後宮の女性たち 宮女たち②
前回述べたように宮女たちにはそれぞれ仕事が割り当てられていたのですが、彼女らにはもう一つの、重大な仕事がありました。それは、「皇帝を楽しませる」こと。というわけで唐四代皇帝の御代の宮女たちは、皇帝の命令で宮中で市場を開いて商売させられたり、その際に皇帝と皇后を楽しませるため大臣たちとわざと喧嘩させられたりしていたそうです。玄宗の時代では、風流陣という二つの陣に分かれて競うゲームをさせられたりしていたとか。
上記の例はぶっちゃけなんだか楽しそうだからいいですけど(大臣と喧嘩、は例え皇帝の意思が裏にあったとしても、場合によっては命に関わりかねないですけど)宮女の役目というのはそれだけでは終わらないものでして。……そう。残っていますね。夜の役目が。
玄宗は手を付けた宮女の腕に、「男女の情愛は常に新しい」という意味の四文字を入れ墨させていたそうです。また別の皇帝は、見るに堪えない猥雑な言葉を書いた衣服を合わせで用意し、寝所に召した宮女に下賜していたとか。ちなみにこの衣服は諢衣(戯言を書いた衣)と呼ばれていたとか。随分といい趣味してますもんね。もちろん文字通りではない意味で。
さて、ここでいきなりですが前回はノータッチのまま放置していた「なぜ陵に宮女が配されるのか」という謎を解き明かしていきたいと思います。というのも唐朝の制度では、
「仕えた皇帝が崩御すると、子供がいない宮女は山陵(※1)に送られ、生者に仕えるように死した皇帝に仕えなければならない」
と決められていたのです。こういった宮女は「奉陵宮人」や「陵園妾」と呼ばれていたそうなのですが、彼女らの生活こそまさに空虚の極み。毎日死んだ皇帝の洗面用具を揃えて夜具を整えるなんて、毎日が無意味すぎてそのうち発狂してしまいそうです。まさしく生きながら墓に入っている。これが愛した男だったらまた違ったかもしれない。だけど、大抵の宮女にとっての皇帝って、決して愛する対象ではなかったでしょうし。いやむしろ怨みの……。
※1
唐朝二代皇帝の墓は山腹を刳り貫き、自然丘陵を利用して作られた墓で、このような陵墓は「山陵」または「依山為陵」と呼ばれています。則天武后も含む(※2)二代目以降の唐の皇帝の墓の多くはこの「山陵」です。
※2
則天武后は「武周」という王朝を開き、自分の「武」姓に拘って甥に後を継がせようとしたものの、彼女の後を継いだのは結局は彼女の息子。つまり唐の皇族である李氏であり、則天武后の退位後に唐朝は復活したと見なされるため、慣例的に則天武后も唐の皇帝に数えられているそうです。教科書によくある各国の王朝がどれだけ続いたか縦グラフみたいに表す図でも、唐の中にちょっとだけ武周入れるとか、面倒くさいですもんね。
だったら子供を産んでたらいいのかな~と思ってしまいますが、前の方で述べているように唐の皇族は母親の身分を重視したので、「エライ人の子供を産んだ女は身分が低くてもエライ!」とはなりませんでした。むしろ「賤しい女から生まれたから、その子は高貴な血が流れていても賤しい」と見なされていました。なので、宮女が産んだ皇子は殺されることも多かったそうです。これは、皇子だったら王に任じて、領地とか与えないといけないことも関係していたかもしれませんね。歴代の皇帝になれなかった皇子の息子とかもいるのに皇子が多すぎたら、与える土地が足りなくなる。
公主だった場合は特に記載されていなかったのですが、女児ならば生かされていたのかもしれません。もっとも、公主の養育や生活にだって金はかかるのですが(※公主の生活については、後の方で扱う予定です)。
他にも、宮女たちは罪を犯したり、また罪を着せられれば陵に送られることがありました。もっと凄い? 事例では、唐の十六代皇帝は異母兄弟である十二代皇帝(ちなみにこの人は、上の方に出てきた諢衣を贈った皇帝です)が大っ嫌いだったので、即位してすぐに十二代皇帝の宮女を全て各地の陵園に送ったそうです。人間だれしも合う・合わないがあるから誰かを嫌いになるのは仕方ないとしても、その宮女にまでこんなひどい仕打ちをするなんて、よっぽど嫌い抜いていたんでしょうね。嫌いだった皇帝の妃嬪とか、子供を、とかだったらまだ分かるんですけれど。
生きながら墓に入れられるのは仕えた皇帝が死ぬまで生きられた宮女ですが、宮廷は数多の危険が蠢く伏魔殿なので、当然皇帝よりも早く死ぬことはあります。そうでなくとも、困窮に陥ることはままあったのです。なぜなら、皇帝は気まぐれに宮女を外藩(臣従している異民族)や功績ある家臣への贈り物としたけれど、その後の生活がどうなるかは分からなかったから。つまり、生かすも殺すも新たな主の思いのまま、ということです。
他にも、政治闘争に巻き込まれたり、仕えた皇子の巻き添えになって宮殿から追い出されたり、保母となって養育した皇帝の愛娘が死んだので殉死させられたり……と、宮女たちの周りには危険がいっぱい! なお前述した十六代皇帝は、絶世の美女を献上されたはいいものの玄宗と楊貴妃の例を思い出してしまったので、彼女に毒を賜って殺してしまいました。家臣たちには「彼女を後宮から出してはどうですか?」と勧められたものの、「それでは未練が残る」とか言って。なおこの皇帝は、これでも唐末の皇帝としては比較的良識がある部類に入るそうです。他は推し測るべし、ですね。端的にまとめてしまえば、皇帝にとっての宮女とは、自分のちょっとした思い付きで殺してもちっとも胸が痛まない、虫けら同然の存在だったのです。
今回のスペシャルサンクス
・「遙かなる長安 金銀器と建築装飾展」
山陵について参照しました。
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