誰が不能裁判を始めるのか

 読んだこともないのに、イスマイル・カダレ著「誰がドルンチナを連れ戻したか」みたいなタイトルを付けてしまって申し訳ない……。でも、イスマイル・カダレは夢宮殿は読んだことあるので許してください!


 「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」という言葉があるように、ばれなければその男はある意味では不能ではないのです。自分にとってはともかく、他者にとっては。 

 そも心理学のジョハリの窓※の理論によれば、人間は以下のように細分化されるそうで……

 

 A.自分自身も周囲も知っている「解放の窓」

 B.自分は知らなくても周囲は知っている「盲点の窓」

 C.自分は知っていても周囲は知らない「秘密の窓」

 D.自分も周囲の知らない「未知の窓」


 とどのつまり、Cの領域で不能であっても、A、Bの領域で不能ではないとしたら、その人物の半分は不能じゃないことに!? あるいは、哲学の世界ではもっとも有名であろう猫の実験風に考えると、当該人物が寝室で妻に迫ってナニを奮い立たせようとするまでは、不能の彼と不能ではない彼が1:1で重なり合っている? と仮定できるような……。

 ※アメリカの心理学者ジョセフ・ルフトとハリー・インガムが発表した、「対人関係における気づきのグラフモデル」のことです。

 

 ですがまあ、世の中にはイヴに禁断の実を食べるよう唆して、アダムとイヴを失楽園させた蛇のような人間がごまんと居るものでして……。いるんですねえ。不能という単語も知らないような清らかな妻に、(夫にとっては)甚だ不要な知恵を吹き込んで、訴訟を決意させる輩が。哲学の猫風に例えれば、猫が入れられた箱を開けて結果を確かめるよう唆す輩が。


 離婚(婚姻無効)の申し立ては、伴侶が不能であることで損害を受けた当事者にしかできません。けれども直接的か間接的かは問わず、第三者が訴訟に介入してくるのは稀なことではありませんでした。

 自分は不能の男との結婚を続けているという罪を犯しているのではないか、と恐れおののいて告解に訪れる妻を焚きつける聴罪神父。嫁に出した娘、はたまたきょうだいや親族の遺産を狙って、火のない所に煙を建てる欲深どもは雲霞のごとく。後者の場合は、欲深の訴えが聞き入られるのは極めて稀だったそうなのですが、それにしても、よくもまあ……。

 本で紹介されていたなかでも最もインパクトがある事例では、


「三人の子供の父親でもある伯爵が、妻(彼女が伯爵の子の母親かどうかは記載なし。もしかしたら再婚なのかも?)に不能だと訴えられた。訴えは認められたが、その妻は程なくして死亡してしまう。妻の姉は妹の婚資を取り戻すべく訴えを起こし、哀れな伯爵を召喚する。訴えはまたしても受け入れられたのだが、その数日後、今度はその哀れな伯爵当人が死亡してしまう。そのために、故伯爵の息子が父の名において、母の姉と不能裁判で争うことになった……」


 という複雑怪奇極まりない、一種の地獄のような有様が繰り広げられたこともあったそうです。もっともこの裁判では「他者の手による不能の告発は認められない」という判決が下されたそうなのですが。良かったね故伯爵の息子! 父の無念を晴らせたよ!

 また他にも、この結婚生活を続けるぐらいなら一時の恥を被った方がはるかにマシ、と判断したのか、夫婦が共謀して不能裁判を起こすこともやはりあったのだそうです。

 もっと凄い事例では、後になって慰謝料を貰うためだけに、不能者と結婚した女というものもいたそうで。こんな、一縷の望みに縋る不能者の気持ちを踏みにじる卑劣極まりない詐欺を働いた人間が存在したなんて、なんだかとっても胸が苦しくなってしまいますね。お前の血は何色なんだ。


 ですが、ですが、聴罪神父やら遺産相続にあぶれそうな親類やら、その他の者たちが巻き起こした波乱を旋風とすれば、さながら台風のような騒動を生じさせるツワモノが、この世には存在するのです。生きとし生ける者ならば全て持つ者、それは――母親!!!

 この台風の目の勢いが更に激しさを増したのは、十七世紀になってからのこと。凄まじいというか欲に憑りつかれている母親には、婿を不能だと訴えるために、妊娠した娘に「お腹の子によい」と言い繕って怪しげな食品を摂取させ流産させた……なんてバケモノもいたそうです。孫を殺してまで婿を貶めたいのか……。だったら最初から娘とその男を結婚させなかったら良かったじゃないか(娘夫婦の結婚を決めたのは、この母親なので)、と呆れを通り越しておぞましさを感じてしまいます。こういう女が毒女とか毒母とか呼ばれるんだろうなあ、と何だか恐ろしくなってきました。


 ――ただしここで一つだけご注意していただかねばならないことがあります。と、言うのは、妻の母親が不能裁判で巻き起こした嵐については、訴訟の当人のイメージや体面を守るために誇張されている面があるそうなのです。


 若くて無垢で純粋な女が、こんな破廉恥な裁判を起こすはずがない! これはきっと、後ろについている口うるさい母親の差し金なんだ!! ――こういった、一部の女のみを神聖視する観点もまた、女性蔑視と女性憎悪の現れなのだ、と著者は極めて冷静に指摘していました。全くその通り、と私はこの章を読み終わった時に拍手喝采したくなりました。女は弱くて、助けなしには何もできない存在だなんて、馬鹿にするのも大概にしろよって話ですからね。


では最後に参考文献を……

・西東社<他人の心理学>


にサンキューです!!!

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