29. モンスタークラン

 涼也が事前に想像した基盤は、真っ暗な虚無空間、或いは共有現実に似た焼ける草原といった世界だった。そのイメージと、眼下の光景とは余りにも違う。


 あちらこちらに立つ火柱、これは予測の内だが、地平線まで広がるのはビルが建ち並ぶ近代都市である。

 灰が舞う仮想の街。

 火を避けながら地表近くまで降下した彼は、都市が日本のものだと確信した。


 消費者金融の看板や、道に停まるトラックの側面に書かれた文字は日本語だ。場所は駅前、百貨店のマークにも見覚えがあった。

 しかしこれは――。

 ピザ屋の印刷看板に、箱型のバス。駅前に停まるタクシーや自家用車は、全てレトロなガソリン車。光を放射する電子噴水も、中空に浮く動画広告も存在しない。


 燃える駅舎の正面に視線を移して、漢字表記の駅名に目を止めた。

『真波駅』、ここは過去の真波市の再現、アスタリスクの原風景か。


“真波事件を起こした能力を、機械的に再現したのがKなんだよ”


 鹿坂の説明が、頭の中に蘇る。四十年前の記録を再構成した結果生まれたのが、このレトロ都市だと考えられた。

 しかし、基盤のあるじは人格を持たない機械であり、人格まで付与されていないはず。

 生体リンクの発動機が、思い出に浸っているわけではないだろう。感情があるのは、上層にいた収容者たちであって――。

 ここまで考えて、涼也は坂本の行動に得心がいった。


 神堂ら拝火神統会の連中は、暴走計画に必要な特性を二つ備えている。アスタリスクと同調する能力、そして破壊衝動だ。

 外界へ浸蝕しようという意志、火で焼き尽くそうという妄執、どれも神堂が与えた行動方針だった。

 能力はKが、情念は神堂が司る。

 アスタリスクと名付けられた破壊者は、機械と人間のキメラと言えよう。


 神堂の殺害が解決策たり得たのか、試す価値はあったなと、涼也の顔に皮相な笑みが浮かぶ。警官を職に選んだ自分には、「とりあえず」で実行できる方法ではないが。

 涼也は駅前広場の中央に降り立ち、アンカーを打ち込んだ。


 ――ここを起点にしよう。


 アンカーを繋げて進むべき終着点は、アスタリスクの居場所だ。

 敵の場所を確定するために、使えそうな探知モードをリストの上から発動していく。


 熱源探知、これは多数の火に反応して、まともに使えない。極端に強い熱源も見当たらず、アスタリスクが巨大な火の塊ということもなさそうだ。

 音響探知は無駄、動体探知が教えてくれるのは、やはり揺れる炎だった。

 磁力、電圧、飛行物、どれも無反応。検出能力は最大に高められており、この広大な平面空間でも漏れは無いだろう。


 モンクラならではの対象モンスター探知は、事前のマーキングが必須、残るのは他のプレーヤーの位置を知らせるハンター探知くらいか。ここにいるプレーヤーは涼也独りだけで、現在位置以外に光る点が現れるはずも――。


