結婚 ①
唐代の女性は早くて十三、四歳で、遅くて十七、八歳で結婚していました。が、大抵はその間の十五歳ぐらいで結婚していたそうです。
唐代では女性が十八を過ぎると行き遅れと呼ばれていました。また、唐朝では初期から、人口を増やすために結婚適齢期に結婚するよう民衆の女性たちに言い聞かせていたそうです。
ところで、唐代(に限らず前近代以前のどの時代でも、何も地域を中国に限らずとも)の女子の結婚は親が決め、媒酌人の仲立ちによって行われていました。
ただし、唐代は他の時代と比較するとフリーダムな時代だったので、礼や道徳の束縛を受けない一般庶民の娘や、異性と出会う確率が高い労働する女性は結構自由に恋愛して好きな相手と夫婦になったり、親が許してくれなかったら駆け落ちしたりしていたそうです。また、士大夫などの高位の家でも、開明的な考えの親ならば、娘が選んだ相手を婿として認めることがあったのだとか。これも唐代の自由な気風が成せる技だったのでしょう。
なお、唐代の女性は恋人を選ぶ際は相手の文才を重視していたとか。逆に、男性ならば女性の容色を。これが唐代の典型的な恋愛観で、ここから後世で言われる「才子佳人」という恋愛パターンが生まれたのだとか。
このように、唐代の女性の結婚とは親の命令で決められたり、自分の意思だったり色々だったのですが、結婚する相手は前世や天の意思によって既に決められている――縁結びの神である月下老が、夫婦となる定めの男女の足を赤い縄で縛って二人を結びつける、とも信じられていました。例えば、「太平広記」という本にはこんな伝承が収められているそうです。
時は唐代。結婚したいのに、いざ話がまとまりかけたら何故かいつも破談になってしまうことに悩む青年・
以前から失敗続きの韋固は、この老人に現在進行中の縁談が上手くいくのか尋ねてみた。しかし老人は、この縁談は破談になるだろうと言う。老人曰く、韋固の運命の縄は、既に別の相手の足首に結ばれているらしい。
自分の運命の相手が誰か知りたくなった韋固は、老人に訊ねてみた。すると老人は、それはこの町で野菜を売っている老婆が連れている、三歳の女の子だという。早速未来の自分の花嫁の顔を見に行った韋固。しかし、未来の妻だと教えられた幼女は、お世辞にも美しいとは評せない容姿をしていた。
このことに怒った韋固は、その幼女を殺すように召使に命じ、運命を捻じ曲げようとした。召使は、幼女の眉間を一突きした。しかし結局、韋固の縁談はまた駄目になったし、韋固はそれから十四年も結婚できないままだった。
とうとう結婚できないまま、いい年になってしまった韋固。しかし彼はある年ついに、上司の美しい娘と結婚することができた。
韋固の妻となった娘は美しいが、眉間に傷があった。それは何かと韋固が尋ねると、娘は答えた。これは、幼い頃に野菜を売る乳母に背負われている時に、乱暴者に斬りつけられてできた傷だ、と。つまり、韋固の妻となった娘は十四年前に韋固が殺せと命じた幼女であり、結局韋固は天の定めを変えることはできなかったのである。
この話から何が読み取れるかと言えば、まず韋固がクソだってことですかね! こんなブサイク嫁にしたくないからって理由で三歳の女の子の殺害を命じるとか、クソすぎ。情状酌量の余地なし。というか、韋固のクソさばかりに目が行って、本来この話が伝えたかったであろう意図「所詮人間は運命には抗えない」が正直霞んでしまっている。なお、この話が運命の赤い糸の由来だったりします。ロマンスの欠片もない。
なおこの伝承は、韋固は過去の罪を妻に打ち明け、妻は韋固を赦し仲の良い夫婦になって、二人の間には子供も生まれた……というハッピーエンドだからなおのことモヤモヤします。韋固にこれといった罰が下っていないし、いい年になるまで結婚できなかったことを「罰」と見做しても軽すぎるから、余計に。
さて、モヤモヤする話はここまでにして、話を元に戻しますね。前の方でも述べたのですが、唐代は「門当戸対」や「当色為婚」と言って、結婚する際は自分と相手の家柄が釣り合うかどうかが大変重視されていました。良民と賤民の結婚なんてもってのほかだし、良民の中でも同じ階層の者同士で結婚するのが当たり前。
ただ、唐代は前の時代よりは貴族と庶民の区別が厳格ではないので、地位が低くても新郎になる男に才能や財産があれば、その男に娘を嫁がせる名族の父がいたのです。そして唐代は、則天武后の治世で科挙制度が発達していったこともあり、高貴な家でもだんだんと娘の結婚相手を選ぶ際は、家柄よりも財産や文才を重視するようになった。
逆に、妻選びの際に重視されるのは表向きは徳だったけれど、本当の所は容姿だったそうです。しかも、才子や名士と言われる男ほど、美貌を重視した。妻を選ぶ時でさえこんな感じだったから、妾を家に入れる時は、一層容貌が重視されました。
他に妻を選ぶ際に重視されるのが、男性の時と同様財産でした。なので、貧しい家の娘は中々嫁に行くことができず、苦労したそうです。でもこれは、次代や地域を唐に限らずとも、世界中どこでも、いつの時代でも観察できる現象ですしねえ……。
