その④

 懺悔


 水は高い所から低い所に流れ、その逆など滅多に起きないように、やる気というのも自ら振り絞らねば湧き出ないもの。

 しかし私、田所米子は「初めて正月休みに出勤することになったから、その分少しぐらいサボってもいいだろう。なんたって正月休みに出勤するんだから、その分どこかで精神休めないといけないし」と、自らを散々甘やかしておりました。既に二つの積読山脈を築いているというのに新たに大量の本を買い、自らが築いた山脈の踏破に挑んでおりました。「売春の社会史」という本を読了したので、いつかこのまとめで皆さまにご紹介したいです。

 読書の他には、BL妄想とイラストロジックに勤しんでおりました。試行錯誤しながらマスを埋め、絵を完成させる楽しさと達成感にすっかり魅了されておりました。ナンプレも少々しました。BLについてはいつものことなので詳細は省きますが、腹黒美形×平凡男子は最高です。プライドが高い男子が敵に屈従しなければならなくなるというシチュには血が滾ります。

 これらの結果が、年末から今日に至るまでの、週一回更新の目標破りまくりんぐの情けない体たらくです。――大変申し訳ないっ!!!

 頑張るから! これからは(あまり)更新遅れないように頑張るから! だから、こんな不甲斐ない作者ですが、これからもどうかよろしくお願いします!!


 さて。今回からは「殺すテクニック」という本を参考に、ナポレオン戦争時、戦線でどのような治療が行われていたのかを纏めていきたいと思います。戦場でどのような医療を受けられるのかも、非常に重要なことですから。


 古代ローマ時代の高名な医者ガレノスが「化膿こそ治癒の証である」と唱え(ガレノスは当時の基準で評価すれば紛れもない名医ですが、現代の視点で見れば過ちでしかない説を唱えてもいます。仕方のないことですが)、その後ガレノスの理論が1500年の長きに渡ってヨーロッパの医療界を支配したことからも察せられるように、中世の兵士たちが受けられる医療というのは、劣悪なものでした。

 そもそも負傷者は自分の力で味方の所まで戻るか、戦闘が休止した後にやってくる救助を待つしかなかったのです。この時点で負傷してからかなりの時が経っているので、当然助かる確率は下がります。それに、この救いの手は、多くの本来ならば助かっていたはずの負傷者を取りこぼしてもいました。


 ちなみに十三世紀になってようやくガレノスの説の過ちが立証され、十五世紀に入ると傷口が殺菌されるようになったのですが、その殺菌法「煮えたぎった油で周囲の組織を焼く」という、一歩間違えなくても拷問でしかない代物でした。……そりゃ、細菌は死ぬかもしれませんけどね。


 でも1536年から八年間のフランス軍の軍医として活躍した外科医パレは、当時の拷問まがいの消毒法に疑問を持ち、卵黄やローズオイル、テレビン油(殺菌効果があった)で作った軟膏を用いて、兵士の要らぬ苦痛を和らげることに成功しました。他にもパレは、四肢切断アンピュテーションの際、切断面を焼きつぶすのではなく、血管を縫い合わせる結紮法を考案し、包帯やリネンを清潔に保つことの重要性にも気づいていました。なんだかほっとさせられる話です。もっとも、パレのような名医が治療に当たっても生存率は依然低いままだったのですが。

 パレは戦場で重い火傷を負い虫の息の兵士二人を治療していた時、その様子を見ていた別の兵士に「自分が彼らの立場だったらこうしてくれと望むから」と、目の前で患者の喉を掻き切られたことがあるそうです。どちらの立場や考え方も理解できるから、考えるだけで辛い……。


 また、十八世紀中ごろにハンガリーの産科医が「感染の原因は、医師の手に付着した他の患者の体液」だと主張し、彼の説に影響を受けた論文が1867年に当時の医療界に革命を起こすまでは、医師は他の患者の血膿がこびり付いた手で患者の臓物を弄るのが当たり前でした。1791年にフランスで石鹸の大量生産が可能になり、1861年にベルギーでアンモニアソーダ法(詳しくはググりましょう!)が考えられるまでの石鹸は貴重品だったから手術前の手洗いなんてしない・できないし、そもそもそんなことをしている余裕もないのです。医療道具も当然使いまわされていました。当然、感染症で命を落とす兵士は後を絶ちません。


 そもそも傷事態が軍服の破片(※)や土、及び戦地に転がっている動物の糞などで汚染されているし、銃傷の場合は骨に当たって変型した弾丸・もしくは破片化した骨が傷の程度をより酷くしているので――ナポレオン戦争の頃は(以前もだけど)感染症対策のために、四肢を負傷すれば軽傷じゃないかぎり四肢切断でした。特に、人体に侵入した弾丸が粉砕骨折を巻き起こしている場合などは、切断以外に対処のしようがありませんでした。

 ※当時軍服に使用されていた羊毛の繊維には数多の細菌が潜んでいたそうで、その破片が傷口に入って、しかもそのまま放置されると……後は分かりますね?

 

 でもそんな悲惨極まりなかった戦地での医療を改革するために、一人の男が立ち上がったのです。ナポレオンをして「生涯出会った中で最も高潔な人物」と言わしめ、「近代軍医の父」と称される彼の名は、ドミニク・ジャン・ラーレー。という訳で次回はラーレーの活躍を纏めます!


 

 

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