ロシアの野菜

 ロシアの野菜と言ったらアレですね。そう、ビーツ。ビーツはロシアではボルシチの他、茹でて刻んでサラダになど何らかの形でほとんど毎日口にする「国民的な野菜」です。ちなみにビーツはロシア語では「スヴョークラ」と言うそうです。

 ビーツは色と形から日本語では「赤カブ」と呼ばれることもありますが、実際はヒユ科アカザ亜科の越年草なのだとか。

 現在ロシアやヨーロッパで栽培されているビーツは食用、飼料用、砂糖採取用(=サトウダイコンのこと)に分けられます。このうち食用のビーツを漢字で表記する場合は「火焔菜かえんさい」という字が当てられていました。歴史を辿ると上記三種類は元々一つだったのですが、十六世紀から十七世紀に食用と飼料用が、更に十八世紀に飼料用から砂糖採取用が分かれたそうです。


 ビーツは元々は地中海東岸から西アジア原産で、ロシア――というかこの頃は(※)まだキエフ・ルーシでは十世紀から十一世紀には既に知られていたのだとか。

 ※「ロシア」という名称がロシアの文献で用いられるようになったのは十五世紀。モスクワ大公国(モスクワ・ルーシ)が他の公国をモスクワに統一すべく頑張り始めた頃からです。ちなみになぜそんなことをしなければならなかったのかというと、ルーシの公は領土を分割相続していたため。


 ちなみに十世紀から十一世紀のキエフ大公は、


→オレグ(882~912/922)※オレグの前にも半分伝説的な公が二人いた

→イーゴリ一世(913/923~945)オレグとの関係:諸説あり

→(大公妃オリガ ※夫イーゴリ一世が死去した時は息子がまだ幼かったため、摂政として963年頃まで統治していた)

→スヴャトスラフ一世(945~972)イーゴリ一世とオリガの息子

→ヤロポルク一世(972~978)スヴャトスラフ一世の息子

→聖公ウラジーミル一世(978~1015)ヤロポルク一世の異母弟

→「呪われた」スヴャトポルク一世(1015~1016)実父はヤロポルク一世だけれど形式的な父はウラジーミル一世

→賢公ヤロスラフ一世(1017)ウラジーミル一世の息子

→スヴャトポルク一世(1018~1019)

→ヤロスラフ一世(1019~1054)

→イジャスラフ一世(1054~1068)ヤロスラフ一世の息子

→人狼公フセスラフ(1068~1069)ヤロスラフ一世の兄のポロツク公イジャスラフの孫

→イジャスラフ一世(1069~1073)

→スヴャトスラフ二世(1073~1075)ヤロスラフ一世の息子

→フセヴォロド一世(1075~1076)ヤロスラフ一世の息子

→イジャスラフ一世(1076~1078)

→フセヴォロド一世(1078~1093)

→スヴャトポルク二世(1093~1113)イジャスラフ一世の息子


 となっています。どれもかっこいいので、ある場合は仇名も載せました。

 どうして同じ人が度々キエフ大公になっているのかって? あと、短期間でキエフ大公がコロコロ変わっていることがあるのはどうしてかって? それは偉い人にはつきものの、身内同士の泥沼の争いがあったからです。

 ちなみに上に出ているフセスラフ公はロシアの泣き歌の七話https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054884911968/episodes/1177354054886603648 でちょっと取り上げたので参考までに。


 こういう骨肉相食む争いを繰り広げていた方々の食卓にも、ビーツが登ることがあった――のかは分かりません。なぜならビーツがキャベツなどとともに一般に普及し始めたのは十四世紀頃からなのだそうなので。

 十四世紀といえば、この頃のルーシはタタールのくびきに繋がれていた頃ですね。と、言ってもキプチャク・ハン国は1350年代から内紛のためルーシに介入する余力など残っておらず、モスクワ大公国は1373年頃からタタールへの貢税の支払いを停止していたのですが。

 あと、現在のベラルーシに当たる部分はリトアニア大公国に征服され、キエフ含むウクライナの北部と中部も十四世紀末にはリトアニア大公国に征服されました。よって、リトアニア大公国は旧キエフ・ルーシのほぼ五分の三を領土に収めることになりました。以降、キエフは十七世紀にロシア領となるまでリトアニア(後にポーランド)の支配下に置かれることになりました。ビーツの本格登場にはこんな大変な時代背景があったのですね。


 ここで一つ本筋には全く関係ない話をさせてください。ヤロスラフ賢公の娘の一人アンナ・ヤロスラヴナはフランス王妃なのですが、この人ほんと凄い人です。何がどう凄いのかと言うと、夫亡き後に妻がいる貴族と恋に落ち、略奪婚したら教皇に破門されて宮廷から遠ざけられたけれど彼と仲良く暮らし、二番目の夫亡き後は国王である息子に許されて宮廷に戻った、という自由でパワフルであとハッピーな生き方が。アンナは美人で賢かったので最初の夫にも愛されていたそうですから、ほんと凄いですよね。


 ……話をビーツに戻しますね。十六世紀半ばの作である「家庭訓《ドモストロイ≫」という本に「キャベツとビーツは夏の間は似て食べ、秋に塩漬けにする」(カッコ内原文ママ)という記述があります。このことから、十六世紀にはロシアの代表的な野菜の一つになっていたことが分かるのだとか。

 食用ビーツはサトウダイコンの近い仲間であるだけあって独特の甘みがあり、ミネラルやビタミンB・Cを豊富に含んでいて美肌効果があるそうなので、もし見かけたら一度お試しあれ。私も一回買ってボルシチを作ったことあるのですが、甘味だけではなくて独特のコクのようなものがあって美味しかったです。

 あとロシアでよく食べられる野菜といえばジャガイモなのですが、ジャガイモは新大陸原産。当然ロシアの歴史からすれば「新参者」の野菜です。そのため、ロシアの農民は十九世紀半ばまでジャガイモに大きな抵抗感を持っていて、古儀式派(※)の中にはジャガイモを「悪魔のリンゴ」と見なす者もいたのだとか。ちなみに北ロシアでは、ジャガイモに取って代わられるまでは蕪が伝統的な主要作物だったそうです。

 ※十七世紀半ばのロシア正教会では、今まで二本の指で切っていた十字をギリシャ式の三本の指で切れという改革がなされたのですが、それに反対して弾圧されてもなお旧来のやり方を通した方たちの呼び名です。「旧教徒」とも言います。


今回のスペシャルサンクス

・世界歴史大系 ロシア史1 9世紀▶17世紀

ロシアの歴史について参考にしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る