最終日(水) 俺の彼女が120円だった件
高校生。
それは青春の時。
豪邸暮らしだとか、美人なメイドが住み着きで働いてるなんてことはなく。
入学早々に親しくなった学園一の美少女や、ビッチと噂されるクラスメイト、執拗に接してくる後輩女子なんて全く存在しない、教師の権限が生徒会よりも上の学校で。
空から美少女が降ってくることも、異世界転移や転生することもないまま。
俺の高校生活は、今日で終わりを迎える。
『米倉櫻』
「はいっ!」
三月十五日、屋代学園卒業式。
ヤーさんによって最後の点呼が行われていく中、名前を呼ばれた俺は大きな声で返事をすると、その場で立ち上がり深々と礼をしてから着席した。
中学の時は校長先生の前まで歩いていき卒業証書を受け取ったが、屋代の卒業生は800人以上。入場や退場だけでも時間が掛かるため、式では名前だけが呼ばれていく。
「はぁぁぁあいっ!」
「はい……」
体育館の後ろに用意された階段席から沢山の保護者が見守る中、ドキッとするくらい大きな声で応える生徒もいれば、消え入るような声で静かに立ち上がる生徒もいた。
一人ひとりの名前を読み上げていく途中、若い男の先生が泣いてしまうハプニングも。三年間クラス替えのない屋代では、色々と思い入れも深いのだろう。
『阿久津水無月』
「はい!」
つられて泣き始める女子も多い中で、凛とした声が響き渡る。
長い時間を掛けてAハウスからFハウスまで卒業生全員の点呼が終わると、今度は三年間に渡り無遅刻・無欠席の皆勤賞だった生徒が順番に呼ばれていった。
『米倉櫻』
「はいっ!」
C―3からは意外にも俺一人であり、誇るように返事をして立ち上がる。
三年全体での皆勤賞は100人ちょっと。後に教室でヤーさんから『S.Yonekura』と彫られた、ボールペンとシャープペンを記念品として貰った。
「穏やかな日差しが差込み、桜の蕾が膨らみ始め、春の訪れを感じる季節となりました。本日晴れて屋代学園を卒業される三年生の皆様、本当におめでとうございます」
校長先生の話や祝電の数々、送辞や答辞といった挨拶がいつになく心に響く。
吹奏楽部の演奏に合わせて仰げば尊しを歌った後は、いよいよ卒業式も終わりに。演奏と拍手で見送られながら、A―1から順番に体育館の出口へと向かう。
「米倉氏。伝言だお」
「ん?」
Bハウスの生徒が退場を始めた頃になって、隣に座るアキトから声を掛けられた俺は耳を傾けると、誰が言い出したのかわからないメッセージを渡辺に回す。
そしてC―2の生徒が保護者の前を通過してC―3の退場する時がやってくると、クラスメイトと共に椅子から立ち上がった俺は仲間達へ聞こえるように全力で声を張り上げた。
「せぇぇぇのぉっ!」
『ありがとうございましたーっ!』
お世話になった先生達に、全員で深々と頭を下げる。
他のクラスがやっていたのを完全に真似ただけであり、やろうと決まったのは数分前。伝言ゲームの如く伝わってきたメッセージは『櫻の合図でありがとう』だった。
ヤーさんを先頭に歩きながら保護者席を見るが、流石にこれだけ人が多いと家族は見当たらない。そんな中、出口の前ではスーツ姿の伊東先生が待ってくれていた。
「卒業、おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
笑顔で駆け寄ってきた伊東先生と、がっちり両手で握手を交わす。
長い長い式が終わったのは、十二時過ぎた頃だった。
青い空の下に、春の陽気を感じさせる心地良い風が吹く。
卒業式が終わりクラスメイトとも別れを告げた俺は、一人で芸術棟へと向かった。
「…………」
今日は一年生も二年生も休日のため、部室には誰もいない。
陶芸室の勝手口を抜けると、そこには日向ぼっこをしている野良猫のアメがいた。
「お? ひょっとして、お祝いに来てくれたのか?」
「ニャーン」
「そんな訳ないってか。じゃあな」
声を掛けるなりムクっと起き上がり去っていく、気まぐれなアメに手を振る。
待ち合わせ相手である幼馴染の少女がやってきたのは、その少し後のこと。陶芸部の勝手口からではなく、校舎をぐるりと回っての登場だった。
「よう」
「やあ」
