妓女たち 地方の官妓②

 唐代の地方の官妓は「楽営」という部署? もしくは場所?(本には詳しい説明が載ってなかったし、ググってもヒットしなかったので、どういう存在なのかよくわかりませんでした)に管理されていたので、「楽営妓人」「楽営子女」、はたまた「営妓」と呼ばれたそうです。そのうち営妓については、「営妓とは専ら軍の娯楽のために供された、官妓とは異なる存在である」とする説もあるそうですが、本では違うだろうと述べられています。

 曰く、営妓も他の官妓も、皆同じく地方長官に管理され、官府に奉仕していたのだし、営妓が軍人の娯楽だけに供されたという根拠を見つけることもできない。文献でも、官妓と営妓は同じ意味で使われている。営妓という呼称が軍営を連想させたこと、唐中期以降は地方長官が軍事長官も兼ね、地方官妓は藩鎮(節度使)に統括されることとなった。なので人々は、営妓は軍事長官が軍隊のために設けたものだと考えるようになったのだろう、と。


 上の方で述べたように地方官妓は州刺史や節度使などの地方長官に管理される、一種の長官の財産でありほぼ奴隷同然の存在だったので、長官の裁量次第で自由に人に贈られたり、また人から奪われたりされていたそうです。ただし、いかに地方長官が妓女たちを自分の所有物扱いしても、彼女らの籍は官府に属していたので、勝手に売買することはできなかったそうです。地方の妓女が身請けされるのは、長官が誰かに贈った場合か、逆に長官が誰かから「彼女をください!」とお願いされて許可した場合のみで、金銭は絡まなかった。……らしいのですが、でも絶対に、想う妓女欲しさに、長官にこっそり山吹色のお菓子を積んで「お願い」した男性は絶対にいただろうな、と邪推してしまうのは私だけなのでしょうか?


 このように人間扱いされていたとは言い難い楽営の妓女たちは、楽営以外の場所に住むことも、自由に楽営の外に出ることも、楽営の外の人との交流も、ついでに長官の許可なしに客を接待することも禁じられていたのですが、この規則はそれほど厳格なものではなかったそうな。実際、彼女らを管轄する長官の意向によっては、楽営の妓女が自由に外に出たり住んだりしても、一切お咎めを受けないことがあったそうです。

 ……それにしても、お水の女性たちから自由を奪いたがるのは、古今東西変わらない人類の宿業なのでしょうか。この穴だらけの知恵袋で五番目に取り上げた、第一次世界大戦時の売春についての本にも、一部地域では娼婦の自由な外出が禁止されていた、と書いてあったし。某フリー百科事典によると性病は紀元前1550頃には既に確認されていたらしく、だったら唐代中国でもそういった病気の存在は既に知られていただろうから、公衆衛生対策として隔離するというのは当然のことかもしれませんが。実際に隔離された側の心情とか悲哀とかはさておき。


 さて。楽営の妓女は官府から衣食を支給される代わりに、いつなんどきも官庁からの呼び出しに応えられるように準備していました。彼女らが忙しくなるのは官庁主催の祝賀会や宴会、歓送迎会、上官接待の時。そこで客人に芸を披露し、また酒の接待をしました。それに、夜の相手もしたのですね。とはいえ、彼女の本来の役目はあくまで「宴席に侍ること」であって、身を売ることは、本来は仕事じゃなかったのですが、そうも言ってられなかったのでしょうね。だって、アルコールが入ったら気が緩むのか本性が出て来るのか知りませんけど、相手がその気じゃなくても力ずくでコトに及ぼうとするゴミクズって、現代にも数多く存在するじゃないですか。滅べばいいのに。

 宴の場で客から肉体関係を強要された場合、相手はそれなりの地位がある官吏などで、自分は奴婢同然の妓女なんだから、妓女たちは拒否なんてできなかったと思うのですよ。ヘタに逆らって不興を買ったら、明日には身一つで追い出されるかもしれないから、言いなりになるしかない。まあ中には「将来有望で、見た目も好みの男を見つけたから、自分から誘惑した」なんてパターンもあるでしょうけど。

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