百六日目(火) 最初で最後の国立入試だった件

「「イェセガンガンガンガンガンガンガンガンガ~ンッ!」」

「梅と!」

「桃の!」

「「梅桃コント~」」


 一ヶ月に渡る自分との戦いの末に、ようやく迎えた二月最終日。出発の準備を終えた俺の元にやってきたのは海外旅行から帰国した姉貴と、そのお土産の『私の忍者』と日本語で書かれた謎Tシャツを着ている妹だった。

 平日にも拘わらず梅がいる理由は、高校入試の関係で学校が休みのため。期末テストも無事……ではないが終わったらしく、今日は姉貴とショッピングに行くらしい。


「いや~桃さん! 明日から三月なのに、まだまだ寒いですな~」

「その通りですな~梅さん。春はまだ先ですな~」

「早くお花見がしたいですな~」

「花見となれば、夜桜も捨て難いですな~」

「満月なら月見にもなりますな~」

「花見の月見ですな~」

「月見の花見ですな~」

「月見の花見」

「「月見野!」」


 ハイッという元気な掛け声に合わせて、いつも以上にキレのある謎ポーズを決める二人。気合いが入っているのは何よりだが、相変わらず安っぽいコントだ。


「俺の名前は米倉櫻。屋代学園に通う、至って普通の高校生。今日は第一志望の国立、月見野大学の試験日だ。やるだけやったけど、大丈夫か不安だな……どよよよ~ん……」

「大丈夫だよお兄ちゃん! お兄ちゃんには可愛くてプリティーでキュートな妹、梅ちゃんがついてるんだから! テヘペロ☆」

「そうよ! 櫻には知的で素敵で頼れる桃姉さんもいるじゃない! キラキラ~ン☆」

「ボクもキミなら合格できると信じているよ。キリッ」

「水無月ちゃんっ? 応援に来てくれ――――」


「なあ。途中で悪いけど、あとどれくらい続く?」

「もうちょっと……」

「待ち合わせしてるから、三分で頼む」

「…………」

「………………」


「ごほん。水無月ちゃんっ? 応援に来てくれたのねっ!」

「今日で受験も最後だからね。悔いが残らないように、お互い頑張ろう。キリッ」

「そうよ櫻! 頑張った後には、豪華料理が待ってるわよ!」

「豪華料理」

「豪華で合格ってか?」

「…………」

「………………」

「料理」

「「勝利! ハイッ!」」

「そっちかよっ?」


 事前に打ち合わせがあったのか、はたまた咄嗟に切り替えたのか。息ピッタリでドヤ顔謎ポーズを決めてみせた二人に対し、思わず突っ込みを入れてしまった。

 姉貴の物真似スキルは全くもって成長してないらしく、未だに酷過ぎる俺の真似にはクッションを投げつけたくなる。梅は上手いけど「キリッ」の度にこっちを見てくるのがウザいし、そもそも今のコントの前半部分は明らかに要らないだろ。


「それでは時間も押してるようなので、最後にどうぞ」

「聞いて下さい」

「「ちょっといい気分」」


 手拍子と共に謎ダンスを始める二人……かと思いきや、姉貴がスマホを取り出す。

 そして画面を指先で軽くタップすると、ズンッ、ズンッという謎音楽が鳴り始めた。


「梅桃コントが始まるよっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「今日の夕飯はチャーシューメンっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「明日の夕飯はエビフライっ?」

「もっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「長い受験もこれで最後っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「緊張したら思い出してっ!」

「ちょっといい自分~♪」

「「ハイッ!」」


「あ、これゼミでやったとこだっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「あ、ゼミとかやってなかったっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「分数綺麗に消えましたっ!」

「ちょっといい微分~♪」

「「ハイッ!」」


「最後まで、諦めちゃいかんっ!」

「残りあと五分~♪」

「「ハイッ!」」


「出てきた答えが不安ですっ!」

「それでいい多分~♪」

「「ハイッ!」」


「二人で一緒に合格だっ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ハイッ!」」


「それでは皆さんまた来週っ!」

「ちょっといい気分~♪」

「「ちょっといい気分~♪」」(ハモリ)

