インド その②

 インドの高級娼婦は、古代ギリシアのヘタイラ同様、相反した存在でした。社会的な地位は低いけれど、きちんとした・・・・・・女性は身に付けなくなった芸術の守り手としては敬意を払われる。古代インドの金持ちは、そういった教養ある遊女を娘の家庭教師として雇い入れることもあったそうです。まあそれも、前回で述べたような結婚事情のために次第に少なくなっていったそうなのですが。

 

 サンスクリット語には娼婦を意味する言葉が330もあるそうです。で、実際インドには多種多様な階層の娼婦がいました。インドの娼婦のうち、最も地位が高いのがヒンドゥーの寺院に祀られた神に仕えるデーヴァダーシー神の侍女です。

 デーヴァダーシーの慣習は三世紀には既に広く行き渡っていたけれど、正確にいつ頃始まったのかというと、議論が分かれているのだとか。ただ、デーヴァダーシーのような女性たちが寺院に置かれたのは、お清めなどの宗教的な儀式に歌や楽器の演奏が必要とされたため、なのだそうです。ただ、それだけでは報酬が少なくてやっていけないので、副業として売春を始めるようになった。すると今度は寺院側がその収入を当てにして、売春をさせるために女性を買い入れるようになった……というような経緯があったのだとか。


 デーヴァダーシーは、寺院に買われた女性や、親から寺院に捧げられた女性、はたまたデーヴァダーシーが産んだ娘がなりました。自分の娘を寺院に捧げるのは(寺院に捧げるために娘を買うことも)善行だと認識されていたためか、そういう親もいたのです。最初に生まれたのが女の子だった場合は、次は息子が生まれることを願って。はたまた何かの誓いの証として。ただの厄介払いとしても。

 また他にも、寺院側が神の象が町を練り歩く間(祭りの時なんでしょうか?)に、目に留まった最も美しい娘に声をかけることもあったそうな。で、司祭は目を付けた娘の夫や両親に話を持ちかけます。断られた場合は、他の候補者の家族に声をかける。こうして寺院は、デーヴァダーシーを集めたのだそうです。


 上記のような経緯があって寺院のものとなった娘たちは、たったの七歳程でデーヴァダーシーの世界に入ることになります。ただし、前回述べたように十歳での結婚が珍しくなかったのなら、当時の価値観でだったら七歳というのはそんなに幼いというようには感じられなかったのかも? いや、やっぱり駄目ですわ! なぜなら下記の事情があってですね……。 

 ヒンドゥー的な価値観では女性には結婚が必要であるため、デーヴァダーシーとなった少女たちは神的なもの――神に限らず、インドボダイジュや短剣や刀といった無生物の場合も――との形式的な結婚式を執り行います。

 こうして頸に既婚の証を結んだ少女たちは、儀式として司祭に処女を破られたり、石の男根像を跨がせられたりして、処女ではなくなります。……淡々と書きましたが、大分しんどいものがありますね。しかも、時に特権階級の顧客や寺院の庇護者にも、デーヴァダーシーとなった少女たちの破瓜の儀式を行うことが許されたというのですから、もう……。私は常々、幼児に性行為を行うような輩のブツは切り取ってしまえばいい、と思っています。というか、そんなヤツは生きてる価値がないから死んでくれ。

 私がデーヴァダーシーについて触れた本を読むのはこれが最初なのでググる先生でも調べてみたのですが、デーヴァダーシーは伝統舞踊の継承者、という見方もあると述べられていました。また、全員が全員身売りしていたわけでもない、とも。という訳で、上の方で述べてきたことは最悪の事例なのかもしれませんが、でも、ねえ……。デーヴァダーシーは彼女を奉納した家族の収入源にもなっていたようなので、幼い娘に身売りさせることへの、都合がいい言い訳でしかないような気がします。


 ……何はともあれ、寺院に迎えられた少女たちは、司祭によって踊りや手管を仕込まれ、一般の人々に供されることになります。売り上げは司祭の手に渡り、デーヴァダーシーが産んだ子は、全て寺院のものにされる。またデーヴァダーシーは先輩たちから受け継いだ舞踊を人々の前で披露するほか、掃除などの寺院の雑務も担うのです。

 そしてデーヴァダーシーが年を取ったら、「神が年を取り過ぎた妻に飽きた」という神託を受け取ったという司祭が、彼女らと神との離婚を宣言する。離婚を宣言された元神の仕え女の腿や胸には、一定の期間神の正当な妻として忠誠を尽くした証として、真っ赤な焼き鏝で印をつけられます。それだけでも「うわあ……」という感じですが、その後彼女らは「哀れな女に情けをかける一般庶民に推奨された」(左記原文ママ)というから……。

 これってつまり、神の名の下に幼い頃から散々虐待して搾取してきた女の子が、成長して年を取って売り物にならなくなったら、その建前を剥ぎ取る。だけどなお搾取するってことですよね? 胸クソ悪すぎるわ……。これもまたケースバイケースで、上記のは最悪の例だったのかもしれないけれど。でも……。


 デーヴァダーシーに関しては、ヒンドゥー教徒の間でも批判の声があったようで、ヒンドゥーの改革者の多くは寺院に踊り子を置くことを非難したそうです。ただし、その理由は彼女らがいると儀式の神聖で敬虔な雰囲気が台無しになり、義務を果たしに来た巡礼者の邪魔になるから、というものですが。だけどデーヴァダーシーって現代においてもなお存在しているんですよ……。

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