飲み物 その③

 前回は紅茶の回だったので、今回はコーヒーの回です。飲み物の二大巨頭といえば紅茶とコーヒーですからね。ちなみに私は紅茶派です。

 コーヒーは少なくとも十七世紀にはロシアに入っていたようです。ただし、飲料ではなく薬として。イギリス出身の宮廷医がアレクセイ・ミハイロヴィチ帝(ピョートル大帝の父)に、風邪薬や頭痛薬としてコーヒーを処方したという記録が残っているそうです。

 このように、ロシアにおいてコーヒーとは西からもたらされたものでした。紅茶がモンゴル――つまり東からもたらされたのとは対照的に。ロシアにおける紅茶派vsコーヒー派の対立の裏には、ロシアが歴史的・地理的な宿命として抱える「東と西」の問題が隠れているのです。

 ロシアにおいて紅茶とコーヒーが対照的なのは起源だけではありません。

 前回述べたようにロシアにおける紅茶は、農民から貴族まで幅広い階層に受け入れられた、家族や友人との団欒を象徴する飲み物です。一方コーヒーもロシアの国民的飲料という地位を獲得しているものの、インテリや芸術家の飲み物であり、個人主義的なイメージがあるそうです。


 そんなこんなで、ロシアにおける飲料の歴史には意外に複雑な背景があるのですが、コーヒーを始めて嗜好品として普及させようとしたのはピョートル大帝(在位:1682年~1725年)なのだとか。オランダ視察旅行(※)の際コーヒーと出会った大帝は、帰国してから半ば強制的にコーヒーを社交界に導入したそうです。貴族に、夜会で客をもてなす時は茶だけじゃなくコーヒーも出すよう指示したのだとか。

 そんなこんなで、1720年にはサンクトペテルブルク(この街の建設を命じたのはピョートル大帝です)にロシア初の喫茶店が誕生します。エカチェリーナ二世を初めとした、大帝以降のロシア皇帝も皆コーヒーが好きだったそうです。十九世紀初頭のロシアの上流階級では、コーヒーを飲むことは「良い趣味」だったのだとか。が、コーヒー文化はソ連の時代ではあまり発達しなかったのだそうです。原因はもちろん、慢性的な品不足。

 ヨーロッパの軍事や科学技術を吸収するための、大帝の政策の一つです。が、大帝自身が偽名を名乗って使節団に紛れ込み、一年半ほどロシアを空けてヨーロッパを回っていたのですから、凄いですよね。


 このままだとちょっと物足りない感じなので、「ロシアの歳時記」から、ロシアの保存食についての気になる記述をですね……。

 ロシアには、十五世紀から十六世紀に書かれた「ドモストロイ」という家庭訓があります。その中で、当時どのように保存食が作られていたのかも触れられているのです。

 「ドモストロイ」によると、牛肉、魚は干すか塩漬け、豚肉は塩漬けにしていたそうです。肉類の冷凍や冷蔵以外の肉類の保存法は時代や地域を問わずこんなものでしょう。野菜――キャベツ、ビーツ、キュウリも塩漬けにしていたというのも、ごく普通のことでしょう。興味深いのはここからで、レモンやスモモも塩漬けにされていたそうです。他の果物だと、苺やさくらんぼは塩漬けか蜂蜜漬け、リンゴと梨は塩漬けか蜂蜜漬けかクワス漬け、コケモモはジュースにして保存されていたそうです。

 この時代だとまだまだ蜂蜜が貴重品だったのでしょうが、果物も塩漬けで保存することがあったというのが興味深いですよね。あと、クワス漬けという選択肢が出てくるところがいかにもロシアらしい。クワス漬けのリンゴや梨ってどんな味がして、どんな料理に使えたんでしょうね?

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