六十二日目(日) 二日目の夜は自己採点だった件
「解答やめ。鉛筆や消しゴムを置いて問題冊子を閉じて ください」
最後の試験終了を告げるチャイムが鳴り響く。
鉛筆を置くと答案を回収されていく中で、俺はゆっくりと息を吐き出した。
「これで大学入試センター試験は終わりました――――」
正真正銘これがラストだからか、試験官が一日目には言わなかった締めの挨拶をする。
二日間に渡った壮絶な戦いは、静かに幕を下ろした。
「………………」
最後まで戦いを共にした受験生達が教室を出て行く中、のんびりと桜桃ジュースを飲みつつ帰り支度をしていた俺は、携帯の電源を入れるとメール作成画面と睨めっこをする。
阿久津の「一緒に帰らないかい?」という誘いに、昨日はオーケーと二つ返事で答えたものの、あんなことがあったとなると少々顔を合わせ辛い。
自分の頬に手を当てた。
柔らかい唇の感触を思い出しただけで、顔が熱くなってくる。
『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』
「っ!?」
画面から目を離していた隙に突然震え出した携帯に驚き、危うく落としそうになった。
表示されていたのは阿久津の名前。恍惚としていた俺とは裏腹に向こうは平常運転らしく、メール本文は『昨日と同じ場所で待っているよ』と淡泊な内容だ。
もしかしたら『やっぱり一人で帰るよ』なんて言い出す可能性も考えていたが、阿久津からすれば俺の残り教科の手応えが気になり心配してくれているのかもしれない。
もう来ることがないであろう教室を後にすると、星がよく見える夜空を眺めながら校門を出る。横断歩道を渡った先の信号前には、既に幼馴染の少女が待っていた。
「よう」
「やあ」
「待たせて悪かったな」
「構わないさ。その様子だと、数Ⅰ・A以外は順調だったみたいだね」
「まあ、お陰様で手応えはそこそこだったよ。そっちはどうだったんだ?」
「数Ⅱ・B以外は上手くいったかな」
昼休みの一件は夢だったかの如く、阿久津はいつも通り淡々と答える。
俺はと言えば受け答えこそ普段と変わらないが、真っ直ぐに視線を合わせることができず。歩きながらの会話じゃなかったら、間違いなくボロが出ていたところだ。
「化学の問題の不備のせいで、結構時間を取られたよ」
「あー。試験が始まって暫く経ってから、訂正の連絡があったやつな」
「そのせいで最後の問題が――――」
一日目の帰りとは違い、話題は試験の内容へ。昨日と違って明日がないため、出された問題に対して突っ込んだり簡単な答え合わせをしたりして話が膨らんでいく。
今日行われた理系科目だけに留まらず昨日のリスニングや国語で扱われていた評論についてまで語り合っていると、あっという間に駅に到着した。
「どうせなら一緒に自己採点していかないかい?」
新黒谷駅まで戻ってきたところで、電車から降りるなり阿久津がそんなことを言い出す。
明日には学校で自己採点を行う時間があるものの、恐らく大半の生徒は今日のうちに家でやってしまうだろう。実際のところ、俺もそのつもりだった。
「別にいいけど、下手したら発狂するかもしれないぞ?」
「いつものことじゃないか」
「うぉいっ?」
「元はと言えば、お互いの状況を知っておくべきだと思って誘ったからね。キミが泣こうと叫ぼうと、ボクは一向に構わないよ。今更になって隠すこともないだろう?」
「わからないぞ? お前だって知らない第三の俺が――――」
「場所はそこでいいかい?」
「人の話を聞けよっ!」
普段下りる出口とは反対方向に向かうと、駅前のファストフード店に入る。
二人でフライドポテト一つとシェイクを二つ注文してから、一番端の席へ移動して足元に鞄を置くと、狭いテーブルの上で二日分の問題用紙を用意した。
阿久津はスマホを操作すると、通っている予備校のサイトへアクセス。そこには一日目の科目だけでなく、既に二日目の科目の解答も更新されている。
「受けていった順番でいこうか」
「ああ」
最初の社会だけは俺が倫理で阿久津は政経と科目が違うため、交代で採点をしていく。以前まではSNSくらいしか使い道がないと思っていたが、こういう調べ物や電車の時刻を検索する機会も増えてくるだろうし、そろそろガラケーも限界だろうか。
塩味が効いた揚げたてのポテトを食べながらボーっと阿久津を眺めるが、手が描く軌跡は丸ばかり。これはかなりの高得点が期待できそうだ。
「何点だったんだ?」
「90点だね」
「マジかよっ? 凄いな!」
「そんなことないさ」
倫理の解答を出してもらうと、念入りに手を拭いてから採点を始める。結果は82点と中々の点数ではあったが、後にある数Ⅰ・Aでの失点を考えると素直には喜べない。
国語以降はスマホの小さな画面を二人で見ながらの丸付け。時折覗きこむタイミングが重なると距離が近くなり、ふんわりとシャンプーの香りが鼻をくすぐった。
そのまま英語、リスニングと進めていくが、良くも悪くもない七割前後が続く。足を引っ張らなかっただけマシかもしれないが、テンションは少しずつ下がっていた。
「さて、問題の数Ⅰ・Aだね」
そして一日目の教科が終わると、採点は二日目に突入する。
他教科の問題用紙には自己採点に備えてマークした番号を写しておいたが、数Ⅰ・Aだけはそんな余裕すらなかったため乱雑に書かれたメモから読み取っていく。
「……………………はあ」
「どうだったんだい?」
「………………52点…………そっちは?」
「78点だね」
「そうか…………参ったな……」
「確かに数学が得意な櫻にしては悪い点数かもしれないけれど、まだまだ何とでもなるレベルじゃないか。二次試験はキミの得意な数学だけなんだろう?」
「こんな点数じゃ、得意なんて言えないけどな……」
「誰にだって失敗くらいあるものさ」
阿久津のフォローはありがたいし、間違っていないと思う。
それでもいつもより40点近く落としたと考えると、あまりにも厳しく辛い戦いだ。
他教科で倫理くらい点を取れていれば挽回できるものの、残された教科は数Ⅱ・Bと化学と物理の三科目だけ。いずれも手応えは普通であり、期待はできそうにない。
「…………」
第一問は30点中28点。個人的に三角関数と指数・対数は全体の中で最も解きやすい分野であり、中盤で一問だけミスをしていたものの高い点数を取れている。
「………………?」
第二問は30点中23点。微積の後半は悩んでしまいがちのため時間配分を考えて早々に諦めたものの、解いた問題は全問正解であり予想以上の結果だった。
「っ?」
第三問は20点中16点。エグい数列を前にして途中で行き詰まり、一つ先の解答枠から推測した数字を入れて強引に進めたところ運良く当たっていたらしい。
「!」
第四問は20点中14点。ベクトルが複雑になった最後の問題でタイムアップとなったが、仮にもう五分あったところで増えた点数は0だっただろう。
「えっ?」
「どうしたんだい?」
期待できないと、そう思っていた。
明らかに普段より丸が多い。
採点を進めていく途中で、違和感が期待に変わっていく。
計算した合計点数が信じられず、思わず目を丸くした後で再確認した。
「…………81点だった……」
「凄いじゃないか!」
阿久津が驚くのも無理はない話で、数Ⅱ・Bはセンター試験の中で最も平均点が低い科目。俺も普段は50~60点ばかりで、80点台となれば難関大学レベルだ。
難しそうな問題はスパッと諦めて先に進んだこと、そしてケアレスミスが少なかったことが功を奏したらしい。僅かに希望が出てきたところで、物理や化学の採点も終える。
倫理→82点
国語→135点
英語→136点
リス→36点
数Ⅰ→52点
数Ⅱ→81点
物理→65点
化学→77点
合計→664点
英語はリスニングと合わせて250点満点になっているため、模試と同じように200点に換算して合計点数を900点にする。今回の俺の場合は137.6点だ。
携帯の電卓機能を使って計算していくと、合計点数は629.6点。四捨五入すればギリギリ七割に届く数字を見て、打ち間違いをしていないか再確認した。
「その様子だと、希望はあったみたいだね」
俺が興奮しながらガラケーに数字を打ち込む姿を見て、阿久津が不敵な笑みを見せる。
三回目の計算結果でも、合計は629.6点と変わらない。数Ⅰ・Aでの-40点を補えるほど良い点数だった教科もなく、どう見ても届かなそうなのに不思議で仕方がなかった。
「ああ。まだいけるかもしれない!」
過去最高点までとはいかなかったものの、七割あれば模試でのC判定に匹敵する。
合格可能性50%のボーダーライン上にいることに変わりはないが、崖っぷちからの生還となれば喜ばずにはいられない。
「よしっ! よぉしっ! 阿久津! マジでありがとうな!」
「喜ぶには少し早いけれど、とりあえず一安心といったところで何よりだよ」
「ちなみにそっちはどうだったんだ?」
「目標には届いたし、悪くはなかったかな」
「こっちも見せるから、見せてくれ!」
「構わないよ」
阿久津と問題用紙を交換して、表紙に書かれていた採点結果を順番に見ていく。
政経→90点
国語→174点
英語→181点
リス→50点
数Ⅰ→78点
数Ⅱ→49点
生物→85点
化学→75点
合計→782点
「ええぃ! 予備校の阿久津は化け物か!」
「キミとは違うのだよ、キミとは!」
まず真っ先に目に入るのが九割以上の点数を取っている英語。リスニングに至っては満点だし、一体どんな勉強をしたらこんな結果を出せるのか教えてほしい。
国語も八割を超えて九割近いし、数Ⅱ・B以外は悪い点数も見当たらず。合計点数も八割超えと、三年間コツコツと積み重ねてきた努力が充分に伝わってくる結果だ。
「お前絶対あれだろっ? テストの点数が良い癖に「悪かった」とか言う奴だろっ?」
「ボクは悪くはなかったと言ったけれど、悪かったとは一言も口にしていないじゃないか」
「いやここまできたら素直に良いって言えよ!」
「誰かさんのせいで数Ⅱ・Bの復習ができなかったからね。まだまだ改善点はあるさ」
「俺のせいかよっ?」
ああ言えばこう言う、本当に口の減らない幼馴染だと思う。
それでも、今回もまたコイツに助けられてしまった。
「…………なあ阿久津」
「何だい?」
「………………いや、やっぱり何でもない」
店を出てからの帰り道、昼休みのことについて尋ねようとした俺は言葉を呑み込む。
きっと今はまだ、聞くベきじゃないだろう。
「そうかい」
そんな俺の考えを知ってか知らずか、阿久津は詮索することもなく静かに答えた。
家の前に着いたところで、俺達はいつも通り挨拶を交わす。
「それじゃあ失礼するよ。お互い頑張ろう」
「ああ。じゃあな」
「………………ああ、そうそう。一つだけ言い忘れていたことがあったかな」
「ん?」
足を止めた阿久津が、チラリとこちらを振り返る。
月明かりに照らされた少女の笑顔は、いつになく綺麗に見えた。
「あれだけ恰好つけておきながら、またボクを一人にさせるつもりかい?」
そう言い残した後で、阿久津は前を向いて歩き出す。
勿論、そんなつもりはない。
「………………っし!」
喜ぶのはここまでにしよう。
やるべきことは山のようにあり、俺も立ち止まってはいられない。
月見野の二次試験まで残り一ヶ月半……まだまだ戦いは始まったばかりだ。
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