串刺し
ところで皆さん串カツはお好きですか? 私は好きです。串カツには色々な種類がありますが、うずらの卵なんか特にいいと思います。
他にもしし唐やハムなど、皆さんそれぞれに一押しのネタがあるのでしょう。
さて話は急に変わって、今回は人間の串刺しについてまとめます。前話に引き続き、今回もまた「残虐の民族史」の力も借りていることを最初にお断りしておきます。
ほんとに急に変わっちゃいましたね! 無理して導入をほのぼのさせようとした結果がこれです!
串刺しの起源はエジプト、アッシリア、ペルシアといった様々な国と文明が勃興した古代オリエントにあり、そこから世界中に広まっていったそうです。肥沃な三日月地帯を巡る数多の民族の興亡。乱世においては雄々しく戦うことももちろんですが、敵を委縮させ戦意を喪失させることもまた重要だったのです。
敵の街を包囲したら、よく見える場所で捕虜を串刺しにして、放置する。犠牲者の悲鳴が街に籠る者に良く聞こえるようにと、時に風向きすらも考慮に入れて……。自分たちに逆らった者の末路を、敵に示す。一種の心理戦が、遙かな古代既に行われていたのですね。
串刺しを好んだ君主としてとりわけ有名なのが、かの有名なドラキュラ伯爵のモデルである、その仇名も有名な「串刺し
ヴラド三世が生を受けた当時の東ヨーロッパは、オスマン帝国の侵攻著しい時期でした。ヴラド三世の仇名「串刺し公」は、戦いで捕虜にした二万人のオスマン兵だけでなく、自分の父や兄を裏切った疑いのある配下の貴族たちをも生きたまま串刺しにして粛清したことに由来するそうです。
世界中で行われていた串刺しにはやはり地域差があり、肛門や膣から口までを貫通させるものから、珍しいものでは腹部を貫通させるものまでありました。まず最初に、以下でヴラド三世も行ったであろう東ヨーロッパやロシアの串刺しをご紹介します。
まず初めに、犠牲者をうつぶせに寝かせ、脚を広げて押さえつけます。この時、両腕は釘を打って地面に固定するか、背中で縛り上げておくことを忘れずに。その次では、肛門に潤滑油を塗るなり、ナイフで肛門を切り開くなりして、杭を入れる準備を行います。この手順は使用される杭の太さによって、適宜どちらかより相応しい方法が適用されていたそうです。杭が入ったら、執行人は杭を両手でもってできるだけ深く押し込んで……ここから先は、時代・地域・法・判決などによって幾分かの差異が見られますが、いずれの場合にせよ被害者は凄惨たる苦しみを味わいながら息絶えることだけは変わりありません。
50センチほど杭が体内に入ると、杭は前もって彫られていた穴に垂直に立てられます。するとどうなるか? ――重力は発見されておらずとも存在していた中世において、信じられてはいたが実存はしていなかったマジカルなパワーを操る術など持たない犠牲者たちは、自らの体重によって……。もちろん、ここまででは犠牲者の息は在りますから、とてつもない苦痛を味わうこととなるのです。
執行人が不慣れな場合は杭が肩から出てしまう場合もあった。しかし大抵の場合は杭は最終的には腋の下や胸、背や腹から出ていっていたのですが、実はこれはまだしも幸運な事例でした。もしも、杭が重要な器官を傷つけずに突き出てしまったら? 犠牲者は、地獄の苦しみを数日間も耐えなければならなかったのです。
鞭打ちでちらっと名前が出てきた雷帝イヴァン四世によって串刺しに処されたさる大貴族は二日間もわめき(……よくそんな体力と精神力があるなあ)、ロマノフ朝のロシア皇帝ピョートル大帝の皇后の愛人は、刑の執行から十二時間後も意識を保ち、ピョートル大帝の顔に唾を吐きかけたのだとか。
ところでヴラド三世は犠牲者の苦しみを少しでも長引かせるため、先端を丸くした杭を用いていたそうですが、これはむしろ中近東や北アフリカ、東南アジアでメジャーな方法でした。一説によると、ヴラド三世は一時期人質として服従を余儀なくされたオスマン帝国の串刺しの方法を取り入れ発展させたらしいのですが、そういった事情も関係しているのかもしれませんね。
先端が鋭利であるならば、杭は先にある臓器全てを貫き、犠牲者はたちまち致命傷を負い、出血多量によって比較的速やかに死ねたでしょう。しかし、先端が尖っていなかったら……。杭は臓器を緩慢に押しのけ、犠牲者は苦しみながら死んでゆくことになる。
ヴラド三世を特別な例とすれば、西洋においては死刑完了時に杭が口から出ているのが良しとされていたため、鋭利な杭を使われることが多かったそうです。ロシアでは、杭が心臓を貫くようにと調整までされていたとか。対照的に東洋では、串刺しは見せしめとしての性格が強く、犠牲者を長くいたぶることが重要視されていたので、先端が尖っていない杭が使用されていたのです。中国の串刺しでは節を抜いた竹や、真っ赤に熱せられた鉄の棒が用いられていたとか。
また、串刺しは何も処刑のためだけに執行されるものではなく、18世紀のアフリカでは生贄とされた娘たちが先端が尖った柱で串刺しにされていたそうです。流石に現代では行われていないだろうと信じたい串刺しですが、数百年前までは普遍的に存在する刑罰だったのですね。
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