インド その①

 今回から東洋・インド編に入ります。今までは何だかんだで狭義のオリエントの宗教の影響がある地域ばかりだったので、なんだか新鮮ですね。


 ヒンドゥーの経典における女性は、男性にとっての喜びであると同時に苦しみの種。「ラーマーヤナ」では、創造主は体格も性も同じに作られていた人間から最上の部分を取り出し組み合わせて女は作られた、とされているそうです。でも他の箇所では女性の起源について、「女は悪いものの寄せ集めである」と、まるきり反対のことが言われているのだとか。

 なんでも上記のような経典が書かれた頃のヒンドゥー社会では、息子は家族の希望の星だけれど娘は家族のお荷物。女は独立した存在としては見做されず、女として生まれたのは前世における罪の報いだと考えられていたそうなのです。


 かつてのヒンドゥー社会では、娘や姉妹を結婚させるのは男性にとっては果たさなければならない、宗教的な意味も含んだ義務のようなものでした。どのくらい重要なのかというと、未婚のままで死んだ娘がいた場合、遺骸の前で形だけの結婚式が行われることも多々あったぐらい。熱心なヒンドゥー教徒の親は、結婚という神聖な儀式をなんとしても娘に体験させねばと、娘の結婚相手探しに躍起になったそうです。

 また、娘を嫁がせる前に父親が死ねば、母親も慣習として亡夫を焼く火に飛び込んで殉死させられてしまうので(サティ―)、残された娘は庇護者を失ってしまうことになりかねません。

 こういったもしもの場合に備えて庇護者(夫)を早くに見つけておくという目的もあり、ヒンドゥー社会の女性の結婚年齢は低下していき、紀元前五百年頃には十歳前後での結婚が奨励されるようになりました。果てには花嫁が五、六歳という光景も稀ではなくなったのです。が、早婚の傾向は女性の自立と教育を受けるチャンスを大いに奪っていきました。ついでに、教育の程度そのものも低下してしまいました。このような状況を指して、インドのさる婦人は「女が男から解放されるのは地獄だけ」と嘆いたのだそうです。


 上記のようにかつての(もしくは今でも)ヒンドゥー社会の女性を取り巻く環境は大分しんどいのですが、女性が性の悦びを楽しむことが許されてもいました。まあ、じゃなきゃ「カーマ・スートラ」なんて書かれませんよね。処女性も特別重要視されていなかったし、男性は苦行の一種として禁欲することが認められていたけれど、女性が禁欲するのは良くないことだと認識されていたそうです。

 古いインドの諺によると、女の食欲は男の二倍で、悪知恵とはにかみは四倍。意志の強さや大胆さは六倍で、性欲や性の悦びは男の八倍。性の悦びがなければ、女の身体はうずき、嘆き暮らすことになる。愛は女の全存在を満たし、しっかりとした誠実な人間にしてくれる。愛は深まるにつれて相手を想う心と深く融け合うのだ……と。

 ただし、ヒンドゥー社会では次第に女としての愛の最上の悦びは結婚相手を通してのみ得られるのだと強調するようになりました。また夫以外の男と関係を持った人妻は、売春した未婚の女と同じく、所属していたカーストから追放されたそうです。つまり貞淑であれということですね。そもそもサティ―もそういう風習ですし。

 結局のところヒンドゥー社会でも、女は貞淑な妻となるか娼婦になるかしかなかったのです。また、上記の早婚が進んでいったという事情もあり、多少とも自立した女性とえばアウトカーストの者であることが多くなりました。また女性が軽視されるようになり、一般的な女性に与えられる教育の質や量が低下するようになると、男性の目は自立した女――教育を受けた高級な娼婦に向いていくようにもなったのです。



 

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