絶対王制時代 その①

 いやあ~、今回からとうとう下巻の内容に入りました。今回からは、絶対王制時代の売春事情について。

 十六世紀に吹き荒れた宗教改革の嵐も治まった絶対王制時代の人々は、死後よりも現在の生活に関心を向けるようになりました。すると自然、おセッセが関心のうち非常なウェイトを占めるようになったのですね。

 で、本では最初は絶対王制時代の主にフランス王の華麗なる愛人遍歴が二十ページにも渡って語られていたのですが、そこのところはカットさせていただきます。いやほんと、国王の愛人の数とか過去とか、どうして王と出会ったのかとか、すこぶるどうでも良いので。

 読んでいて非常に退屈で、こんなことに紙面を割く必要があるのだろうかという疑問の念を抑えきれなかった、「売春の社会史」下巻の最初の二十数ページ。その中で唯一記憶に留める価値があると感じたのは、当時の放蕩は富や権力を誇示するためのパフォーマンスとしての一面も持っていて、貴族が社交界で大きな顔するには愛人が一人や二人はいなければ恰好が付かなかった、という記述です。

 あとついでに、ルイ十四世の時代からヨーロッパ中の王侯がフランスの風習やフランス王の生活を、つまりその放蕩をも見習うようになったということ。も一つおまけに、当時のヨーロッパではたとえ生まれは賤しくても美貌や魅力に恵まれた女性なら、努力次第で宮廷でのし上がることも不可能ではなかったということを覚えておけばよいでしょう。


 ここからは絶対王制時代の、市井での売春についてです。

 例えば当時のフランスでは、厳密には売春は法によって禁止されていたけれど、役人はその法律には意味がないことを良く分かっていました。で、1684年に法律の改正を行い、娼婦を職業売春婦と売春しなければ生きていけない追い詰められた女性にしたそうです。次いで1713年にも法を改正し、「ふしだらな女性」は、職業売春婦と職業売春婦ではないけれど放埓に暮らしている女性の二つに分類されました。

 「ふしだらな女性」のうち、警察は職業売春婦なら自由に取り締まることができました。しかしそうでない女性については、良俗に反するという正式の訴えがない限りは取り締まれなかったそうです。

 職業売春婦を取り締まるには僅かでも証拠があれば十分で、彼女たちはそうやって追放や投獄、笞刑に処されるか、髪を剃られます。職業売春婦ではない女性は、訴えられても普通の犯罪者と同じ権利を認められ、上訴すれば判決が軽くなることもあったようです。が、ある女性が職業売春婦なのか、またそうではない方に分類されるかは、全て警察の解釈次第でした。と、言っても警察は売春宿に鑑札かんさつ(ある種の営業や行為に与えられる許可証)を公布していてにも関わらず、女性たちを職業売春婦だと認めて罰するよりも、その上前をピンハネする方に熱心だったそうなのですが。

 警察が誰かを職業売春婦として扱うのは、有力者や責任ある地位の人間が文句を付けてきた時だけだし、その処罰も時が経つにつてれ次第に軽くなっていったらしいのですが。

 ちなみに、なぜ売春宿に鑑札が公布されたのかというと、当時(十八世紀)の売春宿は警察に営業を認めてもらわないとやっていけない・・・・・・・から、だそうです。そして売春宿の女将たちは、毎週警察に報告書を提出していた。そういった記録が、貴重な資料になったのですね。

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