官婢たち
唐代の賤民は、中でも賤民の女は当時の社会の最下層に属する者たちでした。なぜなら、賤民というのはそもそもが法律で「家畜や財産と同じ。人間ではない」とされているのに、そこに男女差別が加わって、大分しんどいことになっていたから。
唐代の法律では、奴婢たちは良人(良民)とは結婚できないし、そもそも自由な結婚というものができない。官奴婢だったら、成人するとお上に同じ賤民の適当な異性と無理やり結婚させられて、そして子供が生まれてもその子は家畜の子と同じに扱われる。まんま「繁殖」のために結婚させられていたんですね。一方私奴婢だったら、たとえ結婚していても当然のように主人の慰み者にされるし、たとえ主人の子を産んでもその子は主の子とは認められなかったそうです。他には、奴婢たちは官奴婢でも私奴婢でも、成人していればいつ物と同じ扱いで主が誰かに与える贈り物にされてもおかしくありませんでした。
同じ罪を犯しても、賤民と良人では賤民の方が重い罰を受けていもいました。あと、賤民が殺害された場合でも、被害者が良人だった場合よりも加害者に下される罪は杖百叩きや懲役一年程度と軽くなったそうです。それに貴顕の家の私奴婢の場合は、お上の力が屋敷の中まで及ばないので、奴婢たちの命など塵芥と同じだったそうです。ほんとしんどいですね。
唐代の賤民は官に属する賤民(官奴婢など)と私人に属する賤民(私奴婢など)の二つに分かれていました。以下では、官婢(婢は賤民の女を指します)について述べていきます。
宮女編でもちらっと述べましたが、お上に対して反逆を企てた官僚と関係がある女性(母、妻妾、未婚の娘などなど)は、全員が籍没されて官奴婢にされます。なんてとばっちり。あと、捕虜や、五品以上の官僚の妻や娘のうち罪を犯した者も。そして、料理や裁縫など後宮で役立つ特技を持っている者は後宮に入れられて宮婢とされり、その他は官庁に配給されて官婢とされるのです。家族もしくは自分が罪を犯したために官婢となった者の他にも、地方から朝廷に献上されたり、朝廷が買い入れた婢なんかもいたそうですが。
官婢たちは、刑部尚書に管理される官府の財産でした。官婢たちはその他の財産同様毎年台帳に登記され、臂に刺青の印を入れられ、顔の確認をされたそうです。
官婢たちの衣食は官府から支給され、病気になれば医薬品ももらえます。ただ、衣服が支給されるといっても、春に上下一式と絹の
衣食の他にも、元旦と寒食節(火気を断ち、あらかじめ用意していた冷たい食事を食べる祝祭のこと)、結婚、産後に父母の葬式には一定の休暇が与えられたそうです。
また、唐律は奴婢を人間ではないと定めていましたが、一方で官僚が所轄の賤民の女性を暴行したら、その官僚を罷免するとも規定しているので、最低限の安全は保証されていたのかもしれません。ほんとに最低限ですけれど。ただ、奴婢たちに対するこのなけなしの配慮が、「奴婢たちを純粋に思いやったがため」なのか「国の財産を保護するため」なのかは気になるところですね。丁寧に扱われるのと人間として尊重されるのって、必ずしも同じ意味を指す訳ではないですから。「丁寧に扱われる」ことは、「人間として尊重されている」ことの十分条件ではあるけれど必要条件ではない。
様々な意味でしんどい生活を余儀なくされていた官婢たちの唯一の希望と言えば、少しづつ赦免を受けて雑戸(半自由民みたいな者が属する戸籍)に編入されること。そうすれば毎年何回かお上のために働くだけで良くなるし、三回赦免されれば良人になることができたそうです。ただこの三回の赦免は一代ではなかなか成し遂げられるものではなかったので、一回官奴婢になってしまうと良人に戻るのはきわめて困難だったそうです。
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