戦争娼家 ②

 前回ご紹介したように苛酷な労働を強いられていた戦場の娼婦たち。ですがそんな彼女らの終業時間は意外にもきちんと定められていて、午後九時になれば兵士たちは娼館から追い出されていました。

 でも、居酒屋で店主がいくら閉店だって言っても居座り続ける迷惑な客がいるように、なかなか帰ろうとしない兵隊も絶対いたでしょ~と、思ったそこのアナタ! 大正解です。というか帰ろうとしないぐらいならまだ可愛いもので、娼館の塀をよじ登って侵入しようなんて豪快すぎる手や、はたまた女将と顔見知りになってこっそり裏口から入れてもらうといった姑息極まりない手など、様々に策を巡らせて兵士たちは時間外に愉しもうとしていました。娼婦たちからしたら、堪ったものではなかったでしょうね。

 

 そのためなのか、娼館では夜九時になると歩哨が全ての部屋を検査して、客が残って(潜んで)いないか確かめなければなりませんでした。ちなみにこの作業は、歩哨に最も嫌がられた任務だったそうです。何となく分からなくもないですよね。

 ベッドの下の、さらに壁際に隠れて出てこない奴には銃剣を突き付け、塀をよじ登ってくる者には誰なのか尋ねたうえで(正直に名乗るとは思えないけれど、記録しておいて後で罰するんですかね?)銃口を向ける。時には本当に撃つ。そりゃうんざりするのも分からなくはないですよね。歩哨たちだって、他に任務があって疲れてただろうに……。

 ちなみに本には、あまりにもある娼館が騒がしいので検査してみたところ、歩哨たちの上官が娼婦とともに裸踊りをしながら酒盛りをしていた、という事例が乗っていました。上司の面目丸つぶれ! って感じですね。しかもこの上司、気分がハイになったのか部下の目の前でその娼婦と致したそうなので。恐らくこの上司は、今後二度と酔えなくなるぐらいの冷たい眼差しを部下から注がれたことでしょう。


 ですが将校用の娼館では、上記の事例など及びもつかない乱痴気騒ぎが繰り広げられることがあったそうです。日頃は部下相手に威張り散らす将校も、娼婦たちの怒りに触れれば顔面を殴られ、唾を吐きかけられて戸口から追い出される。その瞬間の将校の、プライドが木っ端みじんにされた顔、一度見てみたいですよね! さぞかし壮観でしょう! ですがもっと見ものなのは、制服のまま四つん這いに――騎士(chevalier)から馬(cheval)になり、一糸纏わぬ娼婦を乗せて仲間が弾くピアノをBGMに走り回るところ……。上官のこんな光景などできれば見たくないですが、こうして記録に残っているということは誰かは目撃してしまったのでしょうね。……悲劇。

 

 さて。娼館で起こす乱痴気騒ぎの規模の違いからも分かるように、一般兵と将校の間には深く険しい収入格差が横たわっていました。そしてそれは、彼らの相手をする娼婦たちにおいても同様であった――というより、客の収入の差が、そのまま彼女らの収入の差になったという感じです。というのも、前回述べたように軍当局は娼婦たちの検査はしても、娼家の管理には介入しませんでした。なので、将校相手の娼婦は客から大量の食物を貰って、比較的裕福に暮らせるのに対し、軍が決めた料金もしくは現物給付(軍用パンなど)を受ける一般兵相手の娼婦の生活は悲惨そのものだったそうです。そもそも、ある地方の将校相手の娼婦と一般兵相手の娼婦では、前者の一回あたりの値段は後者の四倍から五十倍もの格差があったそうですから。

 

 ですが、いくら相手にするのが一般兵であれ将校であれ、娼婦たちはの自由は恐ろしいまでに制限・拘束されていました。例えばリルという地方では、「特定の街の娼婦は、特別な場合を除き軍事警察(=風紀パトロール)の許可なしに表通りの通行を禁じる」という決まりがあったそうです。

 他にも、これはセルビアの話ですが、「病気持ち。もしくは病気を持っていると推察できる男と寝た娼婦は禁固刑に処せられる場合もあった」そうですから。ちなみにドイツ占領下のフランスでは、密売淫をやったとばれると軍事警察に逮捕され、警察医の許に連行されていました。

 

 著者のマグヌス・ヒルシュフェルト氏は

「軍隊式に組織された売淫が世界戦争のいちばん暗い一章であることは、確かである。この売淫によって性愛も、美も、人間の純粋感情も、一切嘲り飛ばしてしまうもっとも低級な欲求に突き落とされてしまったのである。」(カッコ内原文ママ)

 と述べてます。娼婦の間の経済格差や娼婦たちへの扱いは、その世界戦争のいちばん暗い一章に、更に悲惨な格差や差別意識が加わって人間の醜さと欲望の縮図みたいになってしまっていますよね。戦地での売春は、軍国主義と性の悩みとの嘔吐を催すような妥協である……(※これも著者の言葉です)。

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