応援コメント

後宮の女性たち 後宮に入るまで②」への応援コメント


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    またまた、前回の纏足へのコメントをここで書きます。追記もあるのだけど、長くなりそうなので。
    私も、纏足は母親など身内の女性が行っていたということを読んだことがあります。でも、読んだ時、纏足って、幼い子どもの足の指の骨を折るという行為なので、それを身内の女性(母親)が出来るだろうかと想像しました。参考になる本というのは知りません。ごめんなさい。
    泣き喚く子の骨を折るのは大変だろうし、傷から感染症の心配もあります。やりかたにより出来の良しあしもあるだろうしで、経験がものをいう医療行為のように思います。それと施術は、女の子が成長の止まるまで、10年くらい何度も続くとは、なにかの資料で読みました。それで、産婆と同じく纏足師なんていうおばさんがいたのかと。(笑) 家畜を飼って食う習慣があるとか狩猟民族とかは、解体とか去勢とかに慣れているせいか、こういういう人の体を傷つける風習が多いように思われます。

    作者からの返信

    明千香さん、またまたコメントありがとうございます! 一般的に漢民族は農耕民族と言われていますが、中国史の少なからぬ部分を北方の遊牧騎馬民族との戦いが占めていますから、自ずから文化の上でも影響を受けたでしょうしね。
    私は中国史において纏足(された女性)と好対照を成すのは宦官だと考えているのですが、明千香さんはいかがお考えでしょうか? 
    纏足も去勢も、(去勢は刑罰としてされたのでなければ)自らの将来のため、自分の身体を改造した。勿論幼い頃に周囲の者によってなされる纏足は女性自身の意思によるものではないですが、成長し自ら意思決定できるようになっても、かつての中国の女性たちは纏足をほどかなかった。それは、纏足していないとまともな結婚はできないけれど、纏足してさえいれば小足を見初められて玉の輿に乗れるかもしれないから。
    ですが同じ身体改造でも、纏足は周囲から容認し称賛され、宦官は白眼視された。宦官が白眼視されたのは自ら子を作れない身体になるという儒教的に最大の親不孝を働いたためでもありますが、纏足と宦官の扱いの違いはそれだけでは説明できないような気がするのです。私は中国の風習や文化に興味があるのですが、まだ中華四千年の歴史の一年分も理解できていません。ですから何かオススメの書籍や論文があったら教えていただきたいです(*^▽^*)

  • ヒエエ……13歳か14歳で後宮に来て「当たり」に該当しなかった場合は死ぬまで後宮まで干からびて暮らすと思うとヤバヤバですね……後宮もの読んだことないけど読んでみたくなりました……
    オスマン帝国のハレムはシステムがちょっと違うんですけど(トルコで勉強しました!) その辺私もエッセイか何かにまとめてみたいようなその時間で小説書けよみたいな悩みます……

    作者からの返信

    そうなんですよ……。たとえ下働きといえど、彼女たちも皇帝のために集められた女ではあるので、皇帝の特別な許しがないと結婚できないんですよね~。
    なので宮廷には未婚のまま干からびていった宮女が、民間には同じく未婚のまま干からびていった男が溢れていたそうです。こんなんだから後宮はドロドロ愛憎劇の舞台に選ばれるんでしょうね!

    オスマンのハレム、ものスッゴく興味があります!! いつかお時間があるとき、エッセイに……。でもしゃしゃさんのお話をもっと読みたいし……。悩みます(笑)

    編集済