三十三日目(土) お見舞いが盛大で軽快だった件
「…………あぁ、死にてえ……」
先日あれだけ恰好良い台詞を言った人間とは思えないくらい酷い発言だと思う。
こんな言葉が口から洩れた理由は、思わずそう言いたくなるほど辛いからだった。
今までも幾度となく苦しんできたが、今回ばかりは違う。
重い頭。
止まらない鼻水。
現在の体温が38度1分という、精神的ではなく肉体的な辛さだった。
幸いインフルエンザではなかったし、その程度の熱なら大したことないと思うかもしれないが、滅多に風邪を引かない人間にとってはこれくらいでもキツかったりする。
違和感を覚え始めたのは木曜日。原因は前日の阿久津を待っていた数時間が、はたまた夜にやったバスケか、それとも電車で登校した際に誰かから貰ったのかは定かではない。
寝れば治るだろうという淡い期待も虚しく、金曜になると喉の痛みに加えて鼻水も悪化。学校から帰った後で体温を測ったところ、微熱もあったため大人しく病院へと向かった。
「…………げほっ、えほっ」
そして今日を迎えた訳だが、容体は見ての通り悪化中。薬を飲んで楽になるどころか全身はダルいままで、先程トイレに立った時も歩行がフラついていたくらいだ。
こんなに辛いなら、一思いに楽にしてほしい。
健康という当たり前のことが、どれだけありがたいのか身に沁みる。
「………………」
幼い頃は風邪を引いても家族が手厚く看病してくれるため悪い気はしなかったが、高校生になった今では真っ暗で静かな部屋に一人ぼっちだ。
本日は土曜日にも拘わらず、父上は学期末の書類に追われて学校へ。母上は「風邪なら大丈夫でしょ」と息子以外の病人を相手するため病院へ行っている。
そんな訳で家にいるのは、偶然にも部活休みだった梅のみ。ところがこの妹、何かしてくれる訳でもなく「いざとなったら呼んでね~。梅梅~」と言ったきり姿も見せない薄情者。もっとも仮にあんなアホが傍にいたところで、この苦しみから解放される訳もない。
「ぶえっくし! ふぁ……ぶえっくし! あぁー…………ぶえっくし!」
身体が熱い。
全身の節々が軽く痛む。
いっそ寝てしまった方が楽なのだが、眠ろうにも眠り過ぎて眠れなかった。
鼻をかむために体勢を変えつつ時計を見ると時刻は正午過ぎだが、かれこれ三十分以上も目を瞑ったまま横になってジッとしていたらしい。ちなみに体感でも何もしない三十分をしっかり味わっており、実は寝ていたなんて可能性は皆無である。
『コンコン』
「…………?」
「お~邪魔~虫~。お兄ちゃん、起きてますか~?」
再び目を瞑ってから数分経ったところで、ドアがノックされて静かに開く音。そして日頃の行いのせいで、寝起きドッキリにしか聞こえないアホな妹の小声が聞こえてきた。
少し前に回覧板でも来たのかインターホンが鳴っていたが、その対応をしているうちに病気で苦しんでいる可哀想な兄の存在を思い出したのかもしれない。
「…………死にそう」
「あ、起きてた。お昼食べるけど、お兄ちゃん何か食べたい物ある?」
「…………ヨーグルトでいい」
昨晩と今朝は食欲がなくヨーグルトのみ。そのせいか少しだけ何か口に入れたい気分になったものの、料理音痴の梅しかいないとなるとヨーグルト以外に選択肢はないだろう。
「だって。ミナちゃん」
「そうかい」
「…………は?」
てっきり梅がお得意の声真似をしたのかと思った。
閉じていた目を開けると、暗い部屋に差しこんだ光を辿った先には人影が二つ。そこにいる筈がない幼馴染の少女を見て、呆然とせずにはいられない。
「容体はどうだい?」
…………ああ、つまりあれか。眠れないと思ってたけど、知らない間に眠ってたんだな。
阿久津がそんなラップみたいに韻を踏みつつ心配してくる筈がないし、そもそも風邪のお見舞いとか普通に考えたら親が阻止する……あ、今は留守だったっけ。