俺と同じ『卒業おめでとう』と書かれているリボンの胸章を付けた阿久津は、挨拶の後でポケットから一枚の封筒を取り出す。今朝、俺が下駄箱に入れておいた封筒を。
「悪いな、わざわざ来てもらって。お前に言っておきたいことがあってさ」
「その前にボクから一つ。この封筒だけれど、宛名を書き忘れていないかい?」
「えっ!?」
「中に入っていた便箋の方には名前が書いてあったけれど、危うく不幸の手紙かと思って捨てるところだったよ。受験番号の件といい、キミは相変わらず抜けているね」
「あ、あの時は受かってたから、ちょっと興奮して勘違いしただけだっての!」
「じゃあ今回はどんな理由なのかな?」
「うぐっ!」
やれやれと言った様子で阿久津が溜息を吐く。
出会い頭に思わぬミスを指摘され、イメージしていた展開が早速崩壊した。
振り返ってみれば、失敗だらけの高校生活だったと思う。
現実なんてそんなもので、思い描いたように事が進む方が珍しいくらいだろう。
それでも、理想通りにならないリアルにだって楽しさはある。
くだらない日々を過ごす仲間との友情。
先輩や後輩と苦難や達成感を共有する部活動。
学生の本分でもある毎日の勉強。
そして、甘酸っぱい恋愛。
どれもこれも、俺にとっては掛け替えのない青春だった。
確かに人生はクソゲーかもしれない。
ドラマチックな出来事なんて滅多にないし、生まれつきステータスの差だってある。
だからといって、文句を言ったところで何も変わらない。
待っているだけじゃ、何も始まらない。
「話の腰を折ってしまったけれど、キミの用件はなんだい?」
遠慮なく人のペースを乱しておきながら、マイペースに淡々と尋ねてきた幼馴染の少女に思わず苦笑いを浮かべる。まあ、これはこれで俺達らしいか。
「三年間、この陶芸部で色々あったよな」
想いを伝えるにしては、少々殺風景かもしれない。
綺麗な月が浮かぶ夜空を背に、桜の木の下で振られた時の方が雰囲気はあっただろう。
それでも俺は、この場所が大好きだった。
「お前がいて良かったよ。誘ってくれて、本当にありがとう」
「ボクもキミのお陰で楽しませてもらったから、お互い様じゃないかな」
「それで、一緒にいてわかったんだ。やっぱりお前といる時が一番楽しいって」
好きとは何かと言われたら、その答えは十人十色だ。
楽しい。
俺にとっての好きとは、それ以上でもそれ以下でもなかった。
だからこそ、今度はちゃんと告白する。
「なあ、阿久津」
「俺はお前のことが好きだ」
もう誤魔化しはしない。
真っ直ぐに幼馴染の顔を見ながら、はっきりと自分の想いを告げた。
阿久津もまた俺をジッと見つめた後で、静かに尋ねてくる。
「本当にボクでいいのかい? キミには蕾君がいるじゃないか」
「夢野には昨日話したよ。ゴメンって謝った後で、ありがとうって」
「…………優しさも、家庭的なところも、それにスタイルだって、ボクなんかとは比べ物にならないと思うけれどね。全くもってキミはよくわからない奴だよ」
やや強い風が吹くと、腰の辺りまで伸びた長い髪が揺れる。
俺が黙って答えを待っていると、阿久津は少ししてゆっくりと口を開いた。
「……………………三本…………いや、四本かな」
「?」
「小学生の頃は許すとして、中学の三年間……それに高校一年と、かれこれ四年間もボクを悩ませ続けたんだ。一年につき一本くらい、奢ってもらおうと思ってね」
「奢るって、桜桃ジュースか?」
「キミのそういう鈍いところは、少しずつ直していく必要がありそうかな」
阿久津はそう言うと、ポケットから税込30円の棒付き飴を取り出す。
その意味を理解するなり、思わず小さく笑ってしまった。
「突然笑い出して、どうしたんだい?」
「いや、何でもない。オーケー、四本だな」
言い出した本人は気付いていないようなので、黙って胸の内に秘めておく。何の因果か知らないが、どうやら俺はこの値段に縁があるらしい。円だけに……なんてな。
「まあ……その、宜しく頼むよ」
幼馴染の少女が、微かに赤くなった頬を掻きつつ答える。
俺は握手を求めるように手を差し出しつつ、彼女の名前を呼んだ。
「こちらこそ、これからも宜しくな。水無月」
――――俺の彼女が120円だった件――――完。
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