「「ハイッ!」」


「どうも」

「ありがとうございました~」


『パチパチパチパチ』


 ちょっといい気分シリーズは前半の駄洒落コント(駄洒落にすらなってない気がする)に比べるとノリが良く、クスリと笑ってしまった箇所もあったため素直に拍手をする。

 流石に変なTシャツのまま外出はしないのか、梅は鼻歌交じりで自分の部屋へと帰還。忘れ物がないか最終確認をした俺は、ニッコリ微笑む姉貴と共に階段を下りていった。


「わざわざありがとうな」

「どう致しまして。その様子だと、あんまり必要なかった気もするけどねん」

「そんなことないっての」


 改めて振り返ると、一番緊張したのはセンターの一日目だったかもしれない。私立以降は割と落ち着いており、ここまできたら当たって砕けろという感じだ。

 これで落ちても悔いは…………ある。

 間違いなく後悔はするだろうし、暫くの間は放心状態になるかもしれない。

 ただそれはもっと早くにやっておけば良かったという、既に取り返しのつかない後悔だ。

 残された時間で今の自分にできることは、一から十まで全てやり尽くした。


「櫻、少し大きくなったわね」

「また体重の話か?」

「ノンノン。今度は中身の話。ちょっと見ないうちに成長したな~って」


 姉貴が帰国してから数週間経ったが、これといって特別なことはしていない。そもそも顔を合わせるのは御飯の時くらいで、俺の部屋に突入してくることもなかった。

 その食事の時間も、撮ってきた写真と合わせて海外での冒険譚を聞いたくらい。道路の向こうに熊がいただの、山に登ったら晴天が一瞬で猛吹雪に変わっただのと、よく生きて帰ってこれたなと思うような内容ばかりだった。


「雛鳥の巣立ちを見る親の心境って、こんな感じなのかしらね~」

「何だそりゃ? まあ成長できたのは友達のお陰だけどな」

「コメントまで一丁前になっちゃって~。桃姉さん、嬉しいぞ~」


 生意気だった中学時代に比べれば少しは大人になった気がするが、それでも友人達や姉貴を見ているとまだまだ未熟。尊敬できる人間が傍にいるというのは、我ながら本当に恵まれた環境だと思う。

 姉貴に頭をポンポンされながら、リビングにいた母親に声を掛けて玄関へ。忘れ物がないか尋ねられつつ靴に履き替えていると、ドタドタと激しい音と共に梅が下りてきた。


「それじゃあ、行ってきます」

「悔いのないように頑張りなさい」


 見送られながらドアを開けると、仲良し姉妹が俺の後に続いて外までついてくる。

 約束の時間の五分前には出るつもりだったが、結局のところ一分の遅刻。家の前には当然のように阿久津が待っていた。


「やあ」

「よう。悪い、待たせた」

「楽しそうな声が外にまで聞こえてきたよ。桃ちゃんと梅君もおはよう」

「「はよざ~っす!」」

「よし、行くか」

「そう焦らなくても、電車の時間には充分間に合うさ」

「そ~だそ~だ~」

「待たせてた癖に~」

「誰のせいだよっ?」


 姉貴も梅も阿久津に会うのは久し振りだし、戦場に赴く幼馴染を応援したいという二人の気持ちもわかる……わかるんだが、俺は既にお腹いっぱいなんだよな。

 いくら近所とは言っても、こんな往来の真ん中でコントなんて始められた日には恥ずかしくて堪ったもんじゃない。


「二人とも困った時は、桃姉さんの超絶スマイルを思い出しなさい☆」

「頑張ってねミナちゃん! それとお兄ちゃんのことも宜しく!」

「ありがとう。全力を尽くしてくるよ」

「うんうん。じゃあ最後に、とっておきの魔法の言葉を教えてあげましょう」

「「?」」

「いくわよ梅!」

「アイアイサーっ!」

「お先まっくらじゃなくて~」

「お先さっくら!」

「「ハイッ!」」

「………………行くぞ」

「そうだね。それじゃあ、行ってくるよ」

「「ハイッ!」」


 謎ポーズのまま動かなくなった姉妹を放置して、阿久津と共に駅へ向かう。四人で遊んでた幼い頃は、あそこまで変な姉貴じゃなかった気がするんだけどな……。


「私立の方はどうだったんだい?」

「一つは落ちたけど、もう一つは受かってた。そっちは?」

「一通り大丈夫だったよ。お互いに浪人は無さそうだね」

「そうだな」


 確かに受かったのは何よりだが、やはり気になるのは通学時間。電車慣れしていない上に合計で一時間半超えは正直しんどく、一時間も掛からない月見野と比べると差は大きい。

 一応学生寮はあるし姉貴のように一人暮らしという選択肢もありだが、家から通える距離なんだし梅の受験のことを考えれば親の負担は減らしておくべきだろう。


「そうなると、キミの受験は今日がラストかな?」

「ああ」


 この地獄のような受験生活も、あと数時間でようやく解放される。

 国立大学の入試は前期日程と後期日程があり、同じ大学や学部を二回受けることも可能。前期の試験日は二月下旬で結果発表は三月上旬だが、後期になると試験日が三月中旬と卒業式前にまで食い込み、結果発表に至っては三月下旬と卒業した後だ。

