廃娼運動と法律 その④

 前回ではブリュッセル警察のクソぶりを通して、騙されて大陸に売られたイギリス娘がどんな状況に置かれていたのかを見ていきました。が、もちろんイギリス娘の強制売春があるのは大陸だけではなく、イギリスでも少女が売春を強いられていました。幼い少女が娼館で散々虐待された挙句、これからは自分で食っていけと放りだされるなんてことも、珍しいことではなかったようです。

 というわけで、こういった事例とひっきりなしに出くわしたベンジャミン・ウォーという人は、既に児童問題に取り組んでいたこともあり、彼女たちを暴行した者や娼館の主人を告発しようとしました。が、前に述べたように当時のイギリスの法廷は子供の証言を取り上げなかったので、彼の試みは失敗の連続でした。

 けれどもウォーさんはバトラー夫人やロンドン委員会の他のメンバーと協力して、ロンドンでも名の知られた売春斡旋人である、メアリー・ジェフリーズをターゲットとして動いていくことにしました。このメアリー・ジェフリーズは自身も娼婦だったのですが、容姿が衰えてからは鞭打ち専門や幼女専門といった「倒錯」が売り物の娼館を経営したり、大陸に売るための少女を集めたりなど、色々あくどいことをやっていたそうです。


 実は当時のイギリスでは、こういった娼館を経営すること自体法律違反でした。それにメアリー・ジェフリーズは売り物にする子供を誘拐してまで手に入れるなどしていたので、いつ訴えられてもおかしくはない存在でした。そんな彼女がなぜ大物になることができたのかというと、彼女は顧客は社会的地位のある者――その中にはなんと、ヴィクトリア女王の息子である皇太子までいたらしい――のみを顧客としていたからです。

 だから警察も彼女には手を出せなかったし、警察の中に彼女の仕事を保護する者までいた始末でした。ある警部は、そんな腐った上司を告発したため、警察を辞職させられたぐらいです。ほんと腐ってますね。

 上記の悪を告発しようとして辞職させられた元警部は、事の経緯を自費出版して世に知らしめようと、前回述べたダイヤ―さんの印刷所に訪れました。すると丁度メアリー・ジェフリーズを告発する機会を狙っていたダイヤ―さんは、元警部を雇って更なる証拠集めを頼んだのです。

 メアリー・ジェフリーズの悪事の証拠が十分に集まると裁判が開かれたのですが、この裁判は始終悪の都合がいいようにことが運んだ、全くの茶番でした。メアリー・ジェフリーズは罰金を課せられたものの、彼女の店の営業には全く影響なかったぐらいです。

 しかし、司法当局が微罪は厳罰に処す割にメアリー・ジェフリーズのような巨悪を簡単に釈放したことは、大局的な見方をすればプラスに働きました。一連の成り行きから警察も少女の人身売買の片棒を担いでいるのではと幾つかの新聞社が調査を要求するようになったのです。

 イングランド国教会の枢機卿も売春仲介人を取り締まるためになんらかの手を打つべきとの声明を出しました。YWCA(キリスト教を基盤に女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界の実現を目指す国際NGO)の会長も、この状況は打破しなくてはならないと声を上げました。そして終に上院でも売春問題について議論されるようになり、十六歳未満の少女が不道徳な目的で囲われていると確信できる場合は警察に娼館を捜査する権限を与えるべき、との勧告が通過したのです。が、この勧告は下院で三度否決されてしまいました。


 売春問題の立法面での行き詰まりを打開する力の一つとなったのは、ロンドンの高級夕刊紙ペル・メル・ガゼットの編集長ステッドさんでした。彼が売春の実態を調査ししようと決意すると、ウォーさんと救世軍という貧しい人々を救うための伝道団を率いていたブースさんが、協力してくれました。

 ウォーさんはステッドさんを児童虐待防止国民協会が運営する避難所に連れて行ったのですが、そこには誘拐されて上流階級用の高級な娼館で暴行を受けた七歳の少女や、続けざまに十二回も乱暴されたという四歳半の子供がいました。ウォーさんは彼女らを暴行した者たちに裁きを下そうと努力したのですが、子供の証言は法廷では認められないため、腐れ外道は無罪放免となっていました。ほんと腹立ちますね。ちなみにここら辺が、私が「売春の社会史」を読んでいて最も醜悪だと感じた所です。


 1885年、五月。ステッドさんは虐待の更なる証拠を集めるため調査チームを作り、ペル・メル・ガゼット紙の女性スタッフと救世軍の将軍である女性が、娼婦として娼館に潜入することにしました。その過程で、ステッドさんは協力者の面々と客を装って娼館を訪れた際、三歳から五歳ぐらいの子がクロロフォルムをかがされて暴行されるのを目撃して、吐きそうになったそうです。……それが正常な反応なのですが、当時のイギリスの上流階級の男には、そうじゃないやつの方が多かったんでしょうね。

 更にステッドさんは、救世軍に入る前は自身が娼婦であり娼館の女将であった女性の力を借りて、売春斡旋人と接触し、娼婦とすることを明かした上で、ある少女を母親から買い取りました。勿論、その少女と接触は持ちませんでしたが。

 ステッドさんは調査チームを結集してから二か月後、暴露記事を自分の雑誌に掲載しました。この記事に対して大衆はすぐさま反応し、記事が発表された日には新聞の値段は普段の十二倍に跳ね上がったそうです。

 この記事の噂はロンドン中どころか海の向こうにも伝わり、アメリカの新聞に買われたどころか、本として出版もされました。そしてたちまちデンマーク語、ドイツ語、ロシア語、フランス語に翻訳されたのです。

 ステッドさんの記事に影響されたのか、長らく暗礁に乗り上げていた法律の制定を求める大集会がロンドンで計画され、七月二九日には三十九万三千人分の署名を集め請願書が国会に提出されました。そして、早くも同年の八月には、売春承諾年齢を十六歳に引き上げる法案が国会を通ったのです。


 

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