中世ヨーロッパ その③

 今回は、キリスト教的な道徳観がいかに西ヨーロッパで幅を利かせていくか、という話です。


 まず最初に、西ヨーロッパでは性道徳の問題は聖職者や宣教師、修道士や修道女の手に委ねられるようになりました。そうしてキリスト教の精神に適うおセッセとはなにか、言い換えれば禁欲の基準について様々な方法で説かれるようになったのです。

 で、この教えに違反した者には、懺悔などの罰が与えられていました。最古の事例では、罪を犯した者が信徒の集会で他の信徒の前で懺悔し、罪の重さに応じて一定期間集会への出禁を食らったようです。初期キリスト教徒の間では、どの程度の罪が永久追放に価する罪かかなり議論されていたのですが、三世紀には姦通も赦されうる罪だと認識されるようになったそうな。


 キリスト教の勢いが広まっていくと、公衆の面前での罪の懺悔は告解という形に移り変わりました。罪を犯した者は聴罪司祭に直接懺悔し、聴罪司祭は罪を償うための罰を課した上で、悔い改めた者を赦す。赦されうる範囲の罪を悔い改めたのなら、夫は姦通や売春の罪を犯していても、妻を再び受け入れるよう求められたそうです。

 ただし、罪を犯した者に相応しい罰を与えるための手引書――告解規定書の著者たちは、同じ罪を犯しても一般的に男よりも女に対して悪感情を抱いていたそうな。

 例えば、初期のキリスト教教会では姦通した女性は破門されたそうなのですが、男もそうだった、とは本には一言も書いてなかったんですよね……。お前らならそう来ると思ってたぜ、初期キリスト教! お前はまったく、(悪い)期待を裏切らないよな!


 なにはともあれ、初期キリスト教教会では、罪深い行いの中でも様々なランク付けがされていました。中でも不法だと見做された性行為は、殺人や偶像崇拝と同列の悪しき行いだとされていて、この罪を犯そうものなら世俗の法律によって罰せられた上に一年間の苦行をしなければならなかったのだとか。


 いきなりですが、ここから話の流れは中世に差し掛かります。キリスト者の立場からしたら、売春は道徳上の見地からも神学上の見地からも、当然取り締まって然るべき行いです。ですが中世の聖職者は、かの聖アウグスティヌス先生が売春を必要悪として容認していたため、偉大なる先人に倣うべきではないかとも考えるようになりました。現実的な見方をすれば、娼婦がいなくなったら必要悪が受け止めてくれている悪徳が、社会に溢れだしてしまいますものね。

 また当時の聖職者は、女性は男性よりも性の誘惑に弱いので、彼女らがそういった衝動に動かされ、身売りに奔るのもやむを得ないとも考えていたそうです。この論理から行くと、女を監視し罪を起こさせないようにするのは男の役目。たとえ売春の罪を犯した女がいたとしても、彼女は自分の中の衝動に従っただけ。罰さなければならないのは、そういった弱い存在をエサにして金儲けを企む連中(女衒や売春斡旋人、娼館の経営者)や常連客ということになります。

 まあ、なーんてことを言ってたわりには、中世西洋の教会法学者の方々は、女性が性欲を満たしたいという本能から身売りしたとしても、情状酌量の余地なしとしていた。むしろ、売春婦が性の悦びを感じれば感じるほど罪は重くなるとしていたそうなのですが。あれれ~、さっき言ってたことと話が全然違うぞ~?(某身体は子供、頭脳は大人の探偵風に)


 凡人には理解しがたい思想をお持ちだった、中世西洋の教会法学者先生方が、売春婦に同情する事例はただ一つ。両親もしくは法的に監督権を持つ人間から、売春を強要された場合のみ。でなければ、たとえ飢えて死んでしまいそうな状況だとしても、どんなに悲惨な境遇に置かれていたとしても、売春で生計を立てるのは悪い事だ。と、当時の教会法学者先生方は主張していたそうです。盗みや殺人を犯した場合は、貧しさや悲惨な境遇故であれば、減刑されていたのに。

 ところで、キリスト教って自殺を禁じていましたよね? 身売りすれば明日のパンを買う金が手に入るかもしれないのに、そうしないで死ぬことは自殺に当たらないのでしょうか? いやね、実際にそういう境遇に置かれたとして身売りしてでも生きるかそのまま死ぬかを選ぶのは、個人の自由だと思いますよ。でも、明日の食い扶持に困ったことなんてなさそうなお偉方から「飢え死にしそうな境遇でも、売春するのは悪」なんておべんちゃ……ありがたいご高説を賜われても、ねえ……? ナットクデキナイナー。


 また、同じ命を繋ぐでも、自分の身体を売った金でパンを買うのと、盗んだ金でパンを買うのと人を殺して得た金でパンを買うのでは、後の二つの方がよっぽど罪深いような気がするのですが。身売りは誰のことも傷つけてないし損もさせてないけど、盗みと殺人は明確に誰かを傷つけているのに。

 なのに、中世西洋の教会法学者先生方は、貧しさゆえの盗みや殺人には情けをかけても、売春には一欠けらの慈悲も垂れなかった。いやはや、全く理解しがたいですね! ま、教会法学者先生方の素晴らしいおつむにかかれば「貧しくて飢えて死にそう」という状況も「真摯に神に祈れば助けてくれるはず! 救いの手が差し伸べられないのは、お前の信仰心が足りないか、過去に犯した悪行のせいだ!」ということになるのかもしれませんが。神はまこと慈悲深いですね!


 そんなこんなで、中世西洋の娼婦はローマ帝国時代と同じく、社会的地位はほとんど認められない。売春で得た収入の所有を除いては法的な権利も認められないし、その上料金を正式に受け取っていなければ、客に支払いを強制することもできない。法律を順守する義務さえ与えられず、教会法で他人の罪を告発する権利も財産の相続権もない。自分が告発されても直接答弁することは許されない(だから代理人を立てる)存在でした。

 けれども娼婦は、中世西洋社会から消え去ることはなく、逆に蔓延していきました。この背景には、教会法に関わる聖職者自身が売春と無関係だったことや都市化。はたまた男性だけの大集会が開かれたりしたなどの、様々な事情があります。娼婦は客がいればどこへでも、十字軍や聖地巡礼にさえ行ったそうです。時には男装して、また時には、身体を売って旅の費用を購いながら。

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