消費される女神
前回と前々回でまとめた経緯で世に誕生した解剖学の女神ですが、民衆たち(特に男)にとっての彼女らは、製作者や考案者たちの意図とはまた別の意味を持っていたのです。それも、神の偉業を解き明かすという崇高な意図とはかけ離れた極めて卑俗な――
アナトミカル・ヴィーナスは凝視しても何ら咎められることのない、裸の女体なのです。しかも、現実の女体をも上回る美を誇っていたのですから(ただし、多くの場合内臓がもろ出しですが)、覗き的な愉悦を目的に博物館に訪れる者も多かったでしょう。こういったところは、中世ヨーロッパの絵画によく神話や聖書の女性が裸で出て来るのは「これがおおっぴらに異性の裸を観賞する唯一の手段だったから」という事情と似通っていると思います。現代でもネットにはアニメや漫画のキャラの要成人指定な絵が溢れていますし、時代や地域が変わっても人間が考えることは大して変りませんね。
上記の事情と相まって、アナトミカル・ヴィーナスたちは、博物館主催の巡回展や移動式遊園地の目玉として、消費される運命から逃れることはできませんでした。こういった催し物はヨーロッパの西の端スペインから東端であるロシア、さらには海を越えてアメリカでまで行われていたのです。アナトミカル・ヴィーナスが産声を上げた世紀の次なる19世紀は、中産階級の誕生により科学的で教育的な娯楽の需要が増大していた時期でもありますから、時代にもマッチしていたのでしょう。
アナトミカル・ヴィーナスを展示している施設では講演会が開かれることもあり、女性だけの「レディーズ・ナイト」が開かれることもあったようです。妻として母として家族の世話をする必要がある女性は、そこで男女の解剖学に胎生学、性に関する病理学についての知識を深めたそうです。
全ての講演がレディーズ・ナイトのように真面目なものであれば良かったのでしょうが、現実はもちろん違いますし、だいたいそれだけでは博物館の経営は立ち行かなくなってしまうでしょう。
様々な民族の見本に胸像、有名人や殺人者のデスマスク。象牙にミイラ、詰め物をしたワニ。猿の骨格……。とにかくありとあらゆる、民衆の興味を引きそうなものを集めて展示していたのです。本にはコルセットの締め過ぎで位置がずれた内臓を曝け出した人体模型や、剣を呑みこんでいる人体模型、結合双生児の模型の図版が掲載されていました。
さらにさらに、パノプティコンでは歌手にダンサー腹話術士に断食芸人(余興として、飢えて何でも食べる芸を披露する人のこと)のみならず、生きた「奇形人間」や「希少民族」などのライブイベントも行われていたそうです(カッコ内原文ママ)。欧米の大都市には、最低一つはこういった施設があり、様々な階層の人が足を運んでいたのだとか。
私が個人的に興味深いと思うのは、本には内臓の奇形について特に触れられていなかった点です。
内臓の奇形は内臓の働き自体には全く影響がない場合もあります(私もそうです)。だからそういった方の遺体がアナトミカル・ヴィーナスを作るためのモデルとして解剖され、
ここで読者の皆様にお願いがあります。それは、身体の作りがいわゆる
……さて話を戻しますね。割礼した性器の模型に有名な売春婦の胸像、箱に入ったオダリスク(ハレムの女奴隷のこと)。果てはゴリラに陵辱される美女といった、民衆を啓蒙するという意図とは甚だかけ離れた、悪趣味極まりない展示品も並んでいた解剖学の博物館。その中でも一際人気が高かったのは、性感染症(特に梅毒)に侵された性器の模型でした。ですがこれは、「やりたい放題ヤッてるといつかこうなるんだからな!」と民衆を
ですがこうした
ある博物館では、美しい女神たちの模型で男性たちを散々興奮させた後、性感染症の模型でいっぱいの部屋に進ませていたそうです。性感染症模型の部屋から出た観客にはパンフレットを渡し、自分が性病にかかっていると思いこませ、その結果は破滅的なものだと恐怖を煽り、ある男(本には正体が特に記載されていませんでしたが、詐欺師なのでしょう)に縋るしかないと思いこませるという手法のえげつなさよ……。
またある博物館では、「
※
マーキュリー。すなわちメルクリウスはギリシア神話の伝令神ヘルメスと同一視された神であり、水星も水銀もメルクリウスを象徴しています。
他にもガラスの柩に横たわっているのは、まるで生きているように胸が上下するように作られた機械仕掛けの蝋製の女神なのか、はたまた生身の美女なのか当てるといった余興は1960年代まで展示があったそうですから、レオポルト二世がお空の上で泣いているような気がします。
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