その⑤
前回述べたように、今回は「近代軍医の父」ドミニク・ジャン・ラーレーの功績を紹介していきます。
①救命救急
ラーレーは、当時「空飛ぶ大砲」と呼ばれていた、馬に牽かせた野戦砲からヒントを得て、「空飛ぶ救急車」というものを思いつき、このアイデアを実現させました。つまり、救命部隊を編成したのです。
ラーレー発案の救命部隊は救命兵340名から構成され3部隊制で管理運営され、各部隊は救急道具を載せた12台の救急馬車と4台の大型救急馬車を持っていました。この結果、1799年のエジプト遠征では、負傷者全員が15分以内に手当を受けることができるようになったそうです。また、救命部隊は敵兵も救助したため、敵軍は救命部隊を確認すると砲撃の方向を変えたとも伝えられています。ラーレーはワーテルローの戦いによりプロイセン軍の捕虜となりますが、ラーレーは数年前にプロイセンの元帥の息子の命を救っていたため、処刑を免れたのだとか。善人が報われるという、とてもほっとする話ですね。
②トリアージの実践
まず初めに、「
このトリアージというシステムを最初に行ったのがラーレーなのです。ラーレー率いる救命部隊は現場で負傷者に救命処置を施し野戦病院に運んでいたのですが、手術の順番は負傷具合によって判断されていました。限りある包帯やガーゼや医療器具を有効に使うため、助かる見込みがない者はあえて放置されていたのです。助かる見込みがない負傷者を切り捨て、他の負傷者の処置に当たったほうが、結果的に多くの人が助かりますから。
もっとも、ラーレーの時代では単なる治療優先区分法に過ぎず、ラーレーが発案したシステムがフランス語のtrier《選別する》に由来するトリアージと呼ばれるようになったのは、第一次世界大戦の頃からなのですが。とはいえ、ナポレオンの緒戦での快進撃は、ラーレーが発案したトリアージに負う所が大きいというのは、多くの歴史家が認める事実でもあります。
またラーレーは前述したように、敵味方(プロイセン軍兵士をも救命した)・身分にかかわらず、逼迫度によって手術の優先順位を付けていました。トリアージが行われる以前は、負傷の具合に関わらず「将校→兵士→捕虜」という順番でしか処置が行われていなかったにも関わらず、です。これは、フランス革命以降、身分にかかわらず人間は平等だという理念が広まっていったためで、トリアージはヨーロッパ中に広まることになります。
③その他の功績
ラーレーは①、②以外にも
・衛生兵、看護婦、救急車両の標準化
・傷口を清潔に保つための、頻繁な包帯交換の励行
・伝染病に罹患した負傷者の隔離
などを提唱していました。また、ナポレオンに対して徴兵年齢を成長期途中の18歳から20歳に引き上げるよう進言したそうです。
また、徴兵や前線送りから逃れるため、自傷行為(多くは手足に)をする「作病」は、発覚すると死刑に処されていました。ラーレーはその作病の疑惑をかけられ、処刑寸前の数名の兵士を「全員作病ではない」と診断し、彼らの命を救ったという逸話も伝わっています。
ところでラーレーの外科医としての技量の方はどうだったのかと言いますと、ラーレーは最先端の外科技術を取り入れ、また「アンピュテーション最速の男」と呼ばれ、難しいとされていた臀部付近のアンピュテーション術を確立し、破傷風対策や凍傷の治療法も独自に考案した、ハイパーな医者でした。
ナポレオン戦争時でも、治療といえば四肢切断が定番なのですが、実は「いつ切断に踏み切るべきか?」によって派閥があったりしたのです。その温存派の中には、患部の腫れ(実は初期の感染症)が収まるまでは様子を見るべき、と主張する者が少なからずいたのですが、ラーレーは温存派とは真逆の意見を提唱しました。というのも、受賞直後の負傷者は脳震盪やショック状態にあることから血圧が低く、筋肉も弛緩し痛覚も鈍くなっているから、切断時の強直や失血が少なかったのです。
切断箇所から8㎝ほど上を止血帯で縛り、下肢は大型の、上肢は下肢のものよりも小さなのこぎりで切断する。動静脈は結索して止血し、切断面にはウールキャップを被せる。「アンピュテーション最速の男」ラーレーの手術は、上肢ならば17秒、下肢ならば1分で終わるとされていました。
以上の逸話から分かるように、ラーレーは非常に有能かつ、非常に慈悲深い外科医でした。
医療従事者は国籍や政治や権威、軍事に左右されることなく活動する権利を持つ。ラーレーの信条は、国際赤十字社の創設や敵味方に関わらず負傷者を救助すべしと定めたハーグ陸戦条約の礎となり、彼の死後も多くの命を救っているのです。
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