全員奴隷のオスマン帝国のハレムが平等な社会に思えてきました……いえどっちにしても産んだ皇子は最後兄弟殺しで死ぬし兄弟殺しで死んだ皇子の母親も殺されるんですけど……!
作者からの返信
オスマンのハレムは、皇子を産めば女奴隷でも皇妃に成れますもんね! それにオスマンではたとえ跡目争いに敗れて産んだ息子共々殺されたにしても、天国に行けるチャンスはありますから。
私はまだ儒教についての専門書読んでないので、曖昧にしか理解していないのですが、中国の伝統的な価値観・教えである儒教では、人は死後きちんと祀られないと悪い幽霊になってしまうのです。ところが故人を祀るのは基本的には故人の息子や、息子の息子……といった、男系で真っ直ぐに辿れる子孫のみ(たとえ娘がいても息子が生まれなかったら、男児を養子にすることもありました)。つまり息子を得る機会がない・産んでも殺されることが多かった宮女は、死後の安楽すらも……。ちなみに、←の観点から「自分から祖先を祀る息子を得られない身体となった」宦官は、敬うべき祖先に対して最大級の不孝を犯していることになります。だから宦官は宦官じゃない人たちから蔑まれたのです。
宮女にだって墓はありますから、手を合わせてくれた人もいたでしょうし、儒教以外にも仏教が中国社会に及ぼした影響を加味して考える必要があるでしょう。だけど、死後という観点も含めて考えれば、オスマン帝国のハレムの方がよっぽど……。
前回は質問にお答えいただき、ありがとうございました~(*´▽`*)
伏魔殿……妃も宮女も、生き残るのは大変だったんですね……:;(∩´﹏`∩);:
作者からの返信
いえいえ~、私は気にしたことがなかったことなので、こんな視点もあるなあ、と勉強になりました(*^▽^*)
妃たちも宮女も、頑張って生きていたんですよ。頑張って生きていたんですけれど、幸福に一生を終えられたのはきっとほんの一握り……。悲しいですね……。
司馬遷の『史記』は、国が興って滅びるという歴史を記したお話です。男たちが繰り広げる為政と戦争は面白いのですが、庶民と女性の生活については、まったくといっていいほど触れられていません。作者の司馬遷は宮刑にあった気の毒な人ですが、それでも代々続くよい家柄で本人も、宮廷の儀式を司る部署で働いていた高官でした。それで、記述に<上から目線>(講座の先生の言葉)なところが感じられます。
それもあって、なんと、中国では人気のない書物なのだそうです。中国の人たちは、日本人の『史記』好きを不思議がるとか。国の興亡とか戦争での駆け引きとかに興味があるのでしたらお勧めなんですが。かと言って、他の面白い中国の本は知らないのですけれど。
『史記』には、紀元前に生きていた男たちの姿がいきいきと書かれていて、日本にもその頃から文字があったらどんなによかっただろうと思うことです。
作者からの返信
史記が中国では人気がないなんて、意外ですね! あちらの方ではただの古典という扱いなんでしょうか? 現代日本人だって古文の授業以外で源氏物語を読む人ってはっきり言って少数派でしょうし……。
司馬遷が李陵を庇って宮刑に遭ったというのは知っていましたが、元は良い家の出だったとは知りませんでした。それならば名家のプライドと、でも宦官になってしまったという恥辱が入り混じった、さぞかし美味しい鬱屈が史記のはしばしから感じられるのでしょうね(笑) 元は宮廷の儀式に携わってた役人ならば、為政と戦争だけでなく儀礼のことにも史記で少しは触れているのでしょうか? 読破できるのはいつになるかわからないけれど、史記をちくま学芸文庫で全巻揃えてみたくなってきました(*^▽^*)