妓女たち 官妓編の導入

 さて今回からは官妓について述べていくのですが、その前に時を遡って唐代の男性たちに問いかけたいことが一つあります。

 ――お前ら、いつオネエチャンの所行ってたねん。

 いやだってね、前にもちらっと述べた「中国社会風俗史」に、「唐代のみならず、中国では盗難や強盗の予防のため、未明や日暮れ、夜中の遊行が禁止されることがあった」って書いてあったから。これは三国志の頃の話になるけれど、曹操は洛陽の武官だったころ、夜出歩いた者を罰として殴り殺した、とも記載されてるし。唐代では鼓(夜鼓、と呼ばれていたらしい)の音を合図に外出が禁止されていたそうだけど、皇帝の葬儀に出かけた都人が、帰りがけまさに夜鼓が打たれる頃なのにそこらをうろうろしている婆さんを見つけたから、あわてて車に乗せたなんて話も載っていますし。


 皇帝の葬儀という大事があった日さえ例外なく施行される・見ず知らずの婆さんですら自分の車に乗せずにはいられなくなるほどの罰って、一体どんな酷い罰だったんでしょうね。なのに唐代のメンズは、いつお姉さんの所にいって、いつ帰って来ていたんでしょうか。まさか夕方に行って、朝方に帰って来てたんでしょうか? ことが終わってもお姉さんのところに留まっている? でもそんなの、回転率が悪いにも程がありませんか? 上級の、一回会うだけでも大金が必要になるような官妓ならともかく、並み以下の女は、やっぱり一晩のうちに回数をこなさなきゃ食いっぱぐれたと思うんですよね。

 だいぶ前にちらっと取り上げた本「パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ」では、一晩に二十四人客取っても経営者にまだまだだと怒られたという逸話が載っていたのですが、こういう事情って、この世に貧困と格差が存在する限り十九世紀のパリだろうが、唐代の長安だろうが大して変わりないでしょう。だからランクが低い娼妓は、ことが終わったらさっさと客を自分の所から追い出して新しい客を取らざるを得なくなる。でもそしたら、その追い出された男は一体どこで何して暇を潰してたんでしょうね。……ま、この話はもういいか。規則が常にきちんと順守・遂行されていたはずはなく、史実として残っている歴史が実情と乖離しているなんて事例は往々にして存在していただろうから、きっと上手いことやっていたのでしょう。


 さて、話は本筋から大分逸れてしまっていたのですが、唐代で妓女と呼ばれた女性のうち、後世のイメージする妓女に最も近いのは官妓でした。官妓は官庁の楽籍という賤民身分の戸籍に属していたのですが、彼女らが官妓になるまでには


1、親が楽籍に属していたから、自分も自動的に賤民になった。

2、元々は良家の子女だったけれど、色々事情があってこの世界に堕ちた。


 という概ね二つのパターンがありました。他に、地方長官に良民として身分を剥奪された者もいたそうなのですが、良民を本人の意思を無視して賤民にできるのは基本的には皇帝だけ。つまり長官によって官妓にされるのは例外に属するパターンなので、さらりと受け流しておきましょう。

 官庁に属する官妓の仕事は、官庁の送迎や、宴会や典礼に花を添え、盛り上げること。他にも官吏がただ集まって遊ぶ時にもその場に官妓が侍り、場を盛り上げていたそうです。これ現代に置き換えたら大問題ですけど、唐代は娼妓と遊ぶ風潮が極めて盛ん。かつ、朝廷の法律も特に禁じていなかったので、白居易は杭州の刺史だった時、一日中娼妓と遊んでいたそうです。

 また、官妓はやっぱり長安・洛陽の両京や揚州、成都といった大都会に多かったのですが、中でも長安の官妓とその他の都市の妓女は地位や境遇が多少異なっていたそうな。次回は、そのうち地方都市の官妓について色々まとめていきたいと思います。

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