「ミナちゃん寛大♪ 体温増大♪ 被害は甚大♪ 現代医学の限界♪」
「…………」
この騒々しいアホ妹なら、病人がいる家に受験生を入れるという愚行をやりかねない。
部屋にまで足を踏み入れてきた阿久津を見ると、ご丁寧にマスクを付けて予防している。夢にしては設定が細かすぎるし、先日の一件とコイツの性格を考えれば充分あり得る話か。
「何でいるんだ?」
「お見舞いに決まっているじゃないか。梅君にメールを送ってみたら、キミが風邪を引いて寝込んでいる上にご両親が留守だと聞いてね」
「移るぞ?」
「インフルじゃない普通の風邪なら問題ないさ。それに元はと言えば、原因はボクにもあるからね」
「ねーよ」
「喉は渇いていないかい? 水分は適度に取らないと脱水症状になるよ」
予想通り無駄に責任を感じていたらしい少女は、お構いなしといった様子で傍らに置かれていたスポーツドリンクをコップに注いでから俺に向けて差し出してくる。
仕方なく重い身体を起こしてコップを受け取ると、阿久津はその間に枕を調べ始めた。
「氷枕も温くなっているね。熱はまだあるのかな?」
そう言うなり、少女は躊躇いなく俺の額に掌を当てる。
おでこ同士をくっつけるなんてベタなことは流石にしない……というより手の方が熱もわかりやすいだろうし、あれって単にイチャつきたい奴がやるだけだよな。
「ふむ。ありそうだね。換えておこうか。梅君、お願いできるかい?」
「アイアイサーっ! ここは寝台♪ 梅は手伝い♪ 替えを頂戴♪ 予備の有無が問題♪」
恐らく氷枕は母上が用意してくれているとは思うが、最後に「チェケラっ!」と言い残しながら去っていった妹のせいで余計に頭が痛くなった気がする。
俺がスポーツドリンクを飲む姿をジッと見つめている阿久津は、体調を崩している気配もなく元気な様子。バスケに天体観測と同じ時間を過ごしていたのに、何で風邪を引いたのが馬鹿な俺の方なのかいまいち納得がいかない。
「食欲があるなら、お粥でも作ろうと思ったんだけれどね」
「……………………食べたい」
「うん? 食べられるのかい?」
「軽く……」
「ふむ。そういうことなら準備するよ。他に何か希望があるなら聞いておこうか」
「いや、大丈夫だ」
「それなら少し待っていてくれるかい?」
お節介な幼馴染が部屋を出ていった後になって、ふと今の自分の惨状に気付く。
髪はボサボサな上、油でギトギト。汗も大量に掻いており、口臭どころか部屋そのものが臭かったかもしれない。リアルお見舞いイベントって意外と公開処刑なんだな。
ずっと昔にアキトから借りた漫画では風邪を引いたヒロインの身体を拭くなんてサービスシーンがあったものの、そこまでいくと最早介護レベル。仮にお願いするとしても親や兄妹くらいだし、頼んだところでシャワーを浴びろと一蹴されるのがオチだろう。
「…………」
晒したのが醜態もとい臭体だけなら風邪だし仕方ないと思われるかもしれないが、こんなことになるなんて予想外なため、去年の夏に招いた時と違い今は部屋も散らかっていた。
まあ相手は阿久津だし、何を今更といったところか。
半分は開き直りだが、それ以上にこうしてお見舞いに来てくれたことが嬉しかった。
「お待たせしました~。デリバリー梅で~す」
スポーツドリンクを飲み終えて布団で横になっていると、騒々しい妹がキンキンに冷えた氷枕をタオルに巻いて帰還。尚、誤解を招きそうな発言に突っ込む気力はない。
早速枕を取り換えると暑さでボーっとしていた頭には効果抜群で、霧がスーッと晴れていくような気持ち良さに満たされる。
「むっふっふ~ん」
「何だよ気持ち悪い」
「聞いたよ~? ミナちゃんにお粥をお願いするなんて、お兄ちゃん本当は元気なんじゃないの~? 美味しくなる魔法を掛けてもらって、あ~んしてもらうつもりでしょ?」
「アホか。お前が作る名状しがたいお粥のようなものと違って安心なだけだ」
