古代ローマ その③

 今日は古代ローマの高級娼婦についてです。

 古代ローマでも高級娼婦は売春婦のヒエラルキーのトップでした。古代ローマの男たちは経験豊富で機知に富んだ彼女らで十分満足していたので、あえて素人を漁る気にはならなかった、とも言われているそうです。ま、古代ローマでも普通の娘や他の男の妻と火遊びするのは危険なことだったそうなのですが。

 古代ローマの高級娼婦の中には、年単位で雇われるなどして愛人として長い間ひとりだけを相手にしたり、文学に名を残した者もいます。ですがそれでも古代ギリシアのヘタイラのような地位は築けなかったし、そもそも基本的には彼女らが表舞台に出ることも許されていませんでした。だからたとえ地位と権力がある男の愛人になれたとしても、古代ローマでは高級娼婦は基本的に日陰の存在だったのです。


 なぜ古代ローマではヘタイラのような高級娼婦が存在しなかったのかというと、古代ローマ人は妻や母を古代ギリシア人よりも遙かに重んじていたし、古代ローマの女性は古代ギリシアの女性ほど世間から隔絶されていもいなかったから、だそうです。

 古代ローマでは、いわゆるまともな女性は商売や政治活動において重要な役割を果たすことができたし、夫に従って外出することもできた。つまり、古代ローマの妻たちは、十分に夫を機知に富んだ会話で楽しませることもできたのです。と、いうことは古代ローマの男性が高級娼婦や愛人を抱えたのは、ひとえに性欲ゆえであり、だからこそ古代ローマの娼婦や愛人は日陰の存在だったのでしょう。


 ところで、古代ローマでは(あるいは古代ローマでも)結婚というのは普通同じ階級の間で行われるものであり、属する階級が異なれば結婚が認められないこともあった。そうなると、法的には夫婦ではないけれど、実質は夫婦。いわゆる内縁関係の男女が当然生じてきます。二十年の契約が終了するまでは正式に結婚できない兵士などは、特にその傾向が強かったそうです。

 また、古代ローマの有力者も、再婚よりも内縁の妻を囲う者が多く、そうして生まれた子が蔑まれることも特になかったようです。たとえばローマ皇帝としては初めてキリスト教徒になったコンスタンティヌス一世の母・聖ヘレナは内縁の妻だったそうです。

 でも、妻がいるのに妾を囲う男はほとんどいなかったし(大がかりな支度と手順、費用が必要だから)、場合によっては女奴隷と関係を持つのも非難されたようです。「カルタゴ滅ぼすべし!」という演説で有名な政治家・大カトーは、妻の存命中に女奴隷に手を付けたところ、息子夫婦から非難の眼差しを浴びせかけられたそうなので。まだ正妻が生きているのに何事か、と。そりゃあ、息子にしてみれば嫌でしょうねえ……。ちなみに、古代ローマの愛人の多くは明らかに奴隷出身だったそうです。


 こんな感じで、古代ローマにおいて娼婦を買ったり愛人を抱えたりすることは、決して許されないとまではいかないけれど、後ろ暗い想い(ところで私思うんですけど、この手の話題での「男性の後ろ暗い想い」って、多かれ少なかれ賢者タイムのことを指しているのでは?)を伴うものだった。それでも男性は娼婦を買ってもOKだったけれど、古代ローマの貴婦人たちに男性同様の性の自由と権利が与えられることはなく、結婚するために意中の奴隷男性を解放することも基本的には禁じられていたそうです。

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