こんな場合ってそもそも結婚していいの? ①両性具有者

 どうも!

 「イスラム芸術の幾何学」という本に熱中するあまり、週一更新という目標をすっかり失念していた作者です!! ……だって、この本を読めばイスラム文様をデザインできるようになるって密林のレビューに書いてあったから、つい……模様を作るのが楽しくて楽しくて……。

 と、言い訳はここまでにしてさっそくまとめに入らなければ!

 

 これまでまとめたように「不能」は婚姻取り消し・婚姻の禁止となる重要なファクターだったのですが、ほかにも結婚の如何を左右する理由は存在したのです。その一つは、両性具有であった場合でした。

 

 プラトンの「饗宴」では、原始の人間はそれぞれ四本の手足を持つ球形の肉体を持つ三種の「男―男」「男―女」「女―女」に分かれていたと語られています。

 不遜にも神々に叛逆しようとした原始の人間は罰として大神ゼウスによって身体を真っ二つに引き裂かれた。つまり、「男―男」は「男と男」に「男―女」は「男と女」に「女―女」は「女と女」に分かれた。ところが半身を切り離された人間たちは、それ以来離れ離れになった半身に焦がれ、分かれ分かれになった半身と再び一つになるために互いを求めあうようになった――なんてロマンチックなお話なんでしょう! 実は私、このお話が好きなのです。なぜならロマンチックだから。

 ちなみに、女を愛する男や、男を愛する女は原始において「男―女」であった人間の、男を愛する男は「男―男」であった人間の子孫なのだとされているそうです。ならば女を愛する女は「女―女」の末裔なのでしょう。こういった妄想ができるから、私はこのお話が好きなのです。中世においては語られるのも稀だった女性同性愛……百合……。すみません、話が本筋から逸れてしまいました。

 

 ギリシア神話にはヘルマプロディートスという両性具有の神が存在します(もっとも、は生まれた時は男性で、後に色々あって両性具有になったのですが……詳しくはググりましょう!)が、ギリシアや、ギリシア文化の薫陶をうけたローマでは、両性具有者ははっきり言って化物としてしか見做されていなかったそうです。両性具有者が生まれれば、アテネでは海に、ローマではテヴェレ川に突き落とされていたぐらい。他にも、ネロ帝は両性具有の動物に自分の馬車を牽かせ、自身の偉大さをアピールしていたのだとある法学者は述べています。

 現在のトルコ中西部にあったフリュギアでは、ゼウスがうたた寝した際に漏れた精液が流れた大地からアグディスティスという両性具有の奇怪・・な赤子が誕生したために、神々は恐れ慄きこの赤子の男性器を切除した~なんていう神話が伝えられていましたし……。この偏見の起源は、果てしなく根深そうです。


 さて。人間の両性具有者を取り巻く環境は、紀元三世紀に古代ローマのさる法学者が比較的自由な地位を与えたために、「優位の性に応じて、男または女として扱われる」と著しく改善されたそうです。ですが、身体機能と精神において優勢な性が一致していなかったら、非常に生きづらかったのではと考えてしまいました。

 しかも、続けて、

「中世をつうじて、そして、十六世紀までは、両性具有者の身のふり方はあまりはっきりと定義されたことがなかった。おそらく、悪魔の子や手先として制裁をうけ、火刑に処されたことも、一度ならずあっただろう。生き埋めにされたものもあったことだろう。」(カッコ内原文ママ)

 なんて述べられているし……。せっかく法律(「レックス・レペトゥンダルム」という性の識別についての法)も作られたのに。ローマ帝国が崩壊してから、色々あったんでしょうね……。

 色々と大変で、時に悲惨な目に遭った両性具有者が法で保護されるようになるには、十六世紀まで待たなければなりませんでした。ある教会法学者は先に述べたレックス・レペトゥンダルムの条項を取り入れ、両性具有者が結婚する場合の対処法を詳細に規定したのです。


 一つ。医師と産婆が、彼あるいは彼女の身体を見分し、どちらの性が優勢なのかを確かめる。

 二つ。下された決断によって、彼あるいは彼女は、完全な「彼」または完全な「彼女」とされる。そして、異なる性を持つ人間となら何の支障もなく結婚できる。どちらが優勢か区別しがたい場合は、性を選ぶ権利が与えられる。が、選択したのではない性を使用しない(つまりは同性愛行為をしない)ことを法的に誓わなければならない。

 

 ――両性具有として生まれただけで魔性だの、神に対する冒涜だなどと蔑まれるよりははるかにマシな処遇ですが、そもそも人間の性や心とはこんなにきっぱりと「男」か「女」かに区別できるものではありません。事実、男としての生を選択しながらもいわゆる「女」として性行為したために火刑に処された両性具有は多かったそうです。

 女として生まれたが成長とともに男として兆すようになり、巡り合った愛する女性とも見事結ばれ、彼女を妻とし自分は夫として生きていこうとしただけで投獄された両性具有者もいました。本人の意識を尊重すればは、男装と女色の罪により一度は死を命じられましたが、危ういところで両性具有だと認められ難を逃れました。もっとも、彼はその後の人生において、彼女・・として生きなければならないと命じられたのですが。

 これと似通った事例では、十八世紀という啓蒙の時代において、女性の両性具有者が晒し刑に処され、鞭打たれた上に終身国外追放を言い渡されるという事例もあり……実のところ、「両性具有者を守る・・」という法律の目的はほとんど全く果たされていなかったのですね。


 聖職者を両性具有と呼べば侮辱となり(こういう考え方は、両性具有者に対する差別であり偏見でしかありません)厳罰が課され、参事会員(面白くもなんともないので詳しい説明は省きますが、ざっくり纏めればおエライ聖職者のことです)を中傷すれば高額の罰金を払うのみならず、法廷と大聖堂の門前という公の場で謝罪しなければならない場合もあった中世。

 両性具有者は社会から爪はじきにされ、良い場合でも見世物として生きることを余儀なくされていたそうです。極限まで言い切ってしまえば、不能者よりも両性具有者の方が悲惨だったのだ、と参考にした章は締めくくられていました。


 最後に参考文献の紹介を……

・角川ソフィア文庫<饗宴 恋について>

・新紀元社<オリエントの神々>

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