もう一つの結婚に関する社会問題と言えば、親が娘の結婚相手の家柄と財産を重視するあまり、多くの「老いた夫と若い妻」を生み出したこと。でもこれも、何も唐に限った話じゃないからなあ……。
まあ色々あったけれど、唐代ではだんだん婿選びにおいて家柄よりも才能・財産が重視されるようになった。この裏事情については、私が今読んでいる本「中国の宗族と祖先祭祀」で分かりやすい説明が述べられていたので、「唐の行政機構と官僚」の内容で補足し、以下で纏めます。
中国では、唐以前――魏晋南北朝に貴族の力が強大になり過ぎたことから、朝廷が貴族の力を削ぐ改革をいくらか行った。また、同じく魏晋南北朝期に起こった乱や、隋末の農民反乱により貴族が大量に殺害されたことから、唐朝初期には魏晋南北朝期からの貴族はすっかり没落してしまっていた。
生き残った旧貴族(門閥貴族)は、昔日の家柄と名望を利用し(その家の娘を娶れば、自分の家柄に箔が付く)、多額の結納金と引きかえに、新貴族(官僚貴族)と縁組していた。このことについて、唐朝は幾つかの措置を講じた。つまり、結納金の金額を決め旧貴族の財源を減らし、唐朝三代目皇帝・高宗は上級貴族同士の婚姻を禁じた。※ただ、高宗の施策は却って旧貴族の社会的地位を引き上げる結果となったし、効果も限定的だった。
また、唐朝は旧貴族に打撃を与える一方で、新貴族を持ち上げる施策も講じた。貴族名鑑みたいなものを作る際、唐朝の官僚を重視して、現在の官爵の高下のみで貴族の等級を決め、幾つかの旧貴族の貴族の資格を取り消した。官位を持たない旧貴族の支族は、名鑑に記載されないこともあった。また、軍功があり、五品の官位に達した者は、誰でも貴族になることができた。
唐代では、科挙出身の官僚が幅を利かせるようになった一方、父祖が有爵者、あるいは五品以上の官職についている場合は、その子孫は無条件で父祖より数段下の官位に就けるという「任子」または「恩蔭」という制度が残っていた。しかし次第に、政府も世間も任子で官僚になった者を馬鹿にするようになった(当然)ため、貴族の子弟でも出世するためには科挙に合格しなければならなくなった。
つまり
唐より前の貴族
・長きに渡って文化と家風を積み重ね、代々官僚を輩出してきた家柄。なるのは難しいけれど、一度貴族になってしまえば、その地位を長期に渡って安定させることが可能。
・官爵を得るには無論有能でなければならなかったけれど、個人がその才能を認められるには、第一に貴族でなければならなかった。貴族でなければ、出世するためのスタートラインに立てない。
だったのが、
唐代以降の貴族
・出仕し、五品以上の官僚になって初めて貴族になれる。たとえそれまで代々五品以上の官僚を輩出した貴族の家柄だとしても、次代がボンクラだったりしたら、一気に落ちぶれてしまう。つまり、貴族になるのは前の時代よりも簡単だけど、貴族じゃなくなるのも簡単。加えて、頑張ればどんな賤しい家の子でも貴族になれはするから、貴族の高貴性も減じていった。
・唐より前の貴族はその家の者全てが、徴兵の義務や納税の義務を免除されていたが、唐朝では五品以上になって初めて特権を受けられるようになった。
・科挙は当人の文化的教養を重視したので、子弟を勉強に専念させる余裕がある貴族の家の方が科挙合格者を多く出した。だがそれは、「貴族だから」科挙に合格したのではない。平民の子でも、貴族の子でも、あくまでスタートラインは同じ。
・魏晋南北朝期に始められた土地制度は、貴族が荘園に大量の従属民を抱え込むことを可能にしていた。だが唐代では小作制が発達していったため、貴族の経済力は失われていった。
ただ、唐代の科挙はあくまで門閥貴族が官僚貴族になるのを促進しただけで、皇帝を頂点とする官僚制ピラミッドが樹立されるのは宋代以降のことだった。また、安史の乱や唐末の農民戦争を経て、貴族たちは益々減っていった。
そして、唐の滅亡から五代十国時代の目まぐるしい政権交代を経て、旧貴族(門閥貴族)は絶滅した(=子孫はいても没落してしまっていて、先祖のような富貴な生活は送れなくなった。もしくは生き残るために官僚貴族になっていた)と断言してもよい状況に追い込まれた。
そうです。長かったですね! まあ、私が伝えたかったことをざっとまとめると、「唐代は中国の貴族制のターニングポイントだった」ということ! あと、中華風ファンタジーを書く際には、モデルにする時代が唐より後(宋代とか)だったら、貴族(=門閥貴族)は出せないんじゃないかな~ということ。このまとめのキャッチコピーは一応、「もしかしたら創作に役立つかもしれない無駄知識をあなたに」なので。完成された科挙制と貴族制というのは、両立できないのではないのでしょうか。
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