不能の種類と原因 ④女性の不能
さて、いきなり話は不能裁判から逸れてしまいますが、岸田秀著<性的唯幻論序説>によると、子孫繁栄のためには男のナニがエレクチオンしなければならないけれど、女のそこがウェットになる必要は全くない。言い換えれば、女は性欲を感じる必要はありませんが、男にはムラムラしてもらわないと困る。人類が滅亡してしまう。そのため、人類の(とくに性にまつわる)文化は、男を優先して女を下に置くことで発達してきたそうです。
――女は性欲を感じる必要がない。
はい! どこかで聞いたことがあるような思想ですね!! 具体的にはヨーロッパを支配する、刑死した男を救世主として、神の子として崇める宗教は、中世ではこんな風に考えていたはずです! まあ、カトリックは(あ、明言しちゃった!)女だけに限らず人間の性欲一般を嫌ってましたけどね……。
ここでそろそろ話を不能裁判に、女性の不能に戻しますが、ここで取り上げるのは「構造的な」不能であって「情動的な」不能ではありません。
例えば、現代で言えば不感症にあたる悩みを抱き、配偶者にあちこちを触られてもまったく感じなかったか性欲が全くない女性が中世ヨーロッパにいたとします。性行為の最中、彼女のソコは当然ドライなままで、当該女性は局部が擦れて非常に辛い思いをします。が、ナニを迎え入れられている以上、彼女の事例は「不能」には分類されません。むしろ性行為で喜びを感じない彼女は、中世西洋の価値観では非常に立派で徳が高い女性です。聖女です。オールオッケー問題なし、です。……あくまで教会にとっては、で旦那さんや本人にとってはどうなのかは断言しかねますけどね。
そもそも、エレクトしないというそのものずばりの男の事例とは違って、女の性欲や快感の有無って、外側からは分かりにくいもの。あまり世間では議論されなかった女の不能が教会法学者に認められたのは、なんと1610年のことなのだそうです。
入り口があまりに狭すぎて、ナニが通らない。こういった女が勇気を出して振り絞った抗議の声による離婚に、九世紀フランスの司教は猛反対しました。しかし二世紀後のルキウス三世(カノッサの屈辱で有名な、フリードリヒ一世と同時代のローマ教皇です)は「こういう結婚って、無理なんじゃないの」と見做し、「教皇は太陽。皇帝は月」で有名なインノケンティウス三世の時代になってようやく、女性の不能による離婚が制度化されるようになったそうです。それでも、法学者に認められるまでに、ゆうに五百年もかかってるんですけどね……。
と、言うわけで女性の不能=女性器になにか問題があって挿入できない、を意味するのです。
このパターンで一番よくあるのは、前述の「狭すぎる」場合。この事例は「アルクティテュード」と呼ばれていたそうです。アルクティテュードは、太いブツは入りませんが細めならば難なく性行為できるので、絶対的ではなく相対的な不能に属します。相手さえ変えれば上手くいくので。
他にも、女性の不能は
・均一な膜が膣を塞いでいる、あるいは子宮頚が瘤状の突起で塞がれている「クラウスラ」
・厚みも、穴が開いているかも、どこに位置しているかも様々な「ヴェメラン」という膜(処女膜とは違うそうです)に膣が塞がれている
更に二つのケースに分けられるそうです。ふーん、って感じですね。この問題は非常にデリケートではありますが、わざわざ名前を付けて呼び分けるほどのものではないような。というか、クラウスラの膜とヴェメランの膜の違いが、私にはさっぱり分かりません。おんなじじゃないのかよ……。
――と、首をひねっていたら、原文に
『処女膜によっては、硬さと厚さがときに障害となり、勢いのある陰茎でもかならずしもそれを突破できないことはたしかだ。そういうときには、この欠陥は「クラウスラ」と同一視するしかない。』 (『 』内原文ママ)
という注目すべき文を発見してしまいました!
そして以降の文を読み進めてて察するに、どうもアルクティテュード→ヴェメラン→クラウスラの順番で、女性の不能は解決しにくくなると考えられていたみたいです。あくまで私の推測にすぎませんが。
とにもかくにも、ヴェメランが脆くて薄い組織で出来ていた場合は、ほとんど性行為の妨げにはなりませんし、多くの場合は出産によって破れてしまいます。ヴェメランが膣の奥の方にあった場合は、性行為はできても、妊娠するにはこの膜に穴が開いていなければなりません。が、膣の奥にヴェメランがあった場合、妊娠できても出産には危険が伴うと考えられていたそうです。ある法学者は、「一般的には死を招く」とすら述べています。危険性が考慮されたためかどうかは分かりませんが、ヴェメランの場合は切除手術(……考えるだけで痛そうですね)も行われていたそうです。が、手術が成功するには
・膜が薄く、神経が通らない肉の組織からできている
・入り口付近の、手術道具が届く位置に膜がある
・患者が若いかどうか
という要因にかかっています。不運にもこれらの要因を満たさない、切除不可能な(手術すれば当の女性が命を落としかねないと判断された)ヴェメランの場合は、離婚が認められていました。
最後のクラウスラの場合は……裂目のない塊上の突起で子宮が完全に塞がれています。これが生来のものか負傷か潰瘍の後遺症であれば、不能を治すことは不可能。ただし、最近の病気によるものであれば、簡単に治すことができるとされていたそうです。ただし、クラウスラの膜に神経が通っているようならば、夫は自分の独断だけで手術を決めず、医者の判断を仰がねばならなかったそうです。
……そりゃあそうですよね。というか、「この場合は~」なんて明記されているということは、他の場合は夫の独断で、妻の真意に関わらず手術されることがあったのでしょうか。考えるだけでゾッとしてしまいます。
なんだか暗鬱な気分になったところで、次回予告を始めます。
世の中にはそもそも、不能云々を別にしても結婚できるかどうか議論されていた人々がいました。次回からは、そういった方々の事例を……。本筋からは逸れてしまうかもしれないけれど、これも社会史の重要な側面だと思うので……。
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