応援コメント

お姫様たち ②」への応援コメント

  • 前回のコメントで、戦争・災害・疫病を前にした人の命の軽さと、牛馬に劣る奴隷の処遇は、どのように想像してもほんとうのところはわからないと書きましたが、この特定の人物への権力と財力の凄まじい集中も、現代に生きるものには想像が難しいです。
    ところで、先日、TVドラマ『マルコ・ポーロ』で、少女に纏足を施しているシーンを見ました。華流時代劇ドラマでも纏足の話題はタブーとなっているのか、いままでたくさんの華流時代劇ドラマを見てきましたが、纏足の施術シーンは初めてで、かなりショックを受けました。そしてふと「纏足について、こんな嫌な感じを味わったことがあった」と考えて、思い出したのがパール・バックの『大地』でした。いまから50年前の文学少女のころのことです。纏足について知ったのは、『大地』が初めてだったのかも知れません。
    これはネットで仕入れた知識ですが、やはり感染症で死ぬものもあり、足を切断しなくてはならないものもいたようです。これは、中国女性最後の纏足女性が言っていたことですが、「老いても、痛む」らしいです。あんな無理な形に形成して、毎日そこへ体重をかけて歩いているのですから、当然でしょう。
    纏足と、現代でも行われているイスラム教の女性への割礼って、女性への苦痛と社会的正当性の主張などが、似ていると思われませんか?

    作者からの返信

    流石に唐代のお姫様たちレベルの暴虐は現代だと見られないでしょうが、某半島の某国の某指導者とその一族とかが近いのかもしれないな、とも考えています。某国の一般民衆は、私たちには想像もできない苦しみに喘いでいるのでしょうね。

    私はテレビをあまり見ないのですが、中国の方が書いた纏足をメインにした小説で、七歳ぐらいの主人公が纏足される様を読んだことがあります。足の指の骨を一気に折って、ぐるぐる巻きにして、何かが触れるだけでも絶叫してしまうだろう足で、無理やり歩かされる(そうしないといい形の足にならないとされていた、と文中で述べられていました)。
    これだけでも大変な苦痛なのですが、主人公の苦痛はそれだけでは終わらず、生涯続きました。小説は纏足廃止が唱えられ、実際に廃止された時代が舞台なのですが、主人公は纏足廃止運動に抗って、玉の輿に乗る原因となった自分の小さな足に誇りを持ってもいました。でも実は主人公は、自分の愛娘には纏足させなかったのです(ネタバレしてしまってすみません)。往時の中国女性も、しないで済むなら纏足をしたくなかったのだろうなあ、と考えさせられた話でした。

    私も纏足と女子割礼は似ていると思います。女子割礼は紀元前から行われていたらしいので(割礼の起源について述べられているアフリカの神話を読んだことがあります)イスラムが起源ではなく、イスラムが広まった地域で元々女子割礼が行われていたのだろうと考えています。でも、イスラムの教義で廃止できなかったどころか容認するような体制を作ってしまったから、結局は同じことでしょうね。
    堯や舜の時代を賛美していた昔の中国と、預言者の生前の行いに倣うを良しとするイスラムの考え方にも、似たところがあると思います。コーランやハディースで特に禁止されていなからOKではなく、たとえ明確に禁止されていなくとも駄目なものは駄目、と認識されるようになればよいのですが……。

  • ひゃあぁっ!(><)
    公主様の暴虐っぷりはすごいですね……っ:;(∩´﹏`∩);:

    先日は参考文献をお教えいただき、本当にありがとうございました~!(*´▽`*)

    作者からの返信

    いえいえ、当然のしたまでですよ~(n*´ω`*n) もっともっと公主さまたちのことを世に知らしめたいですからね!

    それにしても宮女編では「宮女にさえならなければ」なんて言っちゃいましたが、結局のところ頂点の頂点以外は、生きるのに非常に苦労する世の中だったのかもしれませんね、唐朝。でもそれは唐だけではなく、人生の困難とは不慮の事故や天災といった形で唐突に訪れるものであり……。つまり公主とは、唐代の民衆にとって回避不可能な災厄のような存在だったのかもしれませんね。←今回は、なんだかこんな悟ったようなことを考えてしまいました。それにしても酷い。酷すぎますね。遠い目になってしまう……。