フェティシズムと女神

 実際に本を買ってみて図版で見てみなければ伝わらないことではありますが(だから、書籍を買ってみることをオススメします。とってもいい本なので)アナトミカル・ヴィーナスはグロテスクであると同時にどこかエロティックな姿をしています。あけすけに評してしまえば、達した(意味深)後みたいに恍惚とした感じ……。他にも自分の金髪の三つ編みを気だるげに弄ぶ仕草をした女神とか、左の乳房に手を置く女神とかがあります。とっても意味深!


 女神たちが纏う濃密なエロス。それは豊かで艶やかな髪や濡れたように光る硝子の瞳、真珠のネックレス(死を想えメメント・モリを暗示すると同時に、首と胴体のつなぎ目を隠してもいる)、サテンのベッドといったアイテムから醸し出されるものであります。が、アナトミカル・ヴィーナスが生み出された本来の目的――民衆を啓蒙する――からすれば、こういった要素は必要なのでしょうか? 

 現代に生きる私たちからすれば答えは「ノー」なのですが、アナトミカル・ヴィーナスが生まれた当時は必ずしもそうではなかったのです。当時、女神たちは女性や幼い子供をも含む大衆に最も人気のある博物館の展示品だった。というのも、当時は恍惚状態エクスタシーとは、神秘的かつ神聖な体験であったそうなのです。現に、そういったポーズや表情の聖人の像も沢山作られているので、もしも興味をくすぐられたのならググってみてください。「聖テレジアの法悦」とか特に凄いです。


 さて、前回述べたように「注視しても咎められることのない女体」であるアナトミカル・ヴィーナスは「自分では決して動けない女体・物体」でもあり、その事実はアガルマトフィリアやネクロフィリアを容易にイメージさせます。

 それなりにメジャーな用語であるネクロフィリアはともかく、アガルマトフィリアは学術的に用いられている専門用語ではありませんが、それなりに知られている和製英語で言い換えた方が分かりやすいかもしれませんね。ピグマリオンコンプレックス。つまりは人形偏愛症です。


 ピグマリオンコンプレックスとは、自分が象牙から彫り上げた乙女の彫像に恋い焦がれるあまり彫像を妻同然に扱い、更にはその彫像が本当の人間になることを願ったというキプロス島の王の名に由来しています。

 ちなみにピグマリオンの願いはヴィーナス(アフロディテ)によって叶えられ、象牙の彫像は「ガラテア」と名付けられ彼の妻になりました。王女を呪って父親に恋させるというエグイにも程がある所業をする女神も、たまにはいいことをするのですね。


 とはいえ現実のアガルマトフィリアはピグマリオンの神話のようにロマンチックなものではなく、本には「ある男がミロのヴィーナスと致そうとしているところを見つかった」という逸話が紹介されていました。

 他にも亡くなった妻の遺体を防腐処理して剥製にした男や、焦がれ続けた女性の遺体を手に入れ防腐処理を施し、死せる彼女と(ベッドを含む)生活を共にした男の逸話なども。後者の場合は、遺体が痛まないようにちょっとした工夫をした上で性行為をしていたとも伝えられています。

 上記の事例がネクロフィリアに該当するとは思えませんが(彼は彼女のことを生前から、心から愛していたので)、まず間違いなく世間一般には受け入れられない類の話であることには変わりありません。ですが、本で紹介されていた中で最もおぞましいと私が感じたのは、ある画家の話でした。


 オーストリアのある画家は、自分を裏切って別の男と結婚した元恋人の等身大の人形を作らせました(ただし、抱き心地に拘ったためなのかテディベアの生地みたいなふわふわした素材で作られている)。そして、自分との関係を公的に認めようとしなかった元恋人に復讐するかの如く、その人形を劇場やレストランといった公の場所に連れ出し、デートを重ねたのです。その人形は最終的には、パーティーで赤ワインを浴びせかけられ首を切られ、ゴミ収集車に回収されました。


 私が画家の話を最もおぞましいと感じたのは、恋人の遺体と生活を共にした男の話とは異なり、対象への愛情が欠片も感じられなかったからです。アナトミカル・ヴィーナスの作者たちだって、自分の作品に対する拘りや愛情といったものがあったでしょう。だからこそ、溜息が出るまでに精巧な作品を作り上げられたはず。なのにこの画家の行動からは、ただただ元恋人を貶める意図しか感じられない。画家の行動は、アートプロジェクトでもあったと述べられていましたが、とてもそうは感じられなかった……。この画家は、そういうことをする男だから恋人に捨てられたのだと思います。

 しかし一方で、アガルマトフィリアとネクロフィリアの根底にある「女体を永遠に保存し、死を越え、所有・支配したいという欲望」(カッコ内原文ママ)はよく表していると感じました。


 絶世の美女であれ二目と見られぬ醜女とて、一部の例外を除けば一皮剝いて現れる中身は同じ。なのにアナトミカル・ヴィーナスが皆見目麗しい姿をしているのは、製作者たち、ひいては当時の男性の「女」への歪んだ欲望や支配欲求が投影されているからかもとするのは考えすぎなのでしょうか? もしかしたら、アナトミカル・ヴィーナスにおいて真におぞましいのはむき出しの臓腑ではなく、美しい顔や肢体なのかもしれませんね。


 ここでアナトミカル・ヴィーナスの紹介は終わりますが、このまとめでアナトミカル・ヴィーナスに興味を持たれた方は、ぜひ本を購入してみてくださいね! そういった物への耐性さえあれば、買って損はない本ですから!

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