結婚 ③
前回では唐代(に限った話ではないけれど)の離婚がどれだけ女にとって不利だったのか述べましたね。でもその一方で唐代は、夫婦の性格の相性によっては協議離婚したり、女の方から、もしくは妻の実家の方からでも積極的に離婚を要求できる時代でもありました。協議離婚の方は、法律で保障されたれっきとした権利でもあったのです。
ただ、協議離婚はともかく、女性の方から離婚を求める際は、きちんとした理由がないと罰せられることがあったようです。
例えば、「旧唐書」の列女伝には、老父が失明したので、父の世話をするために家に戻りたいという理由で離婚を求めた女性の逸話が載っています。これは「列女伝」に載っているのだから、当時さぞかし称賛された行いだったのでしょう。ですが一方で、「夫は学問好きだけど家が貧しいので、官庁に行って離婚と再婚の許可を求めた妻がいた。その妻は離婚と再婚は許されたが、杖で二十叩きの刑に処された」なんて記録も残っています。
でも一方で、姑と喧嘩したから自分から離婚届をくれと要求した妻の逸話や、夫が病気になったから妻の実家が離婚を要求した(夫の病気が癒えた後は復縁した)という逸話も残ってたりするんですよねえ……。主人が遠くに旅に行った間に、主人の帰りを待とうせず、他の男と結婚した妾の話とか。主人と一緒にいるのが嫌になったから、という理由で他の男と結婚したいと主人に求めた妾の逸話とかも。まあ、ケースバイケースだったのでしょう。
さて、敦煌文書には放妻(妻を離縁する、という意味。それにしてもまんますぎるぐらいまんまですね……)の文書が三つ残っています。その内容はいずれも
「夫婦が仲良くできないのは前世で仇同士だったから。一緒にいても楽しくない、家業も盛んにならないのなら、離婚してそれぞれが別の良縁を求めた方がよい」
という感じだそうです。あとこの離婚書において興味深いのは、離婚した後に妻が良縁を掴んで再婚し、幸せになれるようにという内容を盛り込んでいるところ。このことから、唐代の人々は離婚や再婚について開明的な考えを持っていたことが分かります。
また、夫に先立たれてしまった女性の再婚についても、唐代は政府が人口を増やすために寡婦の再婚を奨励していたこともあり、人情にあい道理にかなう正常なこととされていたそうです。だからこそ、貴族の娘や公主であってもごく普通に再婚していました。というか、最も自由気ままに再婚していたのは公主だったそうです。
寡婦の再婚は普通のことだったと考えられていたと分かる逸話を、ここで一つ。
楚王に封じられていた李霊亀という人の妃である上官氏(上官は位を示すものではなく、漢民族の姓の一つ「上官」を指すと思われます。則天武后の腹心の部下にも上官婉児という人がいます)は、夫の喪が明けた後に兄たちから「君はまだ若いし、子供もいないから、改めて他家に嫁いでもいいんじゃないか?」と勧められたそうです。
夫が王に封じられている、つまりは皇族の妃であった女性でさえ、寡婦となった後は再婚を勧められた。なおこの上官氏は、耳と鼻を切り落として亡夫以外の男には嫁がないと誓ったそうな。
唐代の風俗は爛熟しきっていたかもしれない。けれどこの上官氏のように、終生貞節を守ろうとした女性も僅かながら存在していたのです。ただ貞節を守る人よりも、汚す人の方が著しく多かっただけで。
唐も中期以降になると、皇帝たちは乱れ切った風潮を醜く恥ずかしいと感じるようになりました。封建道徳や貞節を称賛し、官府は貞女や節婦と呼ばれるに相応しい行いを表彰して奨励するようになったのだとか。
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