結婚生活の間に生まれた子供の父親は夫なり
――なんて断言できれば、DNA鑑定が生まれる以前の、不貞を疑われた妻たちはみんな幸せなままで生きていられたのですけどね! DNA鑑定ができるようになる以前の、いや有史から今に至るまでの全ての疑り深い父親たちも、余計なことに心を煩わせずに、広い心で妻子に接することができたのかもしれないですけどね!
DNA鑑定ができるようになるまでは、十月十日に渡って我が子を胎内で育み、命を賭けて生み落とす女とは違い、男はただ妻の貞潔と我が子に受け継がれた自分の特徴を信じるしかなかった時代。見つけようとすれば疑惑の芽などそこら中に散らばっている世界では、どこかで男と女の、家族の繋がりに対する最大のテーゼの追求をストップしなければならない。だからこそ、中世ヨーロッパでは「結婚生活の間に生まれた子供の父親は夫なり」とされていたそうなのです。それこそ、言葉は悪いのですが母親がとんでもないあばずれで、不義密通の証拠が掃いて捨てるほどあったとしても。が……不能者という存在を、実例を通してこの論題に持ち出そうではありませんか。
時は遡ること1643(あるいは1639)年。フランス西部の都市ル・マンの教区裁判官の下にある訴えが出されました。もちろん、夫を不能だとして訴える妻から。しかし、夫の生気の鑑定結果は曖昧で、当該夫婦が未だ真の夫婦になっていないとすれば、それは夫ではなく妻の態度の方に問題がある。……ということにされ、教区裁判官は「夫と妻は神への祈禱に専心し、祈りや他の善行をつうじて天の祝福をこうために、しばらくのあいだ蟄居しなければならない」(カッコ内原文ママ)との判決を下したのです。
しかし妻は、そんなことなどお構いなしに間男を作り、なんと息子を出産までしてしまったのだから驚きを通り越して呆れてしまいますね。せめて蟄居期間が終わるまで我慢できなかったのかよ……。
さて。その間に前述の判決を下した裁判官は死亡し、妻はもう一度離婚のために動きだします。
人生に疲れたのか、はたまた「孤独のすばらしさを堪能した」(これまたカッコ内原文ママ)のか、夫は今度は自分は不能者だと宣言しました。
一人の男にこんな屈辱を甘受させるまでの心理的苦痛は、想像するだけでも胸が痛みます。私は女だから彼の苦悩の全てを理解することはできないのですが、世の中の男性諸氏ならばもっと親身に、我がことのように理解できるかもしれませんね。
夫の我慢の甲斐あって離婚は成立し、
「父親は夫なり」の原則は財産の相続の際にも争われることがありました。物凄い場合では、姉が弟に非嫡出子の疑いをかけた事例も。と言うのも、この弟は両親が要塞で禁固刑に服していた時に、五十を越えもう生理など終わっていただろう母親から生まれた子供であった。これだけでも疑惑の匂いがプンプンしてくるのですが、なんとある産婆が、攫ってきた赤子を要塞まで連れてきて疑惑の夫婦の息子とした……と証言していたというのですから、完全にアウトです。ですが判決は、弟を両親の嫡出子としました。
が、氷河並みにカッチコチで融通が利かない「父親は夫なり」も権威に屈することがありました。
世界史を習った方ならばご存じであろう良王アンリ四世。三アンリの戦いを勝ち抜き、ナントの勅令でカトリックとプロテスタントの争いを終わらせた彼は、即位当時既に王妃マルグリットとは別居していました。彼が妻の代わりに愛したのは、ある美しい女性。「ガブリエル・デストレとその妹」という絵画でも有名なガブリエル・デストレ。ガブリエルは王の子を四人(最後の子は死産で、彼女自身もこの出産が原因で死亡)も産んだのですが、アンリ四世との長子ヴァンドーム公爵を産んだ時、彼女はまだ正式な夫リランクール公爵の妻のままで――!?
……なんだか無意味に煽ってしまいましたが、ガブリエル・デストレをとても愛していたアンリ四世は、彼女と夫の婚姻を無効にしました。なんと不能裁判で! ガブリエル・デストレはヴァンドーム公爵の他にも、リランクール公爵との間に長女を産んでいたようなのですが、国王の意志に刃向かう勇気は法院にはなかったのです。
妻を寝取られた上に不能の烙印を押されたリランクール公爵に幸あれ! と、約四百年後の日本で祈ったところでどうにもならないのですが。
ちなみに、アンリ四世はガブリエル・デストレとの結婚を望み、教皇庁に妻マルグリットとの離婚を認めてくれと掛け合ったのですが、その途中で当のガブリエルは上記の理由により死亡してしまったので果たせませんでした。が、アンリ四世はガブリエルを王妃として葬ったそうです。なんだか感動できるような、できないような。リランクール公爵の犠牲さえなければいいお話なのですが、ね……。
これまたちなみに父親違いの姉(リランクール公爵の娘)と弟(ヴァンドーム公爵)は、後に母親の遺産を巡って争いました。これぞまさに骨肉の争いです。姉は弟を「王に認知されているとはいえただの私生児であり、母の財産や爵位を受け継ぐ権利はない」と訴えましたが、王の権威に敗北しました。
上記の例はレア中のレアケースですが、他にも父親があからさまに不能である場合は、「父親は夫なり」に例外が設けられることもありました。しかし当時の神学者や法律家は、グレーもシロとしたのです。だってそうしないと家族という制度そのものが、ひいては家族を土台として成り立つ社会の仕組みそのものが揺らいでしまいますからね。
と、いう訳で(どんな訳なんだ?)次回は不能裁判の予備的手続きと尋問のまとめにはいります。そこはかとなく地獄の匂いがしますね!
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