「――あるな。北々東へ二千キロ弱」


 上層とリンクするアスタリスクを、外部接続者として識別したらしい。

 ワイバーンに跨がった涼也は、ビルに当たらない程度の高さまで上昇して、もう一人のプレーヤーがいる地点を目指した。


 低空飛行は、アンカーを地表に撃ちながら進むためだ。起動すれば、細いラインがこの地に刻まれる。アスタリスクの世界を傷付ける、異物を流し込む亀裂が。

 適当に左右に散らしつつ、彼は忙しくアンカー射出を繰り返した。音速を超えて移動しているため、これでもアンカー同士の間隔は二キロくらいはある。


 動作に問題が無いか確かめるため、一度速度を落として起動を命じた。

 微妙に蛇行して並ぶ銀杭に、期待通り黒い・・稲妻が走る。ナルの改変により、アンカーは電撃を失い、替わりに浸蝕効果が付与された。


 黒線はハッキング用の侵入口、みるみる内に亀裂から溢れて広がるシミは、管理室から送られた世界データである。

 炎上する真波駅前のホテルが裂けて、吹雪が下から噴き出し始めた。


「ああ、この真波市はタイリングされてるのか」


 百キロも飛べば嫌でも分かる。同じ風景を、もう数度見た。

 駅を含む数十平方キロほどの四角、いや八角形のエリアが、延々と敷き詰められている。

 飛竜の直下にも冷気が登って来ると、時間速度が等倍に戻り、バランスを崩しそうになった。

 上層データで書き換える際は、この現象に気を付けた方がよいだろう。加速化する際はスムーズに移行するが、遅くなる方は緩い金縛りに遭うようで気持ち悪い。


「アンカーを設置中だ。何分経った?」

『……へえ、基盤は日本の街なんだ。突入から二分経ったね』

「やはり十倍速度か。目標まで千九百キロ。もう少しスピードアップする」


 交信可能なのは、改竄が上手く行っている証拠だ。このやり方で、基盤にダメージを与えていこう。

 涼也を乗せたワイバーンは、また十倍速の世界へと突入する。

 彼らは世界へ楔を打ちつつ北東へ飛ぶ、超音速の矢であった。





「あっれ? せっかく書き換えが始まったのになあ……」


 不審な顔でデータをチェックするナルの元へ、綾加が血相を変えて帰って来た。


「ここはまだ大丈夫みたいね。屋上の火は、手が付けられないわ!」

「ああ、それでかな」

「何が?」


 転送データの流れを追う彼の目は、不快な虫でも見つけたようだ。

 画面は今も高速でスクロールしているが、時々引っ掛かるようにカクついていた。


主回線メインが少し損傷してる。予備回線も太いから、止まりはしないけど……」

「その回線はどこ!」

「回線図を送るよ。端末を受信トレイに載せて」


 モニターに出した保守点検図は、綾加の携帯端末にもコピーされる。断線しかかっている箇所は、図面上で赤く点滅していた。

 中央管理室から出た線は、床下を通って廊下から、階段近くに向かう。


 部屋を出た彼女は、図のラインに沿って走り、障害の発生源へと近付いた。

 内外に丸く飛び出た極太の円柱、この中に地下へ続くケーブルが収容されている。手を当てれば分かる、柱はかなりの熱だ。原因は屋内ではなく、火に炙られた外壁であろう。


 踵を返して一階へ降りると、綾加はロビーで助けを求める。

 消火作業を行う面々が、彼女の訴えに振り返った。


「接続ケーブルが断線しそうなんです! 外からあの柱を消火して下さい」

「外からって……」


 幣良木たちは各所からホースを延長し、三グループに分れて放水を始めたばかりである。

 綾加の言葉へ真っ先に応えたのは、外に向けて水を撒いていた班、その指揮を執る山脇だった。

 ケーブルの重要さは、彼も重々承知している。ホースの先端を奪い取ると、部下たちへ号令を掛けた。


「貸せっ、お前らは援護しろ」


 制圧ドローンがゲートより内側に展開したものの、爆発音はまだ断続的に聞こえる。

 自爆者を警戒しながら、山脇ら四人が外へ飛び出た。

 麻痺銃を抜いた綾加も伴走し、目的の柱を指で差し示す。


「あれです! あの柱に水を!」


 炎は柱どころか、建物の正面側のほとんどを覆っていた。外壁タイルの一部が、熱でパラパラと剥離し始めているのが見える。

 水は何とか二階の高さまで届き、円柱の上部に直撃した。屋上までは無理でも、これなら壁の火は――。


「ぐぅっ!」


 刑事の一人が肩に火矢を受け、地面に手をつく。

 発火した服へ向け、放水ノズルが向けられた。


「中で治療してもらえ」

「縛ればまだイケます!」


 矢は防刃スーツのおかげで、そこまで深くは刺さらなかったらしい。しかし、軽傷で済んだのは、当たり所が良かっただけだ。


「機動隊は、なに手こずってやがる……」


 ノズルは綾加が持ち、柱の消火作業が続く。

 部下の傷をハンカチで縛ってやった山脇は、止まない矢襲の先を腹立たしげに睨みつけた。





「アンカー起動オン


 亀裂から噴き出す物は、雪から紅砂に変わった。

 雪原から針葉樹林帯、そして今は赤い砂漠が基盤を蝕んでいる。


 長い飛行の末に、ようやく火柱に囲まれた本体がお目見えだ。

 都市を塗り覆う、不定形のインク染み。最初は汚れに見えた黒塊も、近付くと巨大な原生動物が街を食らう姿に見える。

 タールのような粘性物質が、駅周辺のビルや道路にへばり付いていた。


 ――まあ、こいつがアスタリスクだろうな。


 直接アンカーを打ち込もうと、飛竜が黒いアメーバの上に差し掛かった瞬間、粘体から巨大な柱がそそり立った。

 柱は飛竜の高さまで成長し、グニャリと曲がって翼の先をかすめる。


 ――これは……触手か!


 飛来するワイバーンを叩き落とすべく、地上からは次々に柱が迫り出した。

 涼也は飛行ルートを細かく変えて、タールの列柱の間を摺り抜けて行く。伸びた柱はアーチに形を変え、また新しい柱が下から生まれ続けた。


 一度、アメーバ地帯を抜けた涼也は、急いでターンし、敵に相対する。粘体から盛り上がる丸々としたこぶ。これは柱じゃない、もっと巨大な――。

 形を成すのに、数十秒も掛からない。

 燃える街に影を落とす黒い翼、長く伸びた首と尾、針鼠を思わせる身体に纏う無数の針。巨体はワイバーンの十倍近くある。

 色こそ真っ黒だが、こいつは針竜“ゲールナンド”、モンクラのプレーヤーなら皆が知る強敵だ。アスタリスクはゲームデータを取り込み、自身の尖兵として巨竜を出現させた。

 そう言えば、コピー能力は敵の得意技だったと思い出す。


 戦闘開始の銅鑼はゲールナンドが務め、ほぼ無音だった世界に竜の咆哮が轟く。

 紅き砂漠の王。倒すだけで称号が得られるのは、この竜を含めゲーム中でも数匹しか存在しない。

 巨竜がアメーバから分離し、空へ羽ばたくと、風圧で街のウインドウが割れ散った。

 ビル群に降り積もっていた灰が、砂塵の如く吹き上がる。


 ――こいつの出番だな。悪いが、真面目に攻略する気はないぜ。


 アンカーキャスターを片付けた涼也は、特製弾を満載したボウガンへと持ち替えた。

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