中国 その①

 皆さま新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします<(_ _)>


 では早速、新年には全く相応しくない話を以下から初めていきます。

 まず、中国において人々の思考に影響がある教えには儒教・道教・仏教があります。で、大体の中国の人は、このうちのどれかの価値観を重視するのではなく、ある時は儒教的、またある時は道教的なものの考え方をしてきたそうです。ま、ここらへんの事情は日本人にも通ずるものがありますよね。

 儒教における女性観は「三従の教え」「男女七歳にして席を同じゅうせず」という言葉を頭の隅に残していただければ、この場でくどくど述べる必要はないと思います。なのでカットさせてください。仏教についても、中国に伝来し広められる――中国仏教が成立する過程で、中国の伝統的な価値観に合うように教義の取捨選択や修正がされ、女性観については儒教に近いものになったそうなので、省略いたします。道教についても、「妊娠出産する力がある女は男よりも神秘的な力が強いとされていた」とざっくりとまとめさせてください。

 上記の中国における二つの伝統的な女性観は一見矛盾していますね。ですが、中国の人々は男女の社会的地位においては儒教の伝統、性的な関係においては道教の伝統に従うという風に巧みに使い分けてきました。ま、どの観点に立とうが中国の女性が敬意を払われるのは結局のところ、子供、特に男児の母親としてなんですけれどね。男の子を産めない⇒その家の先祖を祀る人がいなくなっちゃう=儒教的には祖先に対する最大の不孝なので。

 だからこそ現代でも、中国の人は女の子よりも男の子を欲しがるのです。ただ、この辺りの事情は現在では以前(それこそ世界大戦前とか)と比較すれば薄らいでいるかもしれないなあ、と何の根拠もないながら私はぼんやり考えています。儒教は文革でメタメタにやられちゃいましたから。

 ちなみに、なぜ祭祀が途絶えるのが駄目なのかと言いますと……。「儒教とは何か 増補版」という本によると、儒教では祭祀を行っている時は天上に行っていた故人の魂と、地下に行っていた故人の魄が再び融合して生きている時と同じ状態になると考えられている。つまり、自分の男系の子孫が続く限りは、死し肉体が朽ちたとしてもある意味永遠に生き続けることができる。でも逆に、自分の代で家系を絶やしてしまうと……ということなのだそうです。なお、これまたちなみに、一般的に「孝」と言うと父母への献身だけのように考えられているけれど、儒教的な「孝」とは、


 ・祖先の祭祀

 ・父母への敬愛

 ・子孫を作ること(自分に子や孫がいなくても、血が繋がっている=祖先の祭祀をできる一族の者がいればOK)


 の三つをひっくるめたものなのだそうです。ということはつまり、現代日本人のほとんどは「祖先の祭祀」の時点でアウトになるでしょうから、誰かに「不孝者!」とか言われても華麗にスルーしましょうね! だって本来の意味から考えたら、現代日本人のほとんどは不孝者なんだもの!


 まあとにかく、中国の伝統的な価値観では性行為とはまず第一に跡継ぎとなる男児を儲けるために行うものだったのですが、女性が持つエネルギーを吸収して男性の活力を強化するという観点からも重要視されていました。「男は挿れても我慢して出さなきゃ、身体が丈夫になって長生きできる!」「おセッセの時油断してると、相手に精気を吸い取られて干からびちゃうぞ☆」な房中術の出番がきましたね~。

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