予備的手続きと尋問 ①どんな人々が訴えを起こすのか

 そんなものが必要なのか……と呆然としてしまったそこの画面の向こうのあなたへ一言。必要なんですわ~。

 と、いうことで不能裁判という地獄の入り口に容赦なく足を踏み入れたいところですが、その前に煉獄を探検しなければなりません。その煉獄、またの名を「不能裁判の訴訟当事者について」と言います。

 

 パリの教区裁判所で行われた十六の裁判では、不能裁判に訴えられた夫の平均年齢は四十前後で、年齢の開きは二十九から五十までとまちまち。それに対して、訴える側である妻の場合は、平均年齢三十歳程度で、年齢の開きは十六歳から五十歳までと、かなりの差があったそうです。そして、高齢の男が訴えられる場合は、一般的に相続の問題が原因であったのに対して、若年の場合は肉体的欲求――あけすけに言ってしまえば、ナニの問題が主だったそうです。もっとも、高齢の夫がエレクチオンの問題で訴えに踏み切ることも、もちろんゼロではなかったのですが。


 不能裁判で訴えられる頻度が高い傾向が見出せるのは、医師、外科医=理髪師(※1)、公証人、書記官、執行官(※2)、ラシャ商、本屋、食品商、塗装工、金箔師、かつら師、革職人、パン屋、奉公人といった、自由業者や職人が多かったそうです。


 ※1

当時のヨーロッパでは、この二つは同一人物が兼業して行っていることが多かったのです。

 ※2

原文では「執達史」と「法廷執行史」とありましたが、「執達史」は「執達吏」の「法廷執行史」は「法廷執行吏」翻訳ミスであり、「執達吏」は「執行官」の旧称であり、「法廷執行吏」は「執行官」の蔑称であると推察できることから、このまとめでは一般により浸透しているだろう「執行官」の名称で統一しました。


 判例集で最も多く記載されているのは当時の社会では人口のたった3%を占めているにすぎなかった貴族の不能裁判の事例で、ある判例集を分析すれば告発の20%が貴族のものだったそうです。が、この結果は、他の階級より金銭的に恵まれた貴族は、有能な弁護士を雇うこともできれば、訴訟事実の覚書の執筆に資金を割くこともできるので、記録や記憶に残りやすいという事実を差し引く必要があるのだとか。事実、史料館(そんなのまであるんですね……)では、不能裁判と貴族の関わりはもっと目立たないものになっているそうです。


 ところで、ここで突然クイズターイム!!! 上記の職業や階級にある共通点とはなんでしょう? ヒントは、「裁判所はどんなところにあるでしょう?」です。

 さあ、ゆっくりじっくり考えてみてください。答えは(パソコンの画面での)十スクロール後に……。





 答えは……なーんちゃって! まだ五スクロール目です! 





 ――医師、外科医もその他の職業も、み~んな都市に属する職業ですね! と、いうことで、不能裁判は都市のみに巣食う地獄だった。言い換えれば、農村社会はこの醜悪極まりない争いとはほとんど無縁だったのです。もっとも、農民が訴えに踏み切った例は皆無ではないのですが、勇気を出して訴訟を起こしたある農村の娘は「百姓娘が自分の同類からぬきん出てみせようとするなどとは……」(原文ママ)「法廷に立ったこの女をみても、農村の人たちはとくに無垢だと思いこむのはむかしからの間違いだということははっきりしている。それはずっと前からわかっていたはずだ。」(これまた原文ママ)などと、散々に罵られてしまっています。

 お前ら農民をバカにしすぎ。田舎の人間にだって訴えを起こす権利はあるわい! と、声を大にして叫びたくなってしまいますね。


 本には何をやっているのか、どんな人物なのかは全く記載がなかった謎の人物セムリエさんによれば、結婚して僅かしか経っていない妻とそうでない妻では、告発に踏み切った後で疑惑の目で見られる数に差があったそうなのです。もちろん前者の方が、圧倒的に優しい目で見られていました。ま、よく考えてみれば当たり前のことですよね。何十年も一緒に暮らしておいて今になって訴訟に踏み切るなんて、何か事情があるんじゃないか……と勘ぐりたくなるのもまた人間の性質の一つでしょうから。


 もっとも、だったら初夜を迎えた翌日に訴えに出れば、なんて暴挙は流石に諌められていたそうです。教会法では結婚から訴訟に踏み切るまでには、一か月か二か月を共にしなければならない、と定められていたのだとか。この婚姻生活の長さというものは極めて重要なファクターで、他の点を考慮に入れれば不能は明白な事例でも、共に過ごした歳月の長さが優先的に引き合いにだされていたのだとか。


 しかし、他の多くの決まり同様に、共にした結婚期間の長さの重要度というのは事例によって揺らぐもので、十四年の結婚生活を理由に訴訟を退けられた妻もいれば、十二年の結婚生活にピリオドを打たざるを得なかった夫もいるのだから、世の中不公平なことばっかりですよね。教皇が最低限ともにすべき期間について言及しなかったことも、この決まりの不確かさに拍車をかけていたのかもしれません。


 さて。時に数年の長きに渡る不能裁判ですが、その間ずっと夫婦が一つ屋根の下に暮らしていては、裁判の主題が不能から殺人になりかねません。そのため裁判官は、時に妻を親族の家で監禁・監視するよう命じることがありました。親族がいなかったためなのかどうかは分かりませんが、司教の許可に基づいて修道院の保護下に置かれた女性もいたそうです。


 悩める女を危険から遠ざけるためならば……、とこの措置は大抵の場合好意的に受け止められていたのですが、夫にしてみればたまったものではない。自分の結婚生活の所有物を奪われた(原文ママ)として、ある夫は1610年に控訴したのだとか。この訴えは退けられたそうなのですが、十七世紀でもこれか、と溜息をつかずにはいられません。第一、この妻の監禁の根っこに有るのはか弱い女の身を案ずる道徳的な気持ちではなくて、女性蔑視だったというのだから、もう……。


 この場合の監禁とは、所有権が争われているもの・・を臨時的に第三者の手に預けることで、夫が妻を取り返すには、自分はそのもの・・を使用できると証明しなければならない。なぜなら法的には、妻に対する夫の所有権・・・は、ナニを奮い立たせる能力によって全きものとなるから……。

 中世キリスト教社会の女性観なんてまあこんなものだったのかもしれないけれど、それにしても大概にしろと言いたくなりますね。女はモノ・・だったそうですよ……。もちろん、この見方が全てではなかったはずなのですけれど、1610年はガリレオ・ガリレイが木星を観測した年なんですけどね……。

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