 後期は前期に比べると募集人数が少なく、その割合は8:2くらい。試験の難易度も上がるため、第一志望を前期で受けて後期はワンランク下げるのが一般的である。

 しかしながら中には前期のみ募集という学部もあり、月見野の教育学部も後期はない。そのため俺にとっては正真正銘、今日の試験が最初で最後のチャンスだ。


「それにしても、俺と一緒で良かったのか?」


 試験当日の移動時間は覚えた知識の確認をしたり、集中力を高めたりする大事な時間……にも拘わらず一緒に行こうと誘ってきたのは、意外にも阿久津からだった。

 教育学部の二次試験は数学のみであり、記憶系科目は一切ないため直前に復習しておくような内容も少ない。

 それに対して阿久津が受ける獣医学部は数学と理科の二科目。生物や化学となれば覚え直しておく知識も多い筈だが、駅に着きエスカレーターに乗った少女は静かに答える。


「…………キミと一緒に登校できるのは、これが最初で最後かもしれないじゃないか」

「おいおい、縁起でもないこと言うなっての。そんなに俺が不安か?」


 苦笑いしつつ聞き返すものの、状況が良いとは言えなかった。

 数学が得意教科である俺にとって、一教科のみである月見野の二次試験は分があるように聞こえるものの、その配点割合は三割程度しかない。

 それ故にセンター試験での1点と二次試験での1点は重みが違い、センターの結果が微妙だった俺は必然的に求められる点数も高くなってくる。


「………………不安なのはキミじゃなくてボクの方だよ」

「え?」


 改札を抜けて階段を下り、ホームで立ち止まった阿久津は小さく呟いた。

 ボーっと電光掲示板を見つめる幼馴染の少女を前にして、俺はようやく理解する。


「ひょっとして、緊張してるのか?」

「キミはボクのことを何だと思っているんだい?」


 センター試験で高得点を取っていたとしても、二次試験が上手くいくとは限らない。

 ましてや教育学部の倍率は2.8倍だが、獣医学部は4.2倍だ。

 俺は未だに心のどこかで、阿久津水無月という幼馴染を過大評価していたらしい。

 余裕で合格できるなんて、そんな保証がどこにあるというのか。

 今の今まで気付かなかったことに反省しつつ、俺はいつもの調子で答えた。


「何だと思ってるかって言われたら、男女間の友情は存在する会の会長だな」


 阿久津がキョトンとした顔を浮かべる。

 そして少しした後で、クスリと小さく笑った。


「そうそう。それでいいんだよ。身体を張って笑わそうとしたウチの姉妹を思い出せ」

「お先まっくらじゃなくて、お先さっくらだったかな」

「よし、もう忘れていいぞ」


 間もなく電車が参りますと、アナウンスが響き渡る。

 阿久津はゆっくりと深呼吸した後で、いつも通り淡々と口を開いた。


「確かに例えキミかボクのどちらかが不合格でも、今生の別れになる訳じゃなかったね」

「一人暮らしでもしない限り、会おうと思えば秒単位で会える距離だしな」

「だからと言って、ボクとの約束を破られても困るよ」

「わかってるっての。そのために俺だって、できる限りのことはやってきたんだ。それこそお前が鉛筆に書いた、人事を尽くして天命を待つのみってな」

「キミが鉛筆に書いたように、いつも通り自分のペースで……だね」


 お互いに伝えたい言葉は、既に渡してある。

 緊張感も和らいできたのか、阿久津は不敵に笑った後で俺の名前を呼んだ。


「櫻」

「ん?」




「――――――」




 何か言おうとした瞬間、ホームに電車がやってくる。

 まるでドラマのワンシーンの如く、その言葉は走行音にかき消された。


「え? 何だって?」

「いいや、何でもないよ。春にこうして一緒に登校する時が来たら話すさ」


 くるりと背を向けた少女は、乗客が降りた後で電車に乗る。

 阿久津が何を言ったのかはわからないが、そういうことなら是が非でも合格しないとな。


「それじゃあ、健闘を祈るよ」

「ああ。俺も祈ってる」


 通学時間が随分と短く感じる中、月見野に着いた俺達は別々の教室へと向かう。

 泣いても笑っても、これが最初で最後の試験だ。

 思い返せば今日を迎えるまで、一体どれだけ勉強してきただろうか。


「…………」


 阿久津の志望校と聞いて、ほんの軽い気持ちで目指そうと思ったのが始まりだった。

 屋代の時みたいに、何だかんだで受かるかもしれない。

 そんな甘っちょろい考えは、時間が進むにつれて消えていった。

 現実を知れば知るほど、見えてくるのは険しい道のりだけだった。

 幾度となく諦めかけた俺の受験の最終幕が、ついに切って下ろされる。

 月見野大学一般入試…………試験時間は90分。

 運命を左右するチャイムは、大きな音を立てて鳴り響くのだった。

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