不能の種類と原因 ①主に男性に原因がある場合

 今回の単元はコレ! 「不能の種類と原因」です。現代においてEDには様々な原因があると特定されているように、不能裁判が行われていた当時のヨーロッパでも不能には様々な要因があると考えられていました。男性生来の体質によるもの、はたまた病によるもの、またあるいは魔術なんていかにも中世らしい考えも……。

 ただし、当時の「不能」は現代における不能よりも幅広い事例を含むものでした。奮い立つだけではなく、入って、出さなければならないのです。この辺りは前話を参照してください。ですが、いかにもなお偉い専門家たちがこんなことを真面目に議論していたと考えるとなんだかおかしいですよね。


 さる厳格な教会法学者は「しかるべき場所」ではない所に精液をまき散らす男まで不能者に数え、こういう考えが二十世紀に至るまで幅を利かせていたそうです。同性愛・一人遊び厳禁の中世キリスト教社会ですから、同性相手には、あるいは自分の利き手には……という方も不能に分類されていたのかもしれませんね。そもそも、自分、同性相手ならイケます! なんて明らかにしたらヘタすりゃ即処刑ですので、公言できる訳ないのですが。

 また、たとえ女性相手に性行為をしても、それが口や肛門での「自然に反する」性行為だったのなら性的能力の証とすることはできなかったそうです。現代では単なるプレイの一環なのですが、しかるべき畑にタネを蒔かなかったから、ダメなんですね。

 

 つまるところ、ある男性の性的能力が認められるには


・特定の女性に対してナニが反応すること

・その女性のしかるべき場所と結合し、放出できること


 という条件が必須だったのです。ですが不能に至る原因というのはかくも複雑なもので、上記のような簡明な事例に分類できるのはむしろ稀でした。

 性的不能が婚姻前からの、生来のものだったと判明すれば、訴えを起こした妻は間違いなく夫と離婚できます。しかし、そうでない場合。例えば病や怪我による不能だった場合は、それが生涯に渡るものであれ離婚できない場合があったのです。では、以下でその種類をまとめていきます。


①先天的かつ永久的な不能の場合

 この、発覚すれば即離婚確定な不能は、

 (A)性器に奇形・欠陥がある場合

 (B)性欲がない場合

 に区別されます。

 

 (A)のタイプはそのものずばりで一目見れば不能の原因が明らかですので、さほど複雑な議論を必要としませんでした。そしてこうした不幸な男性たちは、ただ結婚しただけで社会の憎悪と嘲笑の的となり、怪物呼ばわりされ、世間からのけ者にされます。例えばある神学者はこう述べています。原文が面白いのでカギカッコつきで以下に抜粋しますね。


「かれらには罪のしるしが刻みこまれている。これほど大きな欠陥を負っているのだから、どうしてかれらを完璧な男とみなせようか。かれらに結婚が可能だなどと、どうして考えられようか」


 なんて散々な言い方なんでしょう!

 またある弁護士は、性器のない男は夢魔インキュバスであり、この悪霊同様にスキチア(※1)の氷よりも冷たく、女が本来持っている生殖能力を壊してしまう、なんてこれまた散々に罵っています。彼には、不能裁判の餌食になるのは明日は我が身かもしれない、という怖れはなかったのでしょうか。

 ※1 現在のウクライナを中心に活動していたイラン系の遊牧騎馬民族スキタイ人の居住地のことです。


 ですが中には、睾丸はないがその他の部分(髭の有無や体毛の濃さ、声の低さなど。また「知性の鈍さ」なんて判断材料も挙げられていたのですが、いかにも男尊女卑の中世ヨーロッパらしいですよね。賢くない男は完全な男と認められないそうです)では異常はない。けれども射精しない、という分類しにくい事例もあります。十七世紀初頭まではこういった男達の結婚は容認されていましたが、一方で射精できないため不能であるともされ、婚姻を取り消すかどうかはあくまで妻の意志に委ねられていたのです。

 しかし、教皇シクストゥス五世は1587年に「性器に欠陥のある男との結婚は極悪非道な淫蕩」とし、妻の望むと望まざるとに関わらず、この罪深い婚姻の強制的な解消を命じました。また、1601年に起きたダルジャントン裁判の判決は、性器に欠陥のある男達にとってあまりにも厳しいものでした。