「む~。お粥くらい、梅でも作れるもん!」
頬をぷくーっと膨らませつつ答える梅だが、過去に母上に頼まれてご飯を炊いた結果、水の量を間違えてお粥を生み出した経験のある奴に言われても説得力がない。
「それより梅。阿久津はもうこの部屋に入れさせるな」
「え~? せっかく心配して来てくれたのに~?」
「アイツだって受験生なんだぞ? お前も去年これ以上ないくらい世話になったんだから、阿久津に迷惑を掛けるようなことはするなっての」
「は~。お兄ちゃんってば、わかってないな~。優しくて可愛くて愛しい妹が、迷惑を掛けるどころか二人が元気になってもらうために頑張ってるって言うのに」
「あ?」
「お兄ちゃんにとってミナちゃんは一番の薬だけど、ミナちゃんにとってもお兄ちゃんは薬になってるってこと。それじゃあ梅は手伝いに行ってくるので~音速ダァッシュ!」
「あ、おい?」
先日のアルカスの一件については、当然ながら梅にも話している。コイツもコイツなりに色々と考えたんだろうが、それでも病人の部屋に入れるのは間違ってるだろ。
頭が冷やされたお陰か徐々に思考も回るようになり、アホな妹がちゃんと理解したのか不安になっていると、少ししてから完成したお粥が運ばれてきた。
「へい! ミナちゃん特製お粥、一丁!」
「御苦労」
「はい。これ着てね。梅梅~」
恐らくは阿久津からの指示があったのだろう。気を利かせて上着を一枚用意してきた妹は、俺が上半身を起こすなり乱暴に羽織らせた後でミッションコンプリートと言わんばかりにそそくさと去っていった。
そんな妹の後ろ姿を横目にしつつ上着の袖に手を通しながら、お盆に載せられた土鍋の中のお粥を確認する。刻んだネギが少しだけ乗せられた、美味しそうな卵粥だ。
「ふー、ふー」
…………あーんは前にしてもらったけど、ふーふーされた経験は流石にないな。
レンゲで掬ったお粥に息を吹きかけて冷ましながら、阿久津がふーふーしてくれる姿を思わず妄想。もしかしたらふーふーは、あーん以上の萌え要素なんじゃないだろうか。
部屋に入れるなと言ったことを少し後悔しつつも、パクりと口に入れてみる。
…………美味い。
空腹は最高のスパイスというのもあるが、普通に美味しかった。
一口一口を噛み締めながらゆっくり味わいつつ食べていると、階段を上ってくる音がする。明らかに梅ではない落ち着いた足音は、ドアの向こう側で静かに立ち止まった。
「味はどうだい?」
「美味いよ。流石だな」
「レシピ通りに作っただけさ。多いようなら残してくれても構わないからね」
「いや、ありがたくいただくよ。梅の奴は?」
「下で同じお粥を食べている最中かな」
「何でアイツも食べてるんだよ?」
「お腹が空いていたんだろうね。それより調子はどうだい?」
「ん……少し楽になった気がするな」
「そうかい。まあ土日でゆっくり休んで、月曜には復活できるよう祈っているよ」
「ああ。サンキュー」
「気にする必要はないさ。それじゃあ、ボクは失礼させてもらおうかな」
「お前も忙しいのに、お粥まで作ってもらって悪かったな」
「いいや。お陰で良い気分転換になったよ。お大事にね」
そう言い残すと、阿久津は静かに去っていく。木曜金曜と会わなかったため顔を合わせるのは三日振りだったが、すっかり立ち直ったみたいで何よりだ。
お粥を食べ終えてから少ししてドタバタ音を立てながらやってきたお盆回収係の妹にも礼を言っておき、俺は薬を飲んだ後で再び布団で横になる。
満腹になったからか、はたまた薬の副作用か。先程までは全くもって眠れなかったのが嘘であるかの如く、数分もしないうちに俺の意識はまどろみの中へと誘われるのだった。
――――センター試験まで残り一ヶ月。
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