>「男性の後ろ暗い想い」って、多かれ少なかれ賢者タイムのことを指しているのでは?
ここ爆笑です。気持ちいいことの後にほのかな、やっちまった感がおとずれる。
でも、やっちまったと男が思うには、奥さんを下にみていたらこんな気持ちもたないですよね。
作者からの返信
えへへ、爆笑していただいてありがとうございます!!! 私もう、このくだりを見かけた時からそうしか考えられなくなっちゃったんですよね~(笑)
賢者タイムは、コミュニケーションとして性行為を行った場合は感じにくいらしいのですが、この時代ではコミュニケーションとしての性行為などクソくらえ! という感じだったでしょうから、古代ローマのほとんどの男性は賢者タイムに振り回されて生きていたのでしょう。きっと、たぶん。
古代ギリシアの女性の固有名詞って、本当にほとんど伝わっていないですよね。
そう考えると、古代ローマは皇后を筆頭に、有名な女性が多い印象です(*´▽`*)
作者からの返信
私も古代ギリシア編に着手する前は、古代ギリシアの女性といえばクサンチッペとアスパシアしか知らなかったです。しかも悪妻とヘタイラという、決して「良い」とは称されない類の女性……。そして今でも、古代ギリシアで美徳で名を残した女性というのが、とんと思い浮かばないのです。大して古代ローマでは、初代皇帝アウグストゥスの妻リウィアやアウグストゥスの姉オクタウィアのように、美徳を讃えられた女性の名が残っているというのは、素晴らしいことだなあ、としみじみしてしまいます。……それにしても、アウグストゥスの娘のユリアって、身の回りに二人も賢婦人がいたのに、どうしてああなったんでしょうね。
身分を偽って売春婦のふりをした皇妃の話もありますが、はたしてどこまで本当なのか、政敵が流したフェイクなのか、今となっては確かめようもないですが、「女性の実名が歴史に残る(○○の妻とかではなく、ファーストネームの残る)」という一点をもってしても、ギリシャやエジプトよりかは女性の立場はずっと強かったように思えます。
作者からの返信
クラウディウス帝の妻のことですね! あの人の逸話は本当だったらすごいけれど、古代ローマの宮殿の警備ってそんなにザルだったのかよ、と思っています。いくらなんでも皇妃が夜な夜な宮殿抜け出せる訳はないだろう、と。だから私はむしろ、あの逸話を最初に言いだした人の性癖の方が気になってます! それはただのお前の性癖なんじゃないか、と(笑) 他にも、古代ローマの人々の逸話って、現代日本のエロ同人も及ばないようなやつが色々ありますよね~。
ただやっぱり、明弓ヒロさんがおっしゃるように、古代ローマの女性の立場は、古代ギリシアエジプトの女性の場合よりもずっと強かったんだろうと思っています。そういえば日本は、平安時代でも女性の個人名は殆どわかっていませんね……。
古代ローマ社会では、1歳までの乳児と新生児死亡は、3人に1人の割合。高年齢出産など医学が発達していない時代で、女性が子供が産めるせいぜい40歳未満までに生き残っているのは、100人中30人。
つまり、合計特殊出生率が5~7人くらい以上じゃないと、人口が減少してしまうことになります。
21世紀の定義では、合計特殊出生率は、15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計したものですが、平均寿命(35歳)の短い古代ローマでは、初潮の始まる妊娠可能な12歳ぐらいからアラサーぐらいまでの女性の年齢別出生率の合計が5~7人くらい以上でないと村の人口が減ってしまうということになります。
田所米子さんの上記の記述では「妻がいるのに妾を囲う男はほとんどいなかったし(大がかりな支度と手順、費用が必要だから)、場合によっては女奴隷と関係を持つのも非難された」とのことですが、それだと古代ローマの合計特殊出生率5~7人以上が保てず、超少子化となったと思われます。実際は、一夫一婦制度のローマでも妾、女奴隷にかなり子供を産ませていたのではないかと推測しますが、どう思われますか?
参照:https://note.com/beaty/n/nedc93e14afb8
作者からの返信
フランク・ロイドさん、ご高覧とコメントありがとうございます(*^-^*)
このエッセイは私が創作の参考にすべく、持っている本の内容をまとめていっているものです。なので私個人としては、「こういう説がある」ぐらいの認識をしています。この章の参考文献は特に古い(私よりも年上)本でした。参考文献が書かれた時代と比較して、フランク・ロイドさんが参考にされている資料が書かれた時は、研究が進んで新説が出たのでしょうね。もし面倒でなければ、参考文献をコメント欄で教えていただけないでしょうか?
また、古代ローマは(そもそもいつからいつまでを古代ローマとするかも諸説があるようですが)王政期から数えれば気が遠くなるほどの間長く続きました。同じ古代ローマでも、例えば勃興期と衰退期では出生率も死亡率も、また価値観も違って当然だと考えています。ですから、古代ローマのいつについての資料を参考にしているか、によっても導かれる結果は異なるものになるでしょう。同じ時代でも、階級によっては婚外子に対する価値観がまるきり異なっていた可能性もあると考えています。参考文献ではこのあたりがあまり分からなかったのが実は少し不満でした。なのでもし参考文献を教えていただけるのでしたら、このあたりが明記されているものを教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします<(_ _)>