妓女たち 長安の妓女②

 前回述べたように長安の妓女の多くは平康里という所に住んでいました。平康里の街区は南曲、中曲、北曲に分かれるのですが、綺麗どころは南曲か中曲に集まっていて、北曲にいるのは無名か美人とは言い難い容姿の妓女たちばかりだったそうです。だからなのか、どの曲内に住んでいるのかによって、その妓女の値打ちが決まることも多かったのだそうです。

 妓女が客席に侍る料金はだいたい一席につき四鐶(鐶は銅銭の単位)。ただし、灯りともし時(営業はじめの時間帯のこと?)の料金は普段の倍だったそうです。その他、新規の客は通常の倍の料金を払わないといけないし、新しく科挙に合格した進士が妓女を買う際は、慣例的に普通よりも多く花代を包まなければならなかったとか。他にも客は、花代の他にもチップとして絹布などを妓女に贈っていたそうな。あと、人気がある妓女は当然値段も高いです。その他、雛妓すうぎ(半玉のこと)の初夜権は高値が付いたそうです。


 長安の妓女は人に呼ばれて行った宴会や遊戯の席、もしくは自宅で客の話にあいづちを打ったり、客にふざけたりへつらったりして場を盛り上げたり、あとはやっぱり売春して稼いでいたそうです。つまり何が言いたいのかというと、大半の長安の妓女にとって歌や踊りはあくまで補助的なものだったということで、この点が地方の妓女とは違う所なのだとか。というのも、唐代は名妓の条件としては美貌よりも才気が重要だとされていて、容姿は平凡でも所作が洗練されていてトークが上手く、また学識豊かだったら、十分に人気を博すことができたのだとか。唐代の妓女にとっては本を読んで詩を吟じ、詩を詠むことは当たり前のことだったのです。


 長安の妓女たちのうち、家が貧しいがゆえに妓女にならざるを得なかった者は、家族と一緒に自宅に住んで、自宅で営業していたそうです。だが家族と一緒に暮らす妓女はどちらかと言えば少数派で、その他多くの妓女は貧困ゆえに、あるいは騙されて仮母(やりて婆)※が支配する置家に売られてきた女性たちでした。唐代は良民と賤民の区別が明確だったので、一端この世界に堕ちてしまえば、この世界から抜け出すどころか肉親と会うことすらままならなくなります。だから、騙されて妓女にされた娘を家族が取り返しにきてもどうすることもできず、泣く泣く今生の別れをすることになったそうです。

 ※仮母は年を取った妓女がなります。老いたとはいえ色香を全く失ったわけでもない彼女らは、多くは王侯貴族の屋敷を守る武官に囲われていたそうです。また、中には逆に自分が男を囲う仮母もいたそうな。


 様々な事情あって買われてきた妓女たちは仮母の養女となり、仮母の姓を名乗ったのですが、だからといって家族同然に扱われたわけでは断じてなかった。妓女たちは買われてすぐに歌や舞踊や酒席でのゲームの訓練が始まり、少しでも怠けると仮母から鞭打たれたり殴られたりの虐待を受けました。そして成人すると客を取らせられたのです。妓女たちを追い詰めるのは仮母だけでなく、客である官吏たちは気まぐれで妓女を揶揄った詩を作り、妓女の評判を下げてしまいます。一回評判が下がった妓女の許に訪れる客なんていなくなる。つまり生きていけなくなるのに。

 また、賤民である妓女は殺しても大した罪に問われなかったか、もしくは罪とされなかったのか、随分とふざけた理由で殺害された妓女もいたようです。本に載っていた事例だと、貴公子たちが一人の妓女を寄って集ってなぶりものにしたら彼女が死んでしまったので、すぐに遺体を焼いたとか。自分の贈り物を受け取ってもらえなかったから、その場で妓女を斬り殺したとか。……やりきれない。

 苛酷な生活を強いられた妓女たちが自由に外出できるのは、ただ僧が道でお経を講じていた時のみ。僧が来た時ならば、仮母に千文納めれば半日は自由を満喫できたそうです。ちなみに、教坊籍に入っていない妓女の身請けに必要な額の標準は一、二百金だそうです。


 このような辛い生活を送る妓女が望むことと言えばただ一つ。客に身請けされ、この世界から抜け出すこと。もっと欲を言うなら思う相手に身請けされて、彼と正式な夫婦になって、幸せな家庭を築きたい。ただし、この細やかな願いも叶わないことの方が多かったのです。というのも、たとえ身請けされたとしても妓女は賤民身分から抜け出せず、賤民は正妻にするには賤しすぎる。なので元妓女たちは側室か姫妾(妾よりも更に地位が低い囲われ者のこと。後で詳しく述べます)にしかなれなかった。妓女を身請けするのはだいたいが武将か下級官吏か商人だったけど、史書で正妻になったと記載されている妓女はたったの一人しかいないそうです。

 たとえ正妻にはなれなくとも、側室としてそれなりに扱われたらいいかもしれない。が、中には身請けした元妓女を人間扱いせず、暴力を振るってくる主とかもいたそうで、やっぱり妓女が幸せな余生を送るのは難しかった。だからなのか、身請けしてくれる男を探したり、はたまたへそくりを貯めるのではなく、出家して仏門に入る道を選んだ妓女も多かったのだとか。


 これまで述べてきたように、大部分がおよそ幸福とは呼び難い境遇に置かれていた妓女たちですが、一方で彼女らは普通の家庭の女性たちよりも遙かに豪華かつ自由な生活を送っていました。妓女ではない女の誰が、男に混じって酒を飲み、時に弁論を交わし、公卿を官位ではなく字で呼ぶことができたでしょうか。光が眩ければまた影も濃い。それこそが妓女たちの日常で、そしてその光と影は目まぐるしく移り変わっていたのでしょう。

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