漫画「イノサン」で車輪刑が出てきて、なんでわざわざ車輪にくくりつける?
と不思議におもっていたのですが、これを読んで長年の疑問が解決しました。
車輪イコール太陽神だったのですね。
作者からの返信
澄田さん「イノサン」お好きなんですね!!! 私も好きなんです!!! そう、あれはきっかけそういう意味だったのです!!!
キリスト教が国教になってから抑圧され忘れ去られたはずの古の多神教の名残。でもその残滓は、形骸化したものかもしれないけれど、脈々と受け継がれていたのですよ。ロマンがありますよね~(*^▽^*)
阿部謹也先生の書籍はよいですよね。私も愛読しています。
「晒す」ことに意味がある……。モミの木にさまざまな贈り物をぶら下げる某宗教の年末行事も(笑)、起源をたどると古代ケルト人(島ケルトに限らず)が、倒した敵の死骸をばらして木に飾った風習が基だとか……(^_^;)←それを知った時、一神教に抵抗感のある私でも、キリスト教えらい、と思った記憶があります。
東シベリアでも、チョウセンゴヨウの木に亡くなった家族の遺体や、狩猟で得た獲物をぶらさげる風習があります。シャーマニズムの名残なんでしょうね。モンゴルやトゥバで、オボーに馬の頭骨を晒す、風葬なんかとも近い感覚かもしれません。
ちょっと、現代日本人には理解出来ませんが……。
次も期待しています。
作者からの返信
Azurite さまご高覧&コメントありがとうございます("⌒∇⌒")
白いお髭のお爺さんが活躍する日は、色々と興味深いですよね! 正教では1月ですし……。
モミの樹の行事については……キリスト教って何だかんだで「愛」の教えなんだなあとしみじみしてしまいました。人体がぶら下がってるツリーは飾りたくない……。
東シベリアの葬礼……(。_。)φしなきゃ!
遺体を樹にかける風習については、グルジアでも酷似したものがあった、と書かれている本がありました。もしかしたらこの風習、けっこう広範なものなのか、そうでないのか……?
今回も貴重なお知恵をありがとうございます(*^^*)
凄い話ですね。
読んで思い出したのが、日本の切腹は、その行為が苦しいからこそ価値があると聞いたことがあります。
そして介錯という名の『慈悲の一撃』で苦しみから解放する……
ヨーロッパもおかしいですけど、日本もおかしいっていうw
世界には理解できないことがまだまだありそうです(^^;
作者からの返信
切腹って、そういう意味があったのですね! 今まで身近過ぎて逆に興味が持てなかったのですが、切腹について調べてみるのも面白そうです(*^▽^*)
でも、苦しいからこそ価値があるってなんだかわかる気がします。
もちろんそうではない場合もあったでしょうが、通常切腹する側って何かを「やらかしてしまった」側だったように思います。そんな相手にただ安らかに死なれても、私だったら「で?」っと思っちゃう。少なくとも許そうとは思いませんね。むしろ、死ねば許されるだろうという考えが透けて見えて、卑しいとすら感じます。そもそも、お前の命にどれほどの価値が……という話ですし。
でもあえて苦しいに決まっている死に方をするのなら、謝意を受け入れるし、相手の勇気に感服もします。切腹における苦痛って、切腹を行う者の付加価値になっていたのかもしれませんね(*^-^*)