第一の料理 その①

 前菜ザクースカが終われば、次は第一の料理ブリュード。つまりスープの出番です。ロシア料理におけるスープは添え物という立場に留まらず、ある意味ロシア料理らしさをメインディッシュよりも醸し出す、重要な位置を占めております。

 ロシアのスープといえばやはりボルシチ。ボルシチは他のロシア料理同様、基本的には塩コショウだけで味付けし、素材の持つ本来のうまみを引き出す料理です。が、ボルシチは元々ウクライナ料理なのだそうです。ボルシチという単語も元はウクライナ語で、草や薬草の煮汁を意味していたのだとか。ボルシチがロシア語の辞書に記載されるようになったのも十八世紀になってから。ただし、スープのボルシチは今では立派なロシア料理ですし、そもロシアとウクライナは歴史的には切っても切れない関係ですからね。


 ウクライナはもちろん、実はポーランドにもビーツを使った、その名もバルシチというスープがあります。これまで述べてきたように、ポーランドもまた歴史的にロシアと密接な関わりがありますから、何もおかしくはないですね。「ディカーニカ近郊夜話」では、波蘭服ジュパーン波蘭婦人服クントゥーシュ(波蘭=ポーランドです)という服が晴着としてちょくちょく言及されていて、あのあたりの複雑な歴史に思いを馳せずにはいられませんでした。

 ……話が逸れてしまいましたが、バルシチは明らかにボルシチと同語源のスープなのですが、バルシチはボルシチとは違って通常は具を全く入れない、ビーツの甘味が強く感じられる澄まし汁なのだそうです。

 

 ボルシチは日本における味噌汁同様、地方や家庭によって様々なヴァリエーションがあります。使う肉は豚肉、牛肉、鶏肉のどれでもOK。羊の肉を使うこともあるし、生の肉ではなくハムやソーセージを加えることもあれば、肉を全く用いない場合も。

 肉が様々なら野菜も様々。ジャガイモ、キャベツ、ナタウリ、インゲン、トマト。カブ、ニンジン、さやえんどう、ピーマン、トウモロコシといった野菜はともかく、リンゴすら加えることがあるそうです。

 要するに、どんな肉を使おうと(使わなくても)、どんな野菜を使おうと、ある条件さえクリアしていればボルシチなのです。そう。あの特徴的な赤紫色と仄かな甘味の素である、ビーツを投入しさえしていれば。つまりボルシチは「ビーツを煮込んだ具だくさんのスープ」なのです。

 最初に作っておくスープがガラで取るものか、肉のブイヨンからか、骨つき肉からとったものか、はたまたその肉が牛か豚か鶏か、あるいはその組み合わせか――といった違いもあります。それに、ビーツを軽く炒めてからスープに投入するか、他の野菜と共に蒸煮してからか、という違いも。

 

 ボルシチにおいて欠かせないものは、ビーツ以外にもあと二つあります。うち一つは、香りを添える香草。味付けの回で述べたようにハーブはロシア料理に必要不可欠なものですが、ボルシチにも欠かせません。最後に加えるハーブとニンニクによって、ボルシチは素晴らしい香りを得るのです。

 続く二つ目は、乳製品の回で紹介したスメタナ。スメタナは各人の好みに応じた量を食べる際にボルシチに投入するします。すると汁の赤紫とスメタナの白、ハーブの緑色が美しいコントラストを描くのです。そしてかき混ぜると、汁とスメタナが混ざり合ってピンク色に。なんとも食欲そそる眺めです。


 次に紹介するのは、キャベツのスープの「シチー」。こちらはボルシチとは異なり、日本ではほとんど知られていないでしょう。ただ、語源が古代スラヴ語の食べ物全般を指す言葉にあると推定されていることから、ボルシチよりも遙かに古い歴史のあるスープになります。事実、シチーは九世紀、キエフ・ルーシの時代から既に作られていたそうです。

 ということは、度々触れてきた骨肉相食む争いを繰り広げてきた方々もきっとシチーを食べていたんでしょう。つまりシチーは、最も代表的なロシアの伝統料理なのです。ロシアは北部ではシチーが好まれていて南に行くほどボルシチの割合が勝ってゆくそうな。


 シチーの主な材料はキャベツに肉、キノコ、スメタナ、薬味(玉葱、ニンニク、コショウ、ローリエ)など。ロシアでは塩で漬けて発酵させた酸味のあるキャベツ(つまりザワークラウト)をシチーの材料にするのが好まれるそうですが、もちろん生キャベツでも大丈夫です。でも乳酸発酵した野菜をスープにすると美味しいですから、いつかシチーを作るとしたら、ぜひ発酵させたキャベツで作ってみたいものですね。

 また、度々言及してきたことわざの本によると、かつてはザワークラウトを用いる場合は肉を入れないが、生キャベツを用いる場合は細切れの肉を入れるという区別もあったようです。昔のロシアの農民は普通夏の間は家畜や家禽を絞めなかったけれど、必要に迫られた場合は雄鶏をシチーの材料にすることがあった。そこから「とんだ災難に遭う」という意味の「シチーの中に落ちた雄鶏のよう」ということわざが生まれたのだとか。シチーの中に落ちた雄鶏にはなりたくないですね。

 

 さて。主な調理用具がペーチ(ロシア式の暖炉)だった時代は、材料を投入した鍋もしくは壺をペーチに長時間おいておけばそれだけで、肉から旨味が沁みだして、美味しいスープができていました。現代では肉を水に入れて火にかけて長時間煮てブイヨンを作り、炒めた野菜類をブイヨンに投入して~という方法で作られているようです。

 こうしてできたシチーには、必ずと言ってもいいほど黒パンを添えて出されます。シチーの味わいはあっさりさっぱりとしていて、毎日食べても飽きない。「実の父親にはそのうちうんざりするが、シチーにはぜったい飽きがこない」と言われているぐらいです。

 またザワークラウトを主材料とするシチーは、冷蔵庫がなく生野菜を食べれない期間が続いた時代は、重要なビタミン源でもありました。「シチーとカーシャは我らが食物」という諺は、シチーの重要性をこれ以上なく表していますね。

 

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