尼僧、女道士、巫女 ②

 出家した女性は深い教養を身に着け、宮廷や王府、貴族や高官の屋敷に出入りして、軍事や政治に参画し、天文や人事について占ったりします。そして宮中の陰謀に参加したり、はたまた自分が軍師のような役割を果たしたりするのです。←唐末、節度使間で争い合っていた頃、ほんとに軍の実権を握った尼僧がいて、しかもこういうことは決して少なくなかったのだとか。

 ただ、前回述べたように、出家した女性は基本的には生産活動には従事せず、国家からの支給品やお布施に頼って生活します。唐代では、初代皇帝である高祖が「戒律を守り、修行を頑張る尼僧や女道士には、衣食を提供すべし」と定めていたのです。


 しかし、奴婢を使ったり、土地を買ったりの豪奢な生活をする一握りの者がいる一方で、大多数の者は清貧というよりも極貧に近いような生活を余儀なくされていました。

 でもそれでも、家庭や夫や世俗の倫理道徳から解放された彼女たちは、唐代ではもっとも自由で独立していた女性たちだったのです。中でも女道士なんかは、一説によると娼妓に近かったぐらい。たとえば出家した道士になった玄宗の妹は、常に宮廷に出入りして玄宗や高官や貴族たちと一緒に遊んでたそうですしね。他にも、当時の社交界の花だった女道士はいて、彼女らは自由に名士たちと愛しあっていました。

 唐代の宗教の戒律が比較的ゆるかったことも手伝って、女道士や尼僧が異性と交際するのはごく普通どころか、風流だと誉めそやされていたからこその行動でしょう。前述のように女道士や尼僧が恋愛するのはごく普通のことだったので、還俗して恋人と夫婦になる女道士や尼僧も珍しくありませんでした。


 交際だけでなく、女道士が化粧をするのも普通のことで、綺麗に化粧した女道士を目当てに、当時の上流階級の子弟はこぞって道観に行っていたそうです。これも、唐代ならではのことでしょう。ただ、何事も度が過ぎると罰を受けることがあります。ある皇帝はお忍びで道観に行ったところ、そこの女道士たちの化粧がケバかったことに怒り、彼女ら全員を追い出すように命じたそうです。


 唐代の女道士や尼僧の振る舞いは、宗教的な観点から見れば決して褒められたものではありません。でも、そもそも彼女らの大半は望んでではなく生きるために出家したことを思い出してください。生活が安定したのなら、かつては生き延びるだけで精いっぱいだった人生を楽しもうとするのは、人間としてごく普通のことです。やむを得ず出家した女性の中には、年若い女性もたくさんいたでしょうしね。


 最後に、タイトルにあるのにほとんど触れていなかった巫女についてさらっと述べていきます。こういった巫女は、女道士や尼僧同様に貧しい下層階級の出身者がほとんどで、巫術によって生活していたそうです。死者の霊魂を読んだり、人相を観たり、病を治したり、雨乞いしたり。他にも吉凶を占ったり、神を降ろしたり。古今東西、シャーマンに求められる役割は非常に似通ったものですが、それは近代以前の人間にとって天候の如何や病が治るかどうかが極めて重要なことだったからなのでしょうね。亡くなった大切な人に会いたいというのも、自分がどのような未来を辿るかということも同じ。


 巫女が活躍していたのは、主に当時の社会では底辺とされる層でしたが、中には皇帝に隴西夫人(現在の中国甘粛省には、かつて隴西という郡が存在した)に封じられた巫女もいたぐらいですから、一概に巫女は女道士や尼僧より地位が低かったとは断ぜられないでしょう。


 ……実は、これでようやく本の半分の内容をまとめたことになります。わっ、すごい!! 半分いくのに三十話もかかってる!!

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