30. 決戦

 どこまでゲームの挙動に忠実かはともかく、ゲールナンドの死角は背中側、首の付け根である。

 背骨の上や、尾の近くに位置取りすると、敵が任意に発射できる針の鱗の攻撃範囲だ。

 次に安全なのは腹の真下。針の量が少なく、ボディプレスに注意すれば、比較的楽に敵の攻撃をかわせる。


 巨竜は首を大きく後ろにのけ反らせ、二度目の雄叫びを上げた。

 主力攻撃の前動作、これはゲーム準拠で分かり易い。涼也は竜の正面へ、真っ直ぐに接近する。

 首が振り下ろされたところで、素早く右へ回避し、全速力でゲールナンドの足元へと飛び込んだ。直後、竜の口からは周囲を焼き払う炎が――

 ――違う、こいつは火を吐かない。


 ゲル状のタールの瀑布が、街の上に降り注ぐ。

 地表に落ちた黒液は、アンカーの割れ目を埋めて、赤い砂塵と混じり合った。データ改竄への対抗、やることは同じかと、涼也は不敵に口の端を上げる。

 彼のライトボウガンは、見た目も性質もほぼアサルトライフルと変わらず、弓の要素はほぼ残っていない。古き狩人の雰囲気を高めるために、ボウガンと名付けられているだけだ。撃ち出されるのが、やや寸胴な矢だという点だけが、現実の銃とは違う。

 敵の直下を確保した涼也は、ボウガンを垂直に上向けた。


「モード切り替え、十二連バースト」


 弾数が無制限のチート設定なら、何を遠慮する必要があろうか。黒液のお返しだと言わんばかりに、機関銃を彷彿とさせる発射音が鳴り響く。

 腹に刺さる十二本の弾――小さなアンカーに似た短い杭は、効果も同様に改造されていた。

 着弾点から丸く空間の穴が開く。モンクラ上層への接続点を穿うがたれて、ゲールナンドは錐揉みするように身をよじった。

 尻尾の回転に巻き込まれないように、小さなワイバーンは再びその場を高速で飛び去る。

 上体を捻った涼也は、右腕を後方、藻掻く竜の頭上へと構えた。


「サジタリウス・アロー」


 技を指定する声は淡々としていても、発動した連続攻撃はライトボウガンが成し得る最大威力を叩き出す。

 ナルもお気に入りの殲滅攻撃が、竜の上から襲い掛かった。


 矢の豪雨がゲールナンドの背を、翼を蜂の巣にし、穴だらけになった巨体がゆっくりと地表へ降下を始める。

 羽根はボロボロだが、揚力を失って落ちているのではない。接続口の小さな空間群は現実と等倍速、時間の進みの遅さが、竜の動きをからめ捕ったのだ。


 全身から砂を噴き出す竜の王を眼下に見据え、上を取った涼也はその首の裏を目掛けて加速した。

 左手にアンカーキャスターを呼び出し、トドメを刺すべく、ゲールナンドの弱点へと舞い降りる。

 迎撃に放たれた針の鱗は、避ける手間が惜しい。穴のおかげで敵の鱗の数は少なく、耐え切れる量だと判断して、彼はそのまま強引に突入した。

 アーマーを着込んだ彼と違い、針を腹に浴びた移動用のワイバーンは、苦悶の金切り声を上げる。


 ――あともう少し、耐えてくれ!


 自身の背中へ、敵を打ち据えようと跳ね上がって来る竜の尾。涼也の背後から近付くモーニングスターのような尾は、右手のボウガンが十二連射で牽制した。


「落ちろ!」


 射程に入った首裏へ、銀の杭が突き刺さる。

 アンカー起動が叫ばれたと同時に、空中に留まる力が消滅した巨竜は、地面へと墜落した。

 竜の形を失い、駅前に黒い飛沫がぶちまけられる。


「まるで潰れたトマトだな、真っ黒の」


 アンカーの直撃は効果が高く、大きく広がった接続円の中心には、早くも赤い砂丘が現れた。

 竜がいなくなっても、黒タールはまだ大量に残存する。再び地面から盛り上がる柱から、彼は急いで退避したが、少々急き過ぎたようだ。

 時間速度が変更され、水中を歩くかのような抵抗感が体を包む。

 交信が可能になったのに気づいたナルが、すかさず現状を報告してきた。


『アスタリスクは弱ってる! これなら増援が――』

「話はあとだ!」


 周囲の粘液の動きが、気味が悪いほど高速化する。

 彼がうっかり立ち入ったのは、自分が作り出した等速空間、対して外は十倍のスピード。早回しの黒い柱が、砂丘を隠す影を作った。

 弱ったワイバーンを乗り捨てて、全力で横へ跳び転がった涼也を、倒れ込んできたタールが押し潰す。

 回避するには、こんな移動距離では話にならない。現実なら今頃、圧死、よくて窒息しているだろう。

 だが、回転回避はジャストタイミングで発動し、彼は平然とタールの塊を突き破って走り出る。

 無敵時間で彼自身はノーダメージ、損失は移動手段のみ。残念ながら、ここまで彼を運んでくれたワイバーンは、黒液に塗れて溶かされた。


「痛み分けか……」


 改竄の弾は、確実にアスタリスクを蝕んでいた。ここからは物量で押し切る。


「モード、十二連射。サジタリウスアロー」


 殲滅攻撃の十二連続発動、ゲームならエリア一帯を丸坊主にしかねない飽和攻撃だ。

 アスタリスクが作る黒海へ発射された矢の雨は、流星の如く重なりあって地に満ちる。弾の落下地点に、砂丘が、雪原が、牧歌的な草原が生まれ、混沌とした風景へと塗り替えられていった。


 ――あれは……マーブルタウン?


