予備的手続きと尋問 ③明るみに出た夫婦生活の地獄

 これまでこのまとめをご高覧してくださった方々には、地獄とは何も地下のみに広がるものではないことはご了承していただいているでしょう。そして、ギリシア神話のタルタロスからキリスト教のヘル、イスラム教のジャハンナム、北欧神話のヘルヘイムに仏教の地獄とこの世には数多の地獄があるように、この世にもまた多種多様な地獄が存在している……。その一つがこの不能裁判なのです。


 ファルス中心主義に支配された産めよ増やせよのキリスト教社会において、訴えられた夫(ごく稀に妻)の多くはまさしく地獄の苦しみを味わったことでしょう。なんせ不能の烙印を押された男に待っているのは、当時の価値観による二重の迫害ですから。そこで彼らは、知恵を弄する……というか言い訳を捏ねくりまわしてなんとか煉獄で留まろうとしていたのです。

 告発された男はまず、確かに自分は初夜では夫の務めを果たせなかったと正直に認めます。肉を切らせて骨を断つというか、戦術的後退というか、あえて自分に不利な証言をすることで、その後の発言の信憑性を上げようとしたのです。

 たしかにあの時はできなかったから、それで妻は自分のことを不能だと思ったのかもしれませんね、と……。だけどそれには理由があって……。この次に続く文句は、もっともらしいものからこれで誤魔化せると思ったのかと問い質したくなるものまで、バリエーションに跳んでいます。


  当時は肺炎にかかっていて血を吐いていたから、務めを果たせなかったと弁明する夫。彼の証言は一見もっともらしいのですが、じゃあなんで結婚を急いだのか、元気になってから結婚すれば良かったじゃないか……とツッコまれたら終わりなような気もします。

 この身体の不調を持ちだすパターンは、他にも「六週間後に手術をする予定がある。それまで一切の性交渉を医者に禁止されている」というものもあれば、「婚礼の日に、酒場で気分が悪くなったという男を担ぎ上げようとしたら肋骨を折ってしまった」という、本当だったら馬鹿馬鹿しいことこの上ないものがあります。自分の結婚式の日なんだから、酔っ払いの世話ぐらい他の人に任せたってよさそうなものですけれどね。


 ですが本で紹介されていた事例で最も馬鹿馬鹿しいのは、ウナギのパイを食べて消化不良になっていたせいでナニが奮い立たなかった、という言い訳でしょう。ウナギのパイ……。これも100%本当ではないなんて断言できないけれど、なんだかウナギに謝ってほしくなる言い訳ですよね。あんなに美味しいウナギをこんなことに巻き込むなんて。

 私は魚介系のパイを聞くと、どうしても可愛い黒猫の使い魔が登場する某魔女っ子映画のニシンのパイを連想してしまいますが、美味しいのでしょうか? 私はヨーロッパのウナギと日本のウナギを食べ比べてみた経験などないし、これからもそんな贅沢はできないことは間違いないので分かりませんが、なんだか微妙そう……。蒲焼は大好きなんですけど、パイかあ……。某会社のうなぎ風味のパイは美味しいけど、パイかあ……。


 他にも夫が挙げた言い訳としては、「初夜の時は寒気がして全身震えていたし、おまけの妻の身体に出産の痕跡を見つけて激怒していたから」というものがありました。これは体調不良系と、後述する妻に責任を転嫁する系の混合型と考えられます。

 しかし、この理由の後半部分は、本当だったら確かに初夜どころじゃないですよね……。具体的には明記されていないのですが、初婚だっただろう、処女であって当然の妻が既に出産していたとなれば、地獄には堕ちずとも泥沼に堕ちることは必須です。


 妻に責任を転嫁する系とは、文字通り初夜で真の夫婦になれなかった責任を妻に押し付けちゃう言い訳のことです。このパターンには、「完遂を望まない妻が頭の下に枕を二つおいて夫を困らせ、夫が自分に接近できないようにした」という意味が分からないものがありました。私の読解力不足のせいなのかもしれませんが、どうして枕を二つ使う=近づけない、となるのかさっぱり分かりません。

 他にも、妻が「自分(夫)が近づけなくなるような姿勢をした」だの、「どんなに※性的な意味で旺盛な男でも、その気を無くすような文句をくどくど言った」だの、吹き出してしまいかねない言い訳がでてくるわでてくるわ……。近づけなくなる姿勢とか、どんな男でもその気をなくす文句とか、ちょっと興味が湧いてきませんか。どんなアクロバティックなポーズなのか、それとも冷凍マグロだったのか。どんな魔法の呪文が、呪詛が紡がれていたのか……なんちゃって!


 不能だと訴えられた男は他にも様々な策を弄して地獄行きを逃れようとしていました。血が付いた初夜のシーツを召使たちが見ているとか。妻は妊娠したことがあるとか。はたまた、自分は最初の結婚で子供を儲けたことがあるがその子は死産児だった、などなど。

 しかし妻もいつまでも黙ってばかりでなく、反撃にでることがありました。その際に夫の咎として非難されるのが、「夫が不純な方法で妻とBしようとした」というもの。キリスト教のドグマでは子作りは文字通り子供を作るための行為なので、表向きは楽しんではいけませんものね。もっとも、キリスト教の雅歌には、とってもエロティックに解釈できる節があるそうなのですが。

 これは流石にこの場では全てを明らかにできないのですが、気になる方は「雅歌7章」でググってみましょう! 


 ヒントは

・ほぞ(臍)=女の身体にある孔=流石に直接的な表現は自主規制します=丸い器

・上の丸い器から葡萄酒が尽きないということは……? そして、その器から葡萄酒を飲むということは……?


 です!


 さて話を本題に戻しますね……。

 真偽は定かではありませんが不能裁判には、上記のような男の他にも、他の男に妻を誘惑させ子供を作らせようとした、と告発された夫も登場します。凄い場合だと、妻の意志を無視して何か月も家に男を住まわせたなんて夫もいて、ここまでくるとその捨て身で挑む姿勢にいっそ感心してしまいます。ですがそんな夫は地獄の悪魔に例えると侯爵ぐらいのもので、公爵には及ばないのです。


 自分が不能だと周囲にばれないように、妻を遠い自分の領地に追いやった夫。彼は、妻が気鬱のせいか病気になりほとんど死にかけても、「結婚は完遂した」という手紙を妻が認めない限りはパリに戻ることを許さなかったというのですから、まさしく悪魔。

 が、何も女は虐げられてばかりとは限りません。夫を殴ったり鼻やかつらに蝋燭を近づけたり、夜中まで他所の男と話し込んだり……といった現代でなくとも非常に問題がある行動をした妻もいるのですから、やはり地獄は地下のみに広がっているものではないのでしょう。もしかしたら皆さんの近くにも、いや足元にも、地獄に繋がる落とし穴は開いているのかもしれませんね。

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