 由緒正しい名家の令嬢マドレーヌと結婚したダルジャントン男爵は、「見た目にはタマ袋は無けれどもタマのない袋のようなものはある。しかしそれも、仰向けになると中にめり込んでしまい、竿だけになってしまう。しかもその竿、普通のより短い」という男性でした。マドレーヌとダルジャントンの初夜はつつがなく行われたのですが、マドレーヌは母親の影響などにより、自分の夫を不能だと思い込むようになり、ついに訴えを起こして……男爵は意義を申し立てたが敗訴してしまうのです。


 性器以外は普通の男性と何ら変わるところがなかった男爵、弁護人の力も借りて

「愛の耕作」(原文ママ)には「睾丸が外から見える」必要などない(これも原文ママ)ことを証明しようとしたのですが果たせず、彼の名誉は彼の死後まで快復されませんでした。

 医者や外科医はまだしも、どう考えても不要だろう大勢の貴族が見守る中で行われた死体解剖の結果、ダルジャントン男爵の睾丸は体内にあったのだと明らかになった。このパリ中を騒がせた結果を受けパリの医科大学は以下の判決を下しました。

 ――ある男が生殖能力をもつためには睾丸が陰嚢の中にある必要はないが、性的能力を示す他の十分な指標をもっていなければならない。この判決は格好の先例となり、1607年には睾丸の片方はないが生殖能力はある男性の挙式を中止させる、という判決まで出されています。その男性は、さぞや悔しい想いをされたのでしょうね。

 また、死んだ後までも興味本位で見世物にされ、笑い物にされるダルジャントン男爵はなんて哀れな男性なんでしょう! 彼の魂に幸いあれ!


 さて、単純明快なようで複雑怪奇でもある(A)の場合とは異なり、(B)はどうったんでしょうね……。実は、悪魔の証明と同じでないものについて記述するのは困難だったのか、書籍にあまり記載がなかったので推察に頼るしかないのです。まあ恐らく、これと思い当たる理由もなく自身の有用性を示せなかった場合は(B)に分類されていたのでしょうが。


 身体に異常がなく、また病気や怪我に悩まされていないし、魔術をかけられたわけでもないのにナニが役に立たない。その原因としては、


 (C)夫婦相互の欠陥

 (D)相対的な理由


 が挙げられます。(C)と(D)は、誰とやっても完遂できない(A)や(B)の場合とは異なり、相手さえ変えればうまくいくタイプの不能です。


 例えば(C)の場合。双方の突き出た腹が性行為の邪魔になる。はたまた体格が違いすぎる。また、どちらかの性器が大きすぎたりはたまた小さすぎたりして、性行為が上手くできない、という事例があります。

 肥った男ならスレンダーな相手とならつつがなく性交渉できるだろうし、現在の伴侶にとっては大きすぎる(あるいは小さすぎる)性器でも、別の相手にはピッタリかもしれない。だったら、そういった相手とやり直せばいいのです。


 具体例として挙げられていた(D)の事例は、「相手が処女だと不可能だが、寡婦だった場合は性的能力を如何なく発揮できる」という何とも珍妙なものでした。これ、完全にその男が未亡人マニアだっただけだと思うのですが、どうなんでしょう。この場合は、処女との再婚は禁止だが、寡婦との再婚はOKなんておかしな判決が出されたそうです。ですが、処女はダメで寡婦はOKなんておかしい! 教会法に反する! なんて非難されたこともあったのだとか。

 また、上記の例には及ばずとも、現代の「妻だけED」にあたるだろう裁判の記録も残っています。

 妾とは子供まで作っているのに自分には指一本触れようとしない夫を訴えたある妻は、晴れて離婚を勝ち取ります。夫婦共に他の人とは再婚できるという許可と共に。

 他の女とはできるんなら、最初からその女と結婚してろよ元夫! という感じですね。

 何で元妻と結婚したんだ!? 家柄か? 財産目当てか? なんて色々ツッコみたくなっちゃいますが……ここで次回予告。次は、これぞまさしく中世な「②呪いによる不能」です!

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