 何となく見覚えのあるカタツムリの家に、涼也は僅かに目を見開く。真波駅前に生えたのは、場違いな熊の住処である。


「ナルがやったのか。なるほど、援軍だな」


 ゲールナンドの討伐はアスタリスクの力を削ぎ、外界では浸蝕の潮が引く。そうなれば、ナルが仕込んだタネの出番だ。

 各地のゲームサーバーから、データの津波が押し寄せた結果、あらゆる世界が穴から生え始めていた。

 百貨店の半分はキノコの森に、バス亭はレースカーのピットへ変貌を遂げる。

 駅から伸びる大通りは左右に裂け、切り立つ雪山の頂上が現れた。

 山は育つタケノコのように標高を増し、見慣れたモンクラの山岳エリアが拡大していく。


 異物を嫌ったタールは、態勢を立て直すためか、集結を図って駅舎の上に集まろうとする。

 程無くして、駅と同サイズの立方体が空中に出現した。


「やっと本命のお出ましか」


 黒いキューブからは多数の細い脚が垂れ、その先は地中に埋まっている。

 神堂の影響を受けた“神炎”、今思えば、あれは分かりやすい造形だった。神と火のイメージを紡ぎ、火柱と燃える人影を現出させた。

 タールや立方体は抽象的過ぎて、現実の何を写し取ったものか理解しにくい。亀裂を埋める機能からして、黒い粘液は増殖や浸蝕の象徴とも考えられる。


 本当のアスタリスクは、生体リンクシステムそのもののはずだろう。だとすれば、この形の意味は――。

 機械の神について考察しながらも、彼の指と口は着々と攻撃準備を整えた。モンクラ仕様の操作なら、無意識でも進められる。

 選んだのは掘削弾、もちろん十二連射で撃つ。

 射程の短いライトボウガンではキューブの外壁までしか届かないが、掘削弾なら勝手に内側へ掘り進んでくれよう。最も大事な箇所は、厚い肉に守られた中心部分だと相場は決まっている。


 ボウガンを上に向けた瞬間、立方体の表面が奇妙に泡立った。中からまたゲールナンドでも出て来るのなら、掘削した後にサジタリウスで迎え撃てばいい。

 ギリギリ射程に入るキューブの頂点近くへ、彼は目をすがめて引き金を絞る。


“接続が不安定です――もう一度実行してください”


「おいおい……」


 自分の手先が、中間動作を飛ばしたスライドショーの如くカタついた。

“コマ落とし”、確かに接続不良が原因だろうが――。


 再度トリガーを引くよりも先に、敵が攻撃を放つ。

 黒壁から一斉に、空をかげらせるほどの矢が飛び出してきた。サジタリウス・アロー、自らの決め技が涼也へ襲い来る。


「くっ!」


 着弾点を見極めて連続回避、彼に出来るのはそれくらいだ。

 時間差で降る矢の隙間へ、前転とジャンプを繰り返す。斜め右へ跳び込み、横転気味に左へ。すぐに前へ転がって、数歩ダッシュ。

 矢が地面を漆黒の水玉模様に変え、回避先の選択を奪う。


 斉射時間は短いはず、あともう一度避けられれば――。

 改竄の嵐の中、涼也は矢が射残した地面へ顔を向けた。安全地帯へ逃げ込む回転回避。


“接続が不安定です”


 無敵化を発動できないまま、彼は黒いサジタリウスの矢に晒された。





 旧型室の異変に気づいたナルは、涼也の入ったカプセルへと走る。


「こりゃひでえ」


 燃える天井タイルが剥落して、接続カプセルは火塗ひまみれだ。よりにもよって、涼也の周りが一番の被害を受けている。

 なんとか鎮火しようと、ナルは脱いだシャツで炎を叩いた。タイルの破片を蹴り飛ばし、ヒビが入ったキャノピーの上を扇ぐ。


「どいて!」


 消火器を抱えた綾加が、精密機械を気にもせず、カプセル目掛けて白い粉末をぶち撒けた。

 彼女の端末にも接続障害が報告されており、がむしゃらに階段を駆け上がって来たのだった。度重なる全力での昇降運動に、さすがに膝が笑いそうだ。

 消火剤で壊れたらどうするんだと、ナルは大慌てで機器を点検する。

 そうは言っても、焼け死ぬよりはマシだろう。キャノピーの粉を手で払いのけ、彼女は中を覗いた。


「また鼻血を流してるけど、量は少ないわね」

「クロノインパクトは使ってないのに? それって……」

「ここは私が見張ります。ナルくんは管理室に戻って」

「あ、うん」


 天井の損傷は激しく、屋上へ貫通こそしていないが、配管や断熱材は剥き出しだ。

 上の火災を何とかしなければ、やがて二階へ崩れ落ちて来るのは、目に見えていた。

 山脇は屋上へホースを引くつもりだと言う。


 ――それで間に合えばいいが……。

 彼女の心配は、直ぐに現実のものとなった。

 熱で膨れ上がった建材が、ミシミシと耳障りな悲鳴を上げる。


 待機センターの屋上は、遂に自身の重みに屈するところだった。

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