妓女たち 長安の妓女①

 はい、始まりました! 首都・長安の妓女編。ということでさっそく、長安の妓女について述べていきたいと思います。

 まず長安の妓女の籍は宮妓編で述べた教坊に属していたのですが、彼女たちは教坊に住んでいたのではなく、多くは平康里という所に住んでいたそうな。これには、玄宗以降は教坊が次第に衰退していった、という事情が関係しているそうです。教坊に全ての芸妓を収めることができなくなったため、トップオブトップの妓女だけを選抜して朝廷用に確保するために教坊に住まわせていた。一方でトップ以外の妓女は元々の店とか自宅に住んでいて、自由に営業していたそうな。そもそも長安の妓女は、地方の妓女と違って官府から衣食の支給を受けておらず、官府もまた強いて彼女らの自由を奪おうとしなかったのだとか。


 「張競著 恋の中国文明史」という本によると、中国においては妓女との恋と未婚の(妓女ではない)娘との恋では、妓女との恋がより早く意識された。むしろ、妓女とのやり取りを経て、恋の段取りが形成されていったそうです。というのも、いかに唐代が自由で開放的な気風が漂う社会だったとはいえ、「男女七歳にして席を同じゅうせず」な儒教の規制から完全に逃れることもできなかった。庶民はともかく当時の一定の地位有る人にとっては、結婚とは親に決められるものであり、婚前に恋を体験する機会などなかったのです。ただ、妓女との交際を除いては。

 いかに妓女が男性と交際し、奉仕することを職業にしているとはいえ、彼女たちは、表面上はただ身体を売るだけではなくて、楽器の演奏や詩歌にも励んでいた。そんな才覚ある妓女のうち、特に人気がある者は客を選ぶ権利さえ持っていて、常に複数の男性を侍らせている。こうなればもう、妓女たちは当時の既婚・未婚いずれも含むエリート層の男性にとっては「身体を売る賤しい女」ではなく「才能豊かで魅力的な女性」であり、そんな彼女に恋心を抱くのはある意味当然の結果だったのです。それがたとえ、いずれ儚く終わる夢のようなものだと、彼ら自身が理解していたとしても。

 それにしても、この道のトップになれるのは、学識豊かで楽器の演奏も巧みでユーモアのセンスに富んだ、あけすけに言ってしまえば手に入れた男にとっての最高のトロフィーになれるような女のみ、という事情もまた古今東西変わらないのでしょうね。古代ギリシアのヘタイラといい、江戸の花魁といい。こういった女性たちと寝ることができた男が真に愛するのは彼女なのか。それとも、ライバルを押しのけ価値ある女を手に入れることができた自分自身なのか。大部分の場合は後者なのでしょうが、これを男性特有の見栄とするか、全人類に共通する愚かしさと解釈するかは、個人によるのでしょう。


 ところで、人類がなぜ異性の魅力を図る物差しとして、一見して分かる「見た目の美さ」ではなく「頭の良さ」を取り入れるようになったのかは、よく考えると不思議ではないでしょうか。

 「ナンシー・エトコフ著 なぜ美人ばかりが得をするのか」という本によると、豊かで艶やかな髪と同じく美しい肌、そして健康的な肢体は即ち「寄生虫に侵されておらず、健康で、繁殖に適した身体であること」を表しているそうです。言い換えれば、その個体が寄生虫や病気に対して強いことも表している。そんな異性と交配すれば、丈夫で健康な子供が生まれて、結果的に自分の遺伝子が多く残せるかもしれない。だから人間は美人を好むし、美は交配相手を選ぶ基準として最も分かりやすい。だけど、頭の良さは? 


 その個体がどのくらいの知的レベルにあるかなんて、一回会っただけでは分からないし、実際に頭が良かったところで子孫を残すという戦略に置いて一体どんな得があるのか? 頭がいい異性と交配して、自分が得られるメリットとは何か。こう考えた時に、私は「食糧をより得やすくなること」と「危機回避能力」がその答えとしてあげられるかな、と結論しました。

 例えば原始社会において、容姿は魅力的だけど頭の方はイマイチな異性Aと、容姿はそれなりだけど賢い異性Bがいたとする。Aと交配すれば、魅力的な(=病気に強い)子供が生まれるかもしれない。だけど頭が悪いAは、食料を集められなかったり、また何らかの危機を回避するのに失敗して、繁殖適齢期になる前に子供を死なせてしまうかもしれない。そうなれば、自分の遺伝子は一切残らない。この賭け・・は失敗だ。でもBと交配すれば、賢いBならば上手く食糧を集め、また原始社会特有の危機も回避し、子供を適齢期になるまで育て上げることができるだろう。そうすれば、自分の遺伝子は次世代に受け継がれる。賭け・・に勝ったことになる。


 容姿よりも知能を基準に異性を選んだ方が、子孫を多く残せる場合もある。だからこそ人類は、「頭の良さ」を異性の魅力を計るバロメーターとして重視してきたのではないでしょうか。でもどうやって自分が賢いのかをアピールするかというと……詩作に励んだり、文学の知識を蓄えたり、巧みなユーモアを飛ばしたりすればいい! つまり、古今東西の高位の遊女たちが才女になろうと努力した(させられた)のは、自分は交配相手として適した存在であるように見せかけるためなのでは!? ――なんて私がごちゃごちゃ考えたところで答えは得られようがないし、多くの人は交配のどうのこうのなど考えずに、ただ心が赴くままに頭が良い人に恋していくのでしょうね。


 そういえば私は高1の頃、母親に「高校生になったんだからもっとオシャレしなさい」とごちゃごちゃ言われたので「オシャレや化粧とはそもそも異性を獲得して子孫を残すための戦略の一つで、子供を残す気がない私は、オシャレをしても利益がない。だからしない」と言い返したところ溜息をつかれました。これはもしかしたら「自分の子が異性を獲得するために有効な手段を取らない→自分の遺伝子が次の世代に受け継がれないし、娘を育てるために費やした費用が無駄になる」と母が判断したから色々言ってきたのだと解釈できるかもしれませんね。なお、私が「生涯結婚せず、子供も産まないようにしよう!」と決めた主な理由は、父方の祖父の妹→父の姉、と父方の身内に二世代に渡って生涯独身の女がいるから、三代続けば面白いと思ったからです。以上、どうでもいい昔語りでした。


 さて。時代の雰囲気のためか、唐代においては妓女との交際は決して不名誉で不道徳な行為ではなく、むしろ風流だともてはやされていました。科挙の試験に合格した者は、その祝いとして赤い紙の名刺を持って平康里に遊びに行くのが決まりだったくらいです。

 

 「恋の中国文明史」で述べられた、妓楼で遊ぶことを風雅ともてはやす風潮は唐の中後期に向かうにつれて発展し、それに従って妓女たちを官府が独占することは困難になっていった。そして長安の妓女は、次第に自分で商売を営むようになった。

 この変化は、唐代の妓女が官営から自由業に変化していく過程を表しているのだとか。その証拠と言えるかどうかは分かりませんが、当時の長安は既に教坊に籍を置いていない妓女の方が多かったのだとか。

 こういった教坊籍ではない妓女は、金を払ってくれる人が現れてくれればいつでも自由になる(落籍される)ことができたそうな。とはいえ教坊籍ではない妓女も官府への奉仕から完全に逃れられたわけでもなく、たとえ「買断」(特定の客に囲われ、独占されること)されていても、官府の呼び出しには応じないといけない。また官僚が長安の妓女を宴に呼ぶ際は、官府の許可が必要だったとか。つまり自由度を不等号で表すと


 長安の教坊籍ではない妓女≧長安の教坊籍の妓女>地方の妓女


 という感じだったのでしょうね。

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