凌遅刑
知っている人は知っている、知らない人は覚えなくてもいい。まして画像検索なんか絶対にしちゃだめだよ! 凌遅刑とはそんな刑罰です。主に法律改定が成された二十世紀初頭までの中国、あと韓国でも行われていたそうですが、何度も繰り返しますが検索するときは要注意! これはダチョウさんのネタの真似でも何でもなく、私は出さなくてもいい勇気を出してウィキの写真を開いてみたのですが、「……見なきゃ、良かった」となったので! モノクロだったから耐えられたけど、カラーだったら即アウトものでした。
あまり一般的ではない(そもそも刑罰の名称が一般的だったらおかしいのですが)「凌遅」ですが、これは元々は「陵遅」と記されていたそうです。ニュアンスを正確に伝えるのは難しいのですが大ざっぱに纏めると「緩慢にことを成す」ことを意味しているのだとか。それから転じて、
凌遅刑は前述の通りゆっくりじわじわ肉を切り取って罪人を苦しめる刑罰で、その長さたるやなんと三日にも及ぶとか。無論、その途中で力尽きてしまった犠牲者も数多くいたのでしょうが、それにしても驚くべき長さです。その長さゆえ、刑の執行者はもちろん罪人もお腹が減るので、途中でごはんを食べたりするんだとか。現代日本人の感覚からしたら、よく食欲が湧くなあ……、とある意味感心? してしまいます。しかし、自分が切り刻まれている時にごはん食べようなんて気になれるものなんですかね……? 犠牲者の中にはおかゆをお代わりする根性があった人もいたらしく、ここまでくるともう言葉が見つかりません。
凌遅刑と類似する刑罰は歴史資料や水滸伝などの有名な物語の中でも散見されていますが、この刑が正式に刑罰として採用されたのは、唐の滅亡から北宋の成立までの五代十国時代のこと。あまりにも多発する犯罪への見せしめや警告のために採用されたそうで、事実この刑は民衆に公開されていました。
凌遅刑は、採用された当初は解体の手順などは厳密には定められていませんでした。が、時代が下り、重罪人にのみ科せられる刑とされるようになると、手順は増えまた内容も凄惨なものになっていきます。元代の記録によれば、罪人を町中に晒したうえで処刑台に釘づけにし、百二十回切ることになっていたそうです。
次の明代になると切り刻まれる回数は更に増え、三千六百や四千二百回も切られることがあったとか。人体って、そんなに刃を振り下ろすことができるんですね。
刀が振るわれる回数は罪の軽重に左右されていたと考えられているそうですが、このタイプの凌遅刑の犠牲者となった亡骸の表面は細かい麻糸が密集したか、ハリネズミのようになっていたそうで。想像してみると……いや、やっぱりやめておきましょう。
凌遅刑の犠牲者の、細切れにされた肉は薬として販売されていました。と、いうのも、中国では人肉や人間の血液が良質の薬と考えられ、悩める人々に飛ぶように売れたからです。人肉を薬とする思想は中国に限ったものではなく、江戸時代の日本では打ち首になった罪人の内臓が密かに薬として取引され、更には明治期においても「義兄の病気を治すために少年を殺して、その肉でスープを作りました」なんて事件がありました。有名な安達ケ原の鬼婆のお話などでも、胎児の肝が薬とされていますね。
このように、人肉を薬とする思想は中国に限ったものではないのですが、中国は他地域と比較すると人肉食へのタブー意識が低かったそうです。文献を紐解くと、主君に「まだ人間を食べたことがない」と求められて我が子を調理する料理人の話などが出て来るそうで。もっとも、これは流石に鬼畜外道な行為として非難されているそうですが。
話は少し逸れてしまいますが、中国には「割股」という風習がありました。これは病気になった父母、あるいは舅姑を救うため、子または嫁が我が身を割いて
割
これまた話の流れが変わってしまいますが、私は高校の授業で解いていた漢文の問題の解説で「割股」を見つけて妙にテンションが上がったことがあります。
……話を本筋に戻しますね!
凌遅刑では、扱いやすい小刀が使用されます。しかし時に、それぞれの柄に身体の部位の印が刻まれた専用の小刀が用いられることがあります。これらの刀は籠に入れられていて、執行人は気まぐれにどれか一本を取り出すのです。そして、目用の刀なら目を抉り、足用なら足を切り落とす。専用の小刀が揃えられない場合は、身体の各部位を書き記した紙を一枚一枚引き、当たった場所に刑を執行するというくじ引きを行ったそうです。
この場合、犠牲者の身内は処刑を早く終わらせ、犠牲者の苦しみを少しでも減らすために、執行人に賄賂と「心臓」と刻まれた小刀か紙を渡したのだとか。ここにきてようやく人間の純粋な優しさが出てきてくれたなあ、という感じです。
他にも、犠牲者の身体に金網を巻きつけ、金網からはみ出た部位や肉を一つずつ切り取る、なんて方法もあったそうです。この場合、犠牲者は致命傷を負うことはなく、出血多量によってじわじわと絶命するもののと考えられます。
清代になると鼻。両耳、局部、両足ときて最後に首を斬りおとす、別名「七所斬り」と呼ばれる凌遅刑が行われるようになったそうです。これは他の凌遅刑よりは格段に楽に死ねますが、他の処刑方法と比べればその苦痛はやはり甚だしいものがあります。
前述した通り、凌遅刑は民衆に公開され、民衆が参加することもありました。誰もが参加したがったので、料金は非常に高くついたとか。中世ヨーロッパでも処刑は娯楽だったことを踏まえると、人間の本質とは何か、について考えさせられてしまいますね。
最後に、今回のスペシャルサンクスを。
・柳内伸作<残虐の民族史>
・中野美代子<カニバリズム論>
・大西俊輝<人肉食の精神史>
とご高覧していただいた皆様に。ありがとうございます!
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