六十一日目(土) センター試験の始まりだった件

 ついに迎えたセンター試験当日の朝。人間の脳は起きてから三時間から四時間後に活動を始めるらしいので、目覚ましを鳴らしたのは六時半だ。

 一日目の今日は国・英・社の文系科目であり、地歴公民の受験が一科目だけの俺は若干遅いスタート。それでも試験開始の一時間前には会場入りするために、九時に家を出ることにした。


「忘れ物はない? ハンカチとティッシュは? それとカイロも」

「大丈夫。受験票、筆箱、時計、携帯、弁当、参考書……うん、全部持った」


 間食用のチョコレートに、一ヶ月早い誕生日プレゼントの桜桃ジュース。親が元旦に買ってきてくれたお守りや、アキトから貰った正十字も忘れない。

 携帯電話には友人や後輩達、そして伊東先生やたちばな先輩といった色々な人からのメールが続々と届いており、激励は勿論のこと受験のアドバイスも書かれていた。


「お兄ちゃん! 梅が用意した炭酸抜きコーラ忘れてるっ!」

「あ」

「オイオイオイ。酷いわオイオイオイ」


 一体どこから仕入れた情報かは知らないが、何でもチョコレート同様に効率良く糖分を摂取できるらしい。朝からシャカシャカと振ってはキャップを緩めてを繰り返していた妹は、置きっぱなしだったコーラのペットボトルを持ってくる。


「も~。お兄ちゃんのために、梅が一生懸命ヌいてあげたのに~」

「そういう誤解を招く発言をするな」

「はえ?」

「いや、何でもない。サンキュー」


『シュッ』


「…………まだ少し炭酸残ってるじゃねーかこれっ!」

「えへっ☆」


 軽い気持ちでキャップを開けたら、普通に音が鳴った件。まあ長時間放置したり沸騰させて炭酸を抜いた訳でもないし、これだけ抜けていれば充分なのかもしれない。


「それじゃ、行ってきます」

「頑張ってらっしゃい」

「気合い入れていけ」

「お兄ちゃんファイト~。梅梅~」


 夢野から貰った手編みのマフラーを首に巻くと、家族に見送られながら家を出る。

 外は天気予報通り若干みぞれっぽい雪。幸いにも降り出したのは明け方からであり俺が乗る電車に影響は出ておらず、これから積もり始めるかもしれない程度だ。

 帰りのことを考えて、駅までは自転車ではなく徒歩で向かう。不思議なことにイヤホンから流れる音楽よりも、道路を通り過ぎていく車の走行音が耳に入った。


「…………」


 どことなく、フワフワしているような感覚。

 緊張とは少し違い、落ち着いているけど普段通りでもない。

 景色をボーっと眺めつつ。

 心の中が雪のように真っ白なまま。

 足だけが動いていく。


「………………?」


 駅が見えてきたところで、階段付近にポニーテールの少女を見つけた。

 乗る電車の時間は話していない。

 わざわざこの寒空の下で待っていてくれたのだろう。

 息を白くしていた夢野は俺に気付くなり、普段通り優しく微笑んだ。


「はよざっす♪」

「おはよう。この寒い中、待っててくれたのか?」

「米倉君にどうしても渡したい物があったから」

「渡したい物?」

「うん。手を出してみて?」


 手袋をはめた俺の手の上に、夢野の掌が重なり小さな重みを感じる。

 乗せられたのは、縁起を担いでいるチョコレート菓子。

 そして桜色をした、小さなお守り袋だった。


「これって……」

「一ヶ月早いバレンタインと、誕生日プレゼント♪」


 合格と書かれている、丁寧に刺繍されたお守り。

 一目見ただけで、丹精を込めて作り上げられたのがわかる。


「ご利益は少ないし気休めかもしれないけど、少しでも力になればと思って」

「いやいや、充分過ぎるくらいだよ。本当にサンキューな」

「どう致しまして。今日まで一生懸命勉強してきたんだから、きっと上手くいくよ」


 俺にお守りを握らせた少女は、祈りを込めるように優しく両手で包みこむ。

 真っ白だった心の中が、少しずつ輪郭を取り戻し始めたような気がした。


「ああ。行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい」


 お守りを制服の胸ポケットに入れると、別れを告げてエスカレーターに乗る。

 夢野は俺の姿が見えなくなる最後の最後まで、笑顔で手を振って見送ってくれた。


『――――黄色い線の内側までお下がりください』


 ホームで待っている時間、そして電車に乗っている間は倫理の一問一答で復習。新黒谷駅から二つ先の駅に着いたところで、人混みに揉まれながら電車を降りる。

 バスの案内をする看板を持った人を横目に見つつ、駅から歩くこと二十分ちょっと。試験会場への道は下見しておいた方がいいらしいが、見知らぬ土地でもないため迷うこともなく目的地の大学に到着した。


「頑張ってこいよ! いつも通り、落ち着けば大丈夫だからな!」

「いいか? 掌に緊張と書いて握り潰せ!」


 建物の前には『入試突破』という鉢巻をつけた塾や予備校、学校の先生と思わしき大人達が、受験生を激励するために並んで合格祈願グッズであるチョコを配っているようだ。

 特に知り合いも見当たらないため、他校の学生服を着た受験生の後に続いて校内へ。オープンキャンパスで月見野に行った時も思ったが、マンモス校である屋代が大学並の規模なせいで広さに対する驚きは一切ないまま、試験を受ける二階の教室へと向かう。


「……………………」


 座席はその会場で受ける人のあいうえお順で、クラス全員が佐藤さんになる場合もあるなんて話をアキトから聞いていたが、その情報は少々違うらしい。

 全国の米倉さんが集まるどころか名前の順なのかも疑わしく、小林さんや高橋さんがいる一方でハ行の親友はどこにも見当たらず。時間が経つにつれて次々と人が入ってくるものの、知り合いの有無以前に屋代の生徒は一人もいなかった。

 位置の確認がてらトイレにも向かった後で、残り時間で最終確認。他の受験生の雑談をシャットアウトするためにイヤホンを付けると、好きな音楽を聞いて心を落ち着かせる。


 ――ドクン、ドクン――


 試験開始の時間が近づくにつれて、少しずつ緊張し始めてきた。

 俺は問題集を閉じると、夢野から貰ったチョコレートを取り出す。


「!」


 袋を開けようとしたところで、ふと手を止めた。

 受験バージョンになっていたらしく、裏側にあったメッセージ欄に気付く。


『大丈夫! 自信を持って!』


 そこに書かれていた言葉を読んで、自然と口元が緩んだ。

 チョコレートを口に入れた後で、朝に貰ったお守りを確認するように胸に手を当てる。

 大丈夫だ。

 自信を持て。

 いつも通りやればいい。


「………………ふー」


 そう自分に言い聞かせながら、お腹を凹ませるイメージで息を吐いていった。

 数十秒に渡って全てを吐き出すと口を閉じ、ゆっくりと鼻から息を吸い始める。

 取り込んだ空気によって、少しずつお腹が膨らんでいった。


「………………スー」


 何度か繰り返しているうちに時間になり、試験官から受験における注意が説明される。

 携帯電話の電源を切ると、机の上は文房具や時計といった必要最低限の物だけになった。

 問題冊子とマークシートが配られた後で、指示に従い氏名、受験番号、試験会場番号、選択科目などを記入した後で鉛筆を置く。

 そして数分の空白を経て、ついに試験開始を示す運命のチャイムが鳴り響いた。


「解答はじめ」

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