠不足と身体的な疲労はストレス耐性を弱めるし、睡眠不足は身体的な疾患やPTSDの主要な原因の一つでもあります。だから何日も呑まず食わず、ろくに眠らずの末敵と交戦したら、兵士はそうでない場合に同程度のショックを受けた場合と比較すると、トラウマを負いやすいかもしれませんね。
まあとにかく、「副交感神経の揺り戻し」という現象を知っていれば、伏兵を隠していて敵と交戦し、一旦兵を引いて敵に勝利したと思いこませた後、無傷で元気な伏兵で襲いかかるという戦術も採れるのです。敵は気が緩んでいるし、副交感神経の揺り戻しも起きているだろうし、そもそも体力的にも消耗しているから、小部隊でも勝利するのは可能。「勝って兜の緒を締めよ」はまさしくその通りなのです。逆を言えば、勝利した後も気を緩めず敵の反撃に備えるか、弾薬や水の補給、負傷者の救護などを行うよう訓練されている兵士ならば、反撃にも対応できるでしょう。
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