こんな場合ってそもそも結婚していいの? ②年齢の問題

 今回の内容を大ざっぱに要約してしまえば――


 子供や老人が(※性的な意味で)役に立たないのは当然だろ!


 全てはこれに尽きます。仕方ないのです。年齢にだけは、寄る年波には、どうしても抗えないのです。自然の摂理なのです……。なのに年が幼すぎるから、あるいは年を取り過ぎているからという理由で不能者に数えられていたという事実は、私的にはかなり理不尽なような気がします。が、遙か後代の東の果ての異国・日本の片隅の私が抗議の声を張り上げたところで、中世ヨーロッパの悩める人々には届くはずがないのでこの辺で留めておきます。


 そもそもローマ帝国では、婚姻年齢に至る前の者の結婚は、適齢期に達しているかを性器の鑑定で判断され、OKと認められなければ許されていなかったそうです。しかし、この方法は淫らだとして皇帝ユスティニアヌス(6世紀の東ローマ皇帝)に禁止されました。以降、結婚が許されるのは、女は十二歳を、男は十四歳を迎えてから、と定められたそうです。なんだかちょっとほっとしますね。

 当時の判断基準なんて今となっては調べようもないけれど、発育が良い少年少女の場合、十歳とかそんな幼すぎる年齢での婚姻が許されていたのかもしれない。あるいは、親を始めとする周囲の者が鑑定者に賄賂なりなんなりを渡して、鑑定結果を歪め、幼い子供に結婚を強いることもあったかもしれない。その可能性を考えると暗い気持ちになってしまいます。まあ、十二歳と十四歳も十分幼すぎるんですけどね! 現代日本ならば、小6女子と中二男子が……。当時の人々の寿命の短さや社会状況などを考慮すれば、この問題を単純に現代日本に置き換えて考えることはできませんが、でもね……。


 判事たちは多くの場合では上記の法令に従って判断していたのですが、やはり例外とはどんな事例にも存在するもの。まずは幼い未来の夫婦を婚約させ、両者が婚姻年齢に達してから結婚させるという方法はその第一の事例として挙げられるでしょう。また、婚姻年齢に至らない者の結婚は、家族の同意があって結ばれたのであれば、後になってから(当該人物の婚姻が許される年齢になってから?)法的に有効だと認められていたそうです。

 この結婚のある事例では、十一歳の時に結婚させられた二十三歳の女性が、自分の結婚がどんな状況でなされたのかを訴え、離婚しようとしたものの、裁判所に訴えを退けられて終わりました。


 誰かが苦情を訴えなければ、幼さは結婚を妨げる要因にはならなかった。

 「結婚が許されるのは、女は十二歳、男は十四歳から」という決まりが何かしらの役に立った事例として本に紹介されていたのは、持参金がらみの事例だけでした。まだ十歳なのに結婚させられた少女が、婚礼の六週間後に亡くなった。この哀れな少女の家族は、彼女の結婚は法的には有効ではなく、亡き娘の夫が自分のものにしようとした持参金を取り戻せるということに気づきました。そして高等法院に訴え、少女の葬儀代を差し引いた分の持参金を取り戻したのです。幼い娘が死んで真っ先にすることがそれかよ、とこれまた暗澹とした気持ちになってしまいますね。少女が亡くなったのは、もしかしたら結婚が原因なのかもしれないのに……。

 そもそも、持参金とは夫が死亡した後の妻の生活を支えるため、妻の実家があらかじめ準備しておいた財産でした。持参金全てを夫の自由にするなどもってのほか。このまとめで述べるような事情のために離婚するとなったら、全額返金しなければいけない類の財産だったのです。なのに、幼い妻の持参金を自分のものにしようとした夫は間違いなくゲス。でも、幼い妻の身内の連中も……なんだかなあ。

 たとえ娘が死んで悲しみに打ちひしがれていても、残された家族は生きなければならない。持参金とは高額なもので、ごく普通の家庭でも現代の軽自動車一台分に値する金を充てなければならなかったとくれば、取り戻したくなる気持ちも分からなくはないですがね。でも、結婚までには何かしらの事情があったのかもしれませんが、亡くなった少女がただただ可哀想で……。


 話題は打って変わって高齢者の結婚に移ります。

 「老い」とは古くは一種の病気であるかのように扱われていて、さる哲学者はこの現象を「人生の冬」(原文ママ)、また別の哲学者は「人生のたそがれ」(同上)と呼んでいたそうです。酷い事例では、老人は病人だとか、七十歳代の男の妻は寡婦だとか、散々に言い切られております。この言葉を吐いた輩にだって、老いた父や祖父がいて、またいつかは自分だってそうなるはずなのに。……お前らの血は何色なんだ?


 ローマ帝国には「パピア・ポペイア」という法があり、六十歳以上の男と五十歳以下の女の結婚を禁じ、また五十歳以上の女が六十歳以下の男と結婚することもまた禁じていたそうです。ここまでやるか!? という感じですね。純粋に人柄に惹かれて年齢差がある相手と結婚したくなった場合は、ただ泣いて諦めるしかなかったんでしょうか。まあ、パピア・ポペイア法は前述のユスティニアヌス帝によって廃止されたのですが。

 子孫を増やすことはキリスト教どころか世界中の宗教においての最も神聖かつ重大な結婚理由でしょう。そしてこの「務め」が果たせなくなる年齢を正確に定めるなど到底できない相談なのです。洗礼者ヨハネを高齢になってから儲けた祭司ザカリアとその妻エリザベツ然り、また八十歳で父親となったあるヌミディア王然り、年を取っても子を作る能力は衰えない! ……こともあるのですから。

 

 キリスト教では結婚の目的の一つに、夫婦相互に救いと慰めを与え、社会と慈悲の絆を結ばせることを数えていました。だからこそ、高齢者と若年者の場合はこうした絆がより一層深まるのだと、高齢者の結婚を認めもしていたのです。もっとも、当該の高齢者が性的に全く・・役に立たないと判明すれば、結婚は許されていなかったそうなのですが。

 「全く」ならば許されない。この裏返しは、あやふやであったならば許されるということです。事実、不能裁判は、被告人が高齢であった場合はほとんど成功しませんでした。疑惑の的が若い男性であったならば離婚を言い渡されるであろう訴えも、慈悲の名の下に黙殺されていたのです。むしろ、老いた夫と離婚しようとする若い妻は、社会から冷たい目で見られていました。


 中世西洋において、生殖は結婚の第一の目的ではあっても、唯一の目的ではなかった。だからこそ、老人の結婚は許されていたのです。満たされない欲望に悶え苦しみ時に昼ドラな事件を巻き起こしたであろう、不幸な妻たちの苦しみは蔑ろにされて。


 次週からは本題に戻り、「性的不能者が結婚した場合」の様々な波紋を紹介していきます。が、その前に今回の参考文献を……。


・池上英洋<官能美術史>

 持参金の解説で参